2020
10
10月26日-11月1日
北澤 潤(美術家)
10月26日(月)
天気|晴れときどき曇り 気温29℃
場所|自宅兼スタジオ(インドネシア・ジョグジャカルタ)
久しぶりに日記を書く。以前制作していた日記/作品「DAILY LIFE」は、数年間つづけたあと2018年頃から途絶えている。文章と写真一枚、スケッチやメモ、さらにレシートや拾ったものまでを、コピー機の上で即興的に配置し一日を一枚にする。それを購読者に月一回くらいのペースで届けていく。一年が365日の「日常」という束/本となる。いま考えても面白いが、環境や体制が変化したことで自然とつくらなくなっていった。ただレシートやメモを記録するアーカイブの術はあのときの手法をベースに、更新している。やろうとおもったらまたいつでも始められるように備えている。
「公開される日記」というのは相変わらずややこしい。日記とは私的に書くはずのものなのに、読者を意識せざるをえない。ほどほどに補足しながら、こっちの生活のルポルタージュ的に一週間書いていこうと思う。
インドネシアのジョグジャカルタ(以下、いつもどおりの呼び方「ジョグジャ」と書く)にベースを移して、そろそろ2年が経とうとしている。コロナの前までは、日本でのプロジェクトのためしょっちゅう二つの国を行き来していて、あんまり長期間こっちにいなかった。ある意味、コロナのおかげでゆっくりこの街にいることができている。
ジョグジャの毎日は、あいまいだ。仕事と生活、自分と他人、晴れと雨、速さと遅さ。遠い気がする二つの事象が、くっついたり、ひっくりかえったり、ひとつになったり、する。この日記の「天気」の項目も難しい。晴れていながら大雨になり、また晴れる。雨季に差し掛かる気まぐれな熱帯の空は、天気予報的な括りで語れない。あいまいさの中で生きること。それがここでの生きる術だ。いつ何がおこるかわからない。一瞬で豪雨。急に予定がひっくりかえる。大工が現場に来ない。と思ったらつくって持ってきた! そんな日々なのだ。
久しぶりの公開日記に喜びすぎた。前置きが長い。とにかく今日もあいまいな一日だった。ゆっくり整備している自宅兼スタジオはだいぶ使いやすくなってきた。なんでも自分で、時に友だちと、手を加えるのが当たり前。壊れたらまずどう直すか自分で考えてやってみる。「買う」はだいぶ先の選択肢。先月は屋根の上に登り、制作スペースとなっているガレージの雨漏りを直した。スタジオが整ってから、ここにいる一日は基本的にまず、なにかしらに手を加えてから仕事をするようにしている。今日は先週までの展覧会で使っていたテレビモニターをアンテナに接続。そのアンテナもケーブルも端子も、まず自分で揃える。天井から飛び出たケーブルを室内の壁に這わせて、モニターに接続。あらゆる素材が日本とは違うのでいちいち勝手が違う。端子のそもそものつくりが雑すぎて失敗。昼も夕方も同じ部品屋にバイクで行った。
日本とのオンラインでのミーティングが2件つづく。こちらは超オンタイムだ。会社の税理士さんとの話で、今期どれくらい新しいトライアルにお金を使えるか、ざっくりと掴んだ。これまでと似た形態や依頼の仕事が停滞しているからこそ、ちょっと前からやりたかった方向にお金と時間を使いたい。せっかくこっちにいる時間があるから尚更だ。
休憩しながら、またテレビケーブルを触り出す。よく知ったはずの存在が急に見知らぬ扱いづらい相手になる。異なる日常に生きる常か。ただこの生活の手触りたちが、制作するときに活きてくる。こっちの友人や制作を一緒にしているみんなは、この「手作りする社会」の玄人たち。そのかれらとちょっと肩を並べられたような気になれる。「このタイプのケーブル、こういう性格だよね」なんて言える日が来るのだ。そう言い聞かせて、この謎な時間を過ごす。生活は制作のレッスンになる。逆も然りだ。
