Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2020

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

黙祷の時間

K.O

今年、2020年の3月11日。私は初めて社会人として、職場で14時46分を迎えた。

私は東京都出身で、都内の学校に通い、昨年から都内の商業施設で働いている。そこでは、3月11日に店内放送で黙祷の時間が設けられている。その時間をどう迎えるか、私は悩んでいた。従業員の朝礼では「放送が鳴ったら、接客中でなければ黙祷しましょう」と伝えられた。しかし、実際この場所で14時46分はどのような温度感で迎えられているのか? 東京で、9回目の3月11日とはいったいどのようなものなのだろうか……。

2011年3月11日、高校生だった私は、試験休み中だったので、ひとりで新宿に遊びに行っていた。ちょうど母はパートの日で、そういう時、親には言わずに出かけるのがそのころちょっとした楽しみだった。少しトイレを借りようとデパートに立ち寄った時、地震が起きた。今まで経験した中で一番大きな揺れだった。ついに首都直下地震が起こったのだと思った。揺れが収まり周りを見ると、建物が崩れたりといった目に見える大きな被害は無く、ほっとした。この地震がどれだけの範囲に、どれほどの被害をもたらしたのか、具体的な情報を知ったのは、夜になって何とか家に帰れてからだった。

どういう縁か、今働いているのは、店舗は違えど、その時トイレに立ち寄ったデパートなのだ。
これまでの地震発生時刻、私は家でテレビを見ていたこともあれば、東北沿岸の「被災地」と呼ばれる地域で迎えたこともある。アルバイトをしながら何気なく過ぎていってしまったこともある。14時46分をどう迎え、どう過ごすかの選択の仕方は、もう身につけたように思っていた。それなのに、今年の3月11日は当日になって戸惑ってしまった。

働き出してから約1年が経ち、職場の人たちともリラックスして付き合えるようになってきていた。そんなところに、一緒に働いている人たちが黙祷の時間をどう迎えるのかを見るのが怖かったのかもしれない。人によって温度差があったり、それが浮き彫りになってしまうのが怖かったのかもしれない。その中で、自分がどう振る舞えば良いのか分からなかった。そもそも、自分だって震災に対する態度に、核となるような揺らがないものがあるわけではない。違和感があったとしても周りに合わせてしまう、そんな自分を思い知るのが嫌だっただけかもしれない。

結局、バックヤードで備品の整理をしながら一人でその時間を待つことにした。黙祷のチャイムが鳴ると、接客対応をしている様子の人もいたが、パソコンの操作音などはいったん止まった。静かな時間だった。私は、以前訪れた東北の地や、そこで知り合った人々に思いを馳せていた。しかし、やはり周りの様子を窺おうと耳をそばだててもいた。

自己紹介や手記の背景

私は大学時代に東北や震災について考えるようになりましたが、当時の周囲の人とは興味が近いせいか、震災との向き合い方で大きく温度差を感じることはありませんでした。しかし企業で働き始めたことで、「考えること」は仕事とぱっきり分かれたプライベートの領域になり、毎日会っている人でも仕事以外の顔は見えづらいことを知りました。そんな状態で迎えた3月11日のことを書き留めておきたいと思い、手記にしてみました。
書いているうちに、自分も震災に対してどういった立ち位置から考え、関わっていきたいのかよく分かっていないことに気付きました。それでも(ますます?)震災・東北について考え、関わり続けるんだろうなと思います。

黙祷の時間

K.O

自己紹介や手記の背景

私は大学時代に東北や震災について考えるようになりましたが、当時の周囲の人とは興味が近いせいか、震災との向き合い方で大きく温度差を感じることはありませんでした。しかし企業で働き始めたことで、「考えること」は仕事とぱっきり分かれたプライベートの領域になり、毎日会っている人でも仕事以外の顔は見えづらいことを知りました。そんな状態で迎えた3月11日のことを書き留めておきたいと思い、手記にしてみました。
書いているうちに、自分も震災に対してどういった立ち位置から考え、関わっていきたいのかよく分かっていないことに気付きました。それでも(ますます?)震災・東北について考え、関わり続けるんだろうなと思います。

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