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特集10年目のわたしたち

10年目の手記

きれいな星としょうが焼き

佐々木里菜

その日は仙台市泉区にある実家の静かなリビングで一人昼寝をしていた。
両親は勿論仕事でいなくて、受験を終えたばかりの弟は友達の家に遊びに行っていた。
iPhoneで音楽を流しながら眠っていた。アルバイトが17時からで、それまで昼寝をしようと思い、丁度眠りに入ったところだった。
大きな音と揺れが同時に来て目が覚めた。あ、地震だ。と思った。飛び起きて、リビングから庭に出る。いつもはそれで揺れが収まって、テレビを付けて地震速報を見る。今回もそうだと思ってた。
何かが違う。揺れが全然収まらない。ベランダのサンダルを履き、庭を通って外に出る。家の駐車場に出た所で、ドーン!という大きな音と、下から突き上げるような揺れ。揺れる電線。走って逃げていく隣の隣の家の犬。目の前で崩れたブロック塀。逃げ惑う人々。
もう終わり。これが世界の終わりだ。私もみんなもここで死ぬんだ。心からそう本気で思った。でも世界は終わらなくて、無事に揺れは収まった。
近所の人たちと手を取り合って喜んだ。「これで宮城県沖地震終わったね!」と口々に言い合った。その時その場にいた誰もが、何の迷いもなくそう思っていた。
家に戻ると、綺麗好きの母によってきちんと整えられていた我が家が、目を背けたいくらいぐっちゃぐちゃになっていた。リビングのお掃除ロボットは勝手に動き出していて、張り切って掃除を始めていた。止める気力は私になく、しばらくそれを眺めていた。
時計の針が16時半を回ったところでふと「今日ってバイトあるのかな?」と不安になった。電話も繋がらないので歩いて行ってみると「あるわけないじゃんリナちゃん!」と親方に言われた。そりゃそうだ。夜からお店で出す予定だったお米が二升分炊けていたので、親方と一緒におむすびを作ってご近所の皆さまに配った。
自宅の玄関に「バイト先に居ます」と書置きをしてきたのを見た弟が店に来て合流。外はどんどん暗くなっていく。きょうだい二人でどうしよう、どうしたらいいんだろう?と思っていたら、親方が「お父さんお母さん帰ってくるまで店にいなよ」と言ってくれた。お店はプロパンガスだったのでまだガスが使えて、暗闇の中親方は私と弟にしょうが焼きを作ってくれた。あたたかいご飯と出来立てのしょうが焼き。
数日前誕生日を迎えていた親方がたまたまプレゼントされていた電池式の携帯テレビ。それを暗闇の中みんなで見た。津波の映像が少し見えた。「荒浜で数百人の死体が打ち上げられている」というアナウンサーの声が聞こえた。言葉の意味が、よくわからなかった。
19時頃、家の張り紙を見た父親が私と弟を店まで迎えに来てくれた。親方に感謝を伝えて帰宅。そのうち母も帰ってきて、リビングで皆で寝袋で寝た。
ベランダに出た父が帰ってこなくて、何をしているのかと聞いたら「星を見ている」という答え。私も見た。見たことないくらいの星の数。悲しいくらいきれいだった。

自己紹介や手記の背景

私の震災体験は他の誰かに比べてとても地味だと思う。そう思う出来事が、この10年弱の間によくあった。「津波にも遭っていないし仮設住宅にも住んでいない奴が被災者面をするな」という言葉を間接的に投げられた事もある。凄い言葉だなと投げられたその時はただ思った。私は誰かにそんな風に言いたくない。だから自分のささやかな3月11日の体験をここに書いてみる。19歳だった私は29歳になる。記憶はどんどん薄れていく。忘れる自由もあるけれど、手記を書く自由もあると思いたい。

きれいな星としょうが焼き

佐々木里菜

自己紹介や手記の背景

私の震災体験は他の誰かに比べてとても地味だと思う。そう思う出来事が、この10年弱の間によくあった。「津波にも遭っていないし仮設住宅にも住んでいない奴が被災者面をするな」という言葉を間接的に投げられた事もある。凄い言葉だなと投げられたその時はただ思った。私は誰かにそんな風に言いたくない。だから自分のささやかな3月11日の体験をここに書いてみる。19歳だった私は29歳になる。記憶はどんどん薄れていく。忘れる自由もあるけれど、手記を書く自由もあると思いたい。

連載東北から
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