日が暮れて、明日のミーティングのための書類をつくろうとしていると、友だちのエリアが仕事帰りに家にきた。自宅で育てている植物を何種類か分けてくれた。となると予定は変わり、急に土仕事だ。1時間ほどでポットに移し替えた。植物の育ち方も日本とは全然違って面白い。熱帯の水分を探して、根っこが歩き出そうとするのだ。実際に移動する種類の木もある。家の小さな中庭にまた植物が増えていく。
今日、何回マンディ(水浴び)しただろう? 2回だ。このあと寝る前にもう1回するから、計3回。作業したり、外に出たり、何かを終えたり、はじめたりするときにマンディをする。インドネシア人はとにかくマンディする。あいまいだからこそ合間合間のマンディが必須なのかもしれない。暑いってだけかもしれない。ただコロナが猛威をふるっている今現在、マンディの回数は前より間違いなく増えた。
10月27日(火)
天気|雨/曇り 気温24℃
場所|自宅兼スタジオ(インドネシア・ジョグジャカルタ)
珍しく朝からずっと雨が降っていた。日中全く日が射さないのは珍しい。昨日やってきた新入りの植物たちにとっては、朝の日光を浴びることのできない憂鬱な移住初日だったかもしれない。
雨が降っていても特に傘は持っていかない。オンライン配車システムが超普及しているインドネシアでは、自家用車ドライバーが家の前にすぐにやってきて目的地に送り届けてくれる。支払いも全て電子マネーで済むから、車内でデバイスをかざす必要すらない。身支度しながら「Grab」アプリで数分前に頼んでおいたワゴン車が到着。すぐに出発。渋滞を避けてくれて、待ち合わせの10分前に、国立ガジャマダ大学に到着。
ガジャマダ大学(Universitas Gadjah Mada、略してUGM)は、インドネシアで初めて設立された州立大学。日本の占領下時代のあと、再度占領しようとしたオランダからの圧力、その最中の1949年に設立された。ジョグジャの街の北部には広大なUGMの敷地が広がる。まだ数回しか来たことがなくて、約束の場所がいまいちわからない。どうやら正門の横の建物だとわかって、ドライバーに下ろしてもらった。大学所有のホテルみたいで「え、ここ?」と思ったら、さらにひとつ北の建物だとWhats Appのやりとりを見直して理解した。人類学部の学部長であるPak Bambangと初めて会う。電話やチャットはしていたが、会うのは初。いまUGMの人類学部のゲスト講師になる話が進んでいて、その手続きについて話した。
すぐに話は終わったので、ついでに昼食と買い物を日本の食品も置いている輸入食品店兼レストラン「R&B Grill」へ。いつもどおりの食品を買おうと思ったら、果物コーナーにこっちで初めて見る梨を発見。まるで日本の梨だ。和梨だ! おそらく中国からの輸入品だと思うが、日本で食べるあの梨の食感と甘さだったら、これは革命。期待と不安半分で購入。たしか25,000ルピアほど。
R&BからまたGrabで車を手配。Grabプロテクト(感染予防をした車)を選ぶ。いつもは後部座席の前、運転席と助手席の後ろに一面ビニールが(やや雑に)張られている車がやってくるけれど、これは違った。運転席の左と後ろに直角のアルミ製フレームが設置され、きれいに運転手席のみプロテクトされている。これなら助手席にも乗れるし、何より仕上がりがきれいだ。
私:これすごいね、自分でつくったの?
ドライバー:そうだよ。Grabから支給されるカバー、すぐだめになるからさ。
私:だよね。
ドライバー:友だちのドライバーたちと集まってつくったんだ。
私:めちゃいいじゃん、アルミフレームだね。既製品みたい。
ドライバー:そうそう。お兄さん日本から?
私:うん。
ドライバー:へー、インドネシア語うまいね!
・・・
どうも会話を文字に起こすと、インドネシア語のリズミカルなコミュニケーションが伝わらない。その後、パトカーが先導する黒塗りの車が通ったから、「あれなに?」って聞くと、中央政府の車だと教えてくれた。特別なナンバーについても初めて知った。全然話さない時間もあるし、話したければ話す。話さないと変な空気を感じる、なんてことも別にお互い無い。ドライバーがカーステの音楽に鼻歌交じりの時もある。いや、鼻歌どころか普通に歌っている時だってある。
自宅に戻って、休憩してからコーヒーをいれる。インドネシアはコーヒー好きにはたまらない。毎週違う島や地域の豆を買っているが、まだまだ知らない産地がある。すべて国内産。冷やしておいた梨をカットして食べてみる。まさかの日本で食べる味と同じで感動。日本の梨も中国からの輸入ばかりなのか。
スタジオスペースで、UGMでの今後の動きを考えたり、これまで考えてきたことをアウトプットしたりしてみようと、大きなアクリル板を立てかけて、ボードマーカーを走らせる。わりとすぐに見えてくる。
今日もエリアがやってきた。余っている木材と、貸していた雨具を取りに来たとのこと。しばらくコーヒーをのみつつ、いろいろ話す。基本たわいないことを話すし、これどうやってつくれるかな、っていう話もする。こっちでの会話は「開放系」だ。仕事のミーティングだとしても同じ。日本でのプロジェクト交渉にありがちな、目標に向かってトピックを聚斂させていき、あえて寄り道したりしつつ、でもしっかりと目的の一歩先へと着地したい、といった駆け引きじみた会話はない。拡散し、開放し、寄り道どころか本当に(まじで)関係ない話をする。そういうコミュニケーションが常だ。どっちがいいかは置いておいて、とにかく「なにをつくれるか」は「どこにいるか」に大きく左右されるということ。
また長くなってしまった。これははたして「日記」なんだろうか。今日のマンディ3回。
10月28日(水)
天気|雨/曇り 気温24℃
場所|自宅兼スタジオ(インドネシア・ジョグジャカルタ)
今日も雨。つい1、2週間ほど前までは、基本的に晴れで時々スコールがあるくらいだったが、この日記を書き始めてから雨がつづいている。雨季に本格的に入ったようだ。昨日考えた今日の予定では、友だちがいるギャラリーやスタジオに行こうと思っていたけど、雨だと基本的に予定を変える。というかそもそも、手帳にぎっしり細かに予定を書き込むタイプのスケジューリングはあまりない。いつでも予定が変わるから、積み上げても意味がない。良く言えば、変化に強くなる。
今日は一日デスクワーク部屋で作業していた。この家、中に長い廊下があって、いくつかの部屋がそのまわりに配置されている。中なのに路地のような空間で気に入っている。かなり手はかかる古い物件だけど、日本の街だとたぶん1ヶ月分くらいの家賃で1年間借りられる。しかも街の中心に程近い。スケールは拡がるのに、ライフコストが随分落とせる。その分、つくりたいことに注げる。これも、良く言えば。
デスクでUGMでのカリキュラムプランを考える。大学に呼ばれての講義は結構やってきたが、ある程度のスパンで授業や演習を構成するのは初めてだ。それもまさかこの街の大学で。しかも芸術学部ではなく人類学部で。わからないものだ。今日おおよそまとめた内容でうまく通ってくれればいいが、どうなるか。
作業中、母と電話。オンラインで輸出関係の書類を印刷し荷物を送れる日本郵便のシステムを試してみる。これがうまくいったらある程度のものはスムーズに輸送できることになる。うまくいったら次はインドネシアから送ってみようと話し、こっちから送って欲しいものを聞くと、「バティックは足りてるなぁ」と早速考えはじめる母。今年からインドネシア語を習い始めて、LINEのメッセージがたまにインドネシア語で届く。
最近飼い始めた猫のピサンが日中ずっとデスクの上で寝ていた。夜中に差し掛かった今ごろになって超アクティブ。廊下を走り回っている。ピサンもこの空間を気に入ってくれている気がする。と書いていたら、また寝はじめた……! 今日はマンディ2回。
10月29日(木)
天気|晴れ/曇り 気温25℃
場所|自宅兼スタジオ(インドネシア・ジョグジャカルタ)
今日はインドネシアの祝日。基本オフっぽく過ごす。カレンダーには日本とインドネシアの祝日が入っている。日本との仕事もあるから、どっちに合わせるか迷う……ことは特になく、ずっと自分自身のカレンダー次第だから大差ない。やるときはやるし、抜くときは抜く。「R&B Grill」で初めて買ってみた冷凍のムール貝を野菜と一緒に蒸して、レモンと醤油に黒胡椒で味つけたパスタをつくった。それからコーヒーをいれて、プロポーザルづくりに集中。大分遅くなってしまったからか、日記書くのを忘れかけた。
10月30日(金)
天気|雨 気温24℃
場所|自宅兼スタジオ(インドネシア・ジョグジャカルタ)
近くの「ワルン」に行く。2日に一回はここに来る。まるで駄菓子屋のような存在感で日用品を売る店があちこちにある。それがワルン。家の一部の道路に面したスペースで開かれていることが多い。スーパーに行かずとも、コンビニに行かずとも、ワルンに来れば意外と大抵のものは手に入る。ついでに家の外の庭で水やりをしていたら、久しぶりに蚊に刺される。この感じ、いよいよ雨季だ。体調管理にさらに気をつけねばならない。
日中はひたすらプロポーザルのつづき。ようやく終わりが見えた。
夕方にはよく行くレストラン、「Mediterania」へ。レストランの中にあるショップに知り合いのアーティストがいた。ちょうどこれから「ナルトのために祈る」という謎のイベントを開くらしく、そのための食材を買いにきたようだ。先週の展覧会撤収くらいから、友だちがみんな「ナルトが死ぬ」という話をちょくちょくしてくる。あの、漫画の『NARUTO—ナルトー』、である。調べても日本のタイムラインで盛り上がったりはしていない。なぜ「ナルトの死」が、インドネシアでゴシップになっているのか。こっちの人より日本についてよく知らない、ということが稀にある。ナルトの死に関しては全くもって知らなかった。ほんとに死んだのか?
10月31日(土)
天気|曇り/晴れ/雨/晴れ 気温24℃
場所|自宅兼スタジオ(インドネシア・ジョグジャカルタ)
朝昼は曇っていた。出かけようと思った頃にスコール。大雨でしばし様子を見る。小雨になりかけたなと思った頃に外に出た。友だちのいる方面は晴れているみたい。バイクで走っていると確かに晴れ間が見える。着いた頃には、晴れていた。別の場所に向かい始めたら、また雨に打たれた。こんな調子なので、今日の天気の表記は自分の感覚では当たっている。
雨季だと雨の中のバイク移動が多くなるので、雨具が欠かせない。相変わらず傘は持たない。かれこれ4年前、日本を離れインドネシアに行く時に、こづえさんからもらったポンチョはずっと使っている。日本から持ってきたものの中で、こっちのかけ離れた生活に適合し、長く使えているものは意外と少ない。このポンチョは数少ないそのひとつで、しかもこっちのみんなから結構羨ましがられる。そのうち自分でも雨具、ポンチョをつくってみたい。
久しぶりにART MERDEKA(アート・ムルデカ)のスタジオへ。日本でのLOST TERMINALや、NOWHERE OASISといった最近のプロジェクトでずっと制作を一緒にしてきたチーム。かれらは香港のアートバーゼルや、ジャカルタでの草間彌生展などの施工をしているプロフェッショナルなアートインストーラー集団だ。結構世界のアートシーンをジョグジャの人たちが支えていたりする。
連休中にもかかわらずほぼ顔見知り全員がいた。メンバーは総勢30人くらいいるだろうから、まだ全員知っているわけではない。LOST TERMINALのときは、このスタジオが総出で十和田市現代美術館に送る乗り物19台を完成させ、輸送するところまでもっていった。大体はこのスタジオに来るまでにもっとローカルな職人さんと一緒に作品の基本形をつくり、それをART MERDEKAのプロたちがフィニッシュまでもっていく工程だ。
近くに来たついでに寄ったくらいの感覚だが、なんとタイミングがいいことに、みんなで凧をつくっていた。いま進めようとしている新しいプロジェクトは、インドネシアの大凧を元にしている。コーヒーを飲みながら、たわいない話のなかで、なにをつくるかという会話になっていく。まとまりのない日常会話の延長で作品が生まれる。また、ナルトが死ぬ話をしだす奴にほどほどにツッコミをいれつつ、プロトタイプをつくってみようということに。おおよその素材やサイズ、次のステップまで、いつのまにか決まっている。無理につくるというより、つくることと日常が渾然一体。暮らすようにつくる。
インドネシアでは、時間があるときに子どもも大人も凧をつくる。家の目の前に住むおじさんもよく凧を抱えて田んぼに行っている。コロナ禍であろうとなかろうと、仕事と生活の境界があいまいだから凧は飛ぶ。ただ、ART MERDEKAがいま凧をいくつもつくっているのは、かれらへの制作依頼がさほど多くないことを感じさせた。とはいえ、オーストラリアのコミッションワークや、ジャカルタの国立美術館で展示する作品、さらに巨大なインテリアまで、作家たちから依頼がきているらしい。それでも普段よりは忙しくないのだろう。だからこそ、このタイミングで大凧をモチーフとした作品をかれらと共につくることに、静かな必然性を感じた。頼まれたからつくるだけでなく、こうした生活のなかの動機、うごくきっかけによってプロジェクトがはじまる。いまは、そんなナチュラルなあり方を取り戻す、回復するチャンスなのかもしれない。
11月1日(日)
天気|晴れ 気温23℃
場所|自宅兼スタジオ(インドネシア・ジョグジャカルタ)
植物の世話をしてからマンディ。数日前に気付いたのだが、インドネシアは今日まで5連休だったらしい。休みに入って3日目くらいに、立ち寄った店のテレビモニターに流れるニュースで知った。こういうことがあると、自分の情報格差に気づかされる。SNSなどで日本の基本的な情報は入ってくる。大して意味のないワイドショーのニュースやトレンドに無知なのは、むしろ都合がいい。逆にインドネシアの、もしくはジョグジャのローカルな情報が自然に得られないのは、不便だ。この間の全国的なデモくらいだとさすがに友人たちとの会話で話題になるけど、普通のニュースはあまり出てこない。テレビからの情報はこっちでは尚更注意が必要だが、ローカルニュースを知るには重宝する。あのケーブルとの格闘は、この情報格差問題を解決するためのごく私的なプロジェクトだったと捉えてみると、早速意味が出てきた気がした。
夕方頃、外の庭の椅子に座っていると、はす向かいの家の人が話しかけてくる。「ジャンブもらっていい?」。日本では沖縄くらいにしかないのだろうか、ジャンブ。南国の果物なのだろう。日本語では確か「レンブ」。前にも、庭にあるジャスミンの花をちょうだいと道ゆく人に言われた。そういえば、道でマンゴーの木とか見ると、だいぶ実ってきているな、今度もらおうかなとか思う。「所有」の感覚のあいまいさ。というか所有という概念があまりなくて、ベースが「共有」。だいぶ身体化されてきた。
明日は朝イチで入国管理局、イミグレーションのオフィスへ。いつもの申請書を今日のうちに書いておく。コロナ以降、イミグレの対応が目まぐるしく変わっている。最初の数ヶ月は、明日帰国になるかもしれないという見通しのつけられなさとの格闘だった。日本に帰国すれば、当分はこっちに戻れなくなる。いまはこっちにいて、ここでつくれるものを仕込んでいたい。でも明日またイミグレの対応が変わっているかもしれない。ちゃんと妥当な申請プロセスを踏んだ正式なVISAを取得しているにもかかわらず、だ。「ここにいれるかどうか」を常に問われるのは、海外移住者のあるあるかもしれない。コロナによって尚更、国をまたぐ人たちにとってのその問いは蔓延した。ただ言えるのは、「ここにいれて当たり前」と思って生きる、またはそもそも無意識でいるよりも、きっとたくましくなるということだ。いまも明日どうなるかわからないけど、そういうもんだろ、という気分でいる。即、「ここ」から追い出されるかもしれないのに。
明日イミグレにいったあと、よく行くカフェで仕事をして、そのあとは台湾のプロジェクトに向けたミーティングの予定。どうなるかはわからないけど。
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