Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

今までと違う

ひさみ

地震があった時、私は大きなショッピングモールでコーヒー屋の店長をしていた。
不運にもその日、面接に来ていた女子大生が恐怖で泣いていたので抱きしめると腕の中でブルブル震えており、人ってこんなに震えるんだと感じたのだった。
主婦のスタッフは後々のことまで予測して、私を含めスタッフ達の荷物やらレジ金など貴重品と呼ばれるものを全て、両手に抱えて避難場所へ走ってくれた。
おっとりしていると思っていたスタッフは、閉まったまま開かない自動ドアに避難経路を塞がれた喫煙室のお客さんを、ドアをこじ開け救い出したかと思うと、颯爽とモールの奥まで走っていって、声の限りに出口の在り処を叫び続けた。
女子大生の付き添いをお願いしたスタッフは、避難した駐車場で彼女の緊張を解くためずっとふざけて彼女を励まし続けて居た。
全員が避難場所となった駐車場で合流でき、しばらく経った頃その日のシフト予定だった子が、とりあえず来てみましたと凸凹道を車でゆっくり走りながら合流してくれた。
思い出してももうそこまで鮮明ではない昔のことだ。
避難した駐車場で私達はこれからどうなるんだろう? という不安の中、冗談を言い合って実は沢山笑っていた。神妙になる顔つきに気づきなから、面白いことを探して、お互いの緊張や不安からほんの少しだけ自分を解き放って、楽しいことを探していた。
それからまた携帯を握りしめて親しい人の安否を確認し、その確認の内容が良い内容であると「よかったね」と喜んだ。
あの時、人の体温の暖かさは心地いいんだなと感じた。
家族と連絡が取れたり家に歩いてでも帰れるスタッフには、はやめに駐車場を後にしてもらった。
駐車場内に残っている人達の情報から少しずつ周辺が見えてきた。
建物などは壊れていそうだけれど、怪我人や死亡者は少ないようだと。
家族や親しい人とも連絡がついたものの、帰ってもひとりぼっちになってしまうというスタッフと私は、車で備え付けのテレビでも見ながら暖を取ろうという名案のもと、東北での出来事を目撃したのだった。
とんでもないことが起きたのだとそれで私達は知り、とんでもないことを自分たち以上に経験している人がいることに愕然とした。
私達の経験したことが今日の日本で一番大変なことではなかった。そしてこの経験以上の経験を、私達はまだするかも知れないし、これは序の口なのかも知れないという考えが浮かんだ。
「じゃあね」と最後のスタッフに別れを告げることすら怖かった。
もうすでにその「じゃあね」は永遠かも知れないという意味合いを含んでいたから。
真っ暗な帰り道、もう誰にもこのまま会えないかも知れないとスピーカーフォンにして彼に電話をした。残りわずかな充電残量の携帯電話でこの瞬間が最後になるのかもという覚悟をしながら、彼と至って普通に楽しい話をして日常に自分がいる事を楽しみたいと感じていた。

自己紹介や手記の背景

東日本大震災という言葉を聞くと、タイムスリップするような感覚を覚えながら当事者というには少し的外れな気が今もしています。
10年を経て当日、茨城県でのあの地震を経験し何を感じていたのