Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2020

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

黒い水

ユウレイボヤ

2011年3月11日に見たたくさんの映像の中に、頭にこびりついて離れない光景がある。

その日は夕方に取引先への納品があった。数日前からその準備に追われ、大阪市内の自宅で仕上げの作業にとりかかっていた。昼頃、見慣れない市外局番からの着信があり、出てみると長年愛読しているフリーペーパーの全号プレゼントに当選したという知らせだった。応募したことも忘れ最新号の送付を依頼していた私に、「両方ともお送りしますか?」と丁寧に連絡をくださったのだ。ずっと欲しかった創刊号が手に入るとわかり、一人小躍りした。

うれしさのおかげでここ数日の疲れも吹っ飛び、その勢いで作業を続けて数時間後、突然くらくらと目が回った。やっぱり疲れているなと思ったが何かおかしい。めまいにしては長すぎると思いながら部屋を見回すと、壁にかけているハンガーが少し揺れている。照明も揺れている。「地震だ」と理解するまでに10秒以上かかったような気がする。あとで大阪にいる友人知人に聞いたら、みんな「最初はめまいだと思った……」と同じようなことを言っていた。神戸の震災の時、私は兵庫県にいて大きな揺れを体験したが、今回のような揺れ方は初めてだった。

ゆらゆらと小さな揺れが止まらないので靴を履き外へ出た。近所の人は誰も出ていなかったし、揺れがおさまったようなので家に入った。テレビをつけると映し出されたのはお台場で、球体のある有名なビルから白い煙が立ち上っていた。大阪が揺れて、東京で火災? その時アナウンサーが何を伝えていたのか、どんな文字が表示されていたのかは覚えていない。東北が震源地だと理解したのがこのタイミングだったかどうかも思い出せない。状況がわからないまま、予約していたタクシーに荷物を積み、目的地へ向かった。ラジオは地震のニュースを伝え続けていてボリュームを上げてもらった。

取引先は東北にも支社があり、連絡がつかないなどかなり混乱している状況だと聞いた。手短に話を切り上げ撤収した。帰りに乗った電車は下校中の学生で混雑していた。列車内から仙台にいる知人にメールを送ると、すぐに無事だと返信があった。この日、ほっとしたのはその瞬間だけだ。電池を消耗させるだけのメールだったと、あとから反省した。

家に帰ると近所で一人暮らしをしている友人が訪ねてきた。怖くて一人ではいられないのは私も同じだった。夕飯を一緒に食べ、テレビを見続けた。黒い水が広大な田畑を見たことのない速さで飲み込んでいくようすは、10年経った今でもはっきりと覚えている。何を話していたかは思い出せないが不安と恐怖でいっぱいだった。昼間の知らせに喜んだことを後悔した。

自己紹介や手記の背景

1995年1月17日は兵庫県にいました。2011年3月11日は大阪市内にいました。今も大阪で暮らしています。遠く離れた場所にいましたが、東北の震災は心の一部をギュッと握り潰されるような体験で、その感覚は今も消えません。何もできないまま25年と10年が経ちました。「10年目の手記」の募集を知り、忘れっぽい私が忘れられないことを書いてみようと思いました。

黒い水

ユウレイボヤ

自己紹介や手記の背景

1995年1月17日は兵庫県にいました。2011年3月11日は大阪市内にいました。今も大阪で暮らしています。遠く離れた場所にいましたが、東北の震災は心の一部をギュッと握り潰されるような体験で、その感覚は今も消えません。何もできないまま25年と10年が経ちました。「10年目の手記」の募集を知り、忘れっぽい私が忘れられないことを書いてみようと思いました。

連載東北から
の便り