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特集10年目のわたしたち

10年目の手記

日本は罹患している。家族も罹患。僕も罹患した。

澤 隆志

父親が癌で死んだのは2010年の5月。大腸で見つかった癌は薬の相性が良かったせいか深刻な闘病にならずに済んだが肝臓に転移してから急激に弱り、2週間ほどで声も体も細くなって逝った。すこし前、出張先からかけた電話の声からは想像できないくらい。晩年、父親とシリアスな話ができたのは帰省で数日過ごした後、駅まで送ってもらう10数分の車内だった。当時家族がまた別の病気を患い、父親は対処に困っていた。そんな父が3/11という大きな心配事をもう一つ抱える前に死んだことは、悲しみのなかの小さな安堵でもあった。

実家の水戸市は福島とも東京とも同じくらい離れていて、かつてJCOの臨界事故のあった東海村とも近い位置。外部被曝、内部被曝の恐怖は伝聞でしか知り得ないのだが、その「みえない」ことゆえ、日本の国土を人体や家庭の比喩に見立ててしまう。東北地方の被災のディテールが風化しつつある一方で、復興になぞらえ国家的イベントに躍起になる都心をみていると、仕送り続けていた最中に大病してしまった姉と、呑気に卒業旅行の計画に夢中な弟のように思えてくる…。
それは根拠のない妄想なのだけど、原発事故に端を発した放射線に関するあれやこれやは、実に長い時間のかかる病のようなものであって、僕たちはその恐怖を忘れかけ、関連の特定が難しい頃になってまたその恐怖が表にでてくる(のであろう)。これが国土の罹患でなくてなんだろうか。時を同じくして家族も罹患し、3年前には僕自身も脳梗塞を患い体内に罹患を背負っている。国内、家族内、体内に罹患の相似形ができてしまった。これがここ10年の個人的ビジョン。

縁あって2013年の「あいちトリエンナーレ」の企画で『なみのおと』というドキュメンタリーを上映させてもらった。震災直後に撮影、被災地は一切映らず、2人ずつ、様々な被災者の対話だけで構成されている。その顔色や声色は、特定の被災を超えて、ダメージと共に生きる市井の人々の肖像であって、災害が絶えない日本の風土そのものにも思えた。それは罹患を生きる顔でもあった。

右手と発話が困難な僕は、「リハビリテーション」の実験的な展示を試みた。自分の身体があるのに制御が効かない。それを完全に元に戻すでもなく、他人の身体になるわけでもない、自分の半透明な上書き。奇妙な二重性は3Dプリンタやデータ転送という技術に助けられて、日常生活の補助に、無名の他者とも繋がり得ることを知った。罹患から発した「ケア」や「お直し」の発想が、身体の輪郭を超えたマスな「ヒト」に触れた気がした。

自己紹介や手記の背景

10年前にフリーランスのキュレーター生活がスタートしました。同じ頃父親が亡くなって、東日本大震災が起こったのでした。過去を振り返るとき、これらはセットになってしまいますね。

日本は罹患している。家族も罹患。僕も罹患した。

澤 隆志

自己紹介や手記の背景

10年前にフリーランスのキュレーター生活がスタートしました。同じ頃父親が亡くなって、東日本大震災が起こったのでした。過去を振り返るとき、これらはセットになってしまいますね。

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