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特集10年目のわたしたち

10年目の手記

あの時「は」幸運だった

山の端

あの日あの瞬間「は」、私はそこまで不幸ではなかった。中学校の卒業式を終えて帰ってきたばかりで達成感が満ちていた。高校も決まっていたし、卒業旅行を母からプレゼントされていた。何だってできる心地がずっと身を覆っていた。白状してしまえば、地震だって非日常感の中に溶けていった。

「水を確保しないと」

激しく震えて瓦屋根を振り落とした家を見て母がそう言った。妹と二人で自販機へと走って、動かない箱を見て、ようやく電気が止まっていたことを思い出して笑い合った。当時は災害時にも動く自販機なんて無かった。叔父夫婦が駆けつけて無事な姿を見せてくれた。暗い居間で家族一同、身を寄せ合って眠った。もともと田舎町のくせに、その夜は星空が綺麗すぎた。そんな1日だった。実際私は、不幸ではなかったのだ。

翌朝の朝刊1面に大写しになった写真を見ても、自分がいかに幸運だったか知らなかった。それから何十日、卒業旅行を後回しにし例年より少し遅れて高校進学した時、家族を失った同期生の話を聞いても分からなかった。

当時携帯電話を持っていなかったから、友人達と連絡の取れない怖さを知らなかった。守られる側だったから、家族全員を気遣う苦労を知らなかった。他の災害を経験したこともろくに話を聞いたこともなかったから、起こるかもしれない不幸に怯えて過ごすこともなかった。

あれから10年の間に様々な事を知り、病気で母を実際に喪って初めて、幸運だったと気づいた。最期を看取れるのは、直接看取れずとも知れるのは、幸運だ。「どうすればいいんだろう」と立ち尽くすことがなかった。目の前の事で必死になって故人を想う余裕すら投げ出さずに済んだ。私は幸運だった。

時の流れは私達を癒すばかりではない。後になればなるほど恐ろしくなっていく。思い出すたびに起こったことの恐ろしさが傷口をえぐり身に染みていく。そういう人もいる。それでいて誰かの不幸を減らせるならと傷口を自ら開く貴方に、私は敬意を表さずにはいられない。

自己紹介や手記の背景

妹に投稿を勧められてあの時期のことを思い返した時、現在との認識の乖離にぞっとしました。何か大いなる墓標に花を供えられればと思いました。

あの時「は」幸運だった

山の端

自己紹介や手記の背景

妹に投稿を勧められてあの時期のことを思い返した時、現在との認識の乖離にぞっとしました。何か大いなる墓標に花を供えられればと思いました。

連載東北から
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