Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

被災者じゃない東京の私が考える311

村上 類

私は震災当時も今も東京に住んでいるので、311の被災者ではありません。
2011年の3月11日はただ友達と遊ぶ予定が消えただけでした。その友達は習い事や塾がとても忙しい子で、放課後に一緒に遊んだことがなく、卒業間際、たまたま空いていた3月の11日に遊ぶ約束をしていた私は、興奮する気持ちを抑えつつ学校に行ったのを覚えています。
でも大きな地震が突然来て、授業は中止され、保護者の迎えを待って帰宅することになりました。帰り道、母に「友達とは今日は遊べないよね?」と聞いて「今日は厳しいかな」と言われました。
私の住む東京は東北に比べたら揺れは小さかったけれど、非常用のコックが外れガスが使えなくなったので、ホットプレートでお好み焼きを焼きながら東北の津浪が押し寄せる映像をテレビで見ていました。
私の震災当時の記憶はこんなもので、直接大きな被害を受けてもいなければ、身内が亡くなったわけでもないです。友達と遊ぶ予定が流れたのは悲しかったですが、ごくありふれた東京人の311経験だと思います。
ですが311について、私はまだまだうまく言葉にできない感覚があります。
大人になったことで、震災をはじめとする災害がどんなものか、また誰が言っている情報を信じるのか、自ら判断したり理解できるようになり、最近当時のことがますます気になっています。
一言に東日本大震災といっても、地震、津波、原発など複数の災害が起きていること。自然災害は地球に住んでいる以上起きるものだが、福島第一原子力発電所の爆発による放射能の事故は経験を踏まえれば防げる人災なのではないか。
帰還困難区域を通る常磐道を旅行でたまたま通った際、ちらほらと民家が見えました。しかしそこに住むことは未だ許されていない。ニュースで何度も聞いた話ですが、実際自分の目で見て、今自分が帰ろうとしている家にもう一生入れないと想像してみたら、行き場のない気持ちでいっぱいでした。
自分は被災者じゃない、原発についてあの人は意見が強い、その人は弱い、ボランティアに参加して意識が高い、真面目だからなど、つい人を区切ってしまいたくなります。正直、この手記も被災していない私が無責任に書いていいものかと投稿をぎりぎりまで悩みました。ですが、ありきたりな言葉ですが、311をはじめとする災害について、みんなが考えたり悩んだりすべきなはずです。
東京にいる私もまだまだ悩みつづけ、時には現地に足を運んで、現状を自分の目で耳で感じていこうと思います。

※ 本手記は、水戸芸術館現代美術ギャラリー「3.11とアーティスト:10年目の想像」展を通してご応募いただいたものです。

自己紹介や手記の背景

東京都に住む社会人(1年目)です。大学時代地理を学ぶ中で災害に興味を持ち、卒業論文では水害被害を受けた地元のお年寄りにインタビューを行いました。話を聞いていく中で311もまだまだ知るべきことがあると感じ、水戸芸術館で開催された「3.11とアーティスト:10年目の想像」を見たり、福島県に行ったりしています。一方で、自分自身が311について言葉にする機会がないことにモヤモヤしていました。そこでこの機会に参加し、なにか自分の中で考えが深まったり、誰かと対話が生まれたらいいなと思っています。

被災者じゃない東京の私が考える311

村上 類

自己紹介や手記の背景

東京都に住む社会人(1年目)です。大学時代地理を学ぶ中で災害に興味を持ち、卒業論文では水害被害を受けた地元のお年寄りにインタビューを行いました。話を聞いていく中で311もまだまだ知るべきことがあると感じ、水戸芸術館で開催された「3.11とアーティスト:10年目の想像」を見たり、福島県に行ったりしています。一方で、自分自身が311について言葉にする機会がないことにモヤモヤしていました。そこでこの機会に参加し、なにか自分の中で考えが深まったり、誰かと対話が生まれたらいいなと思っています。

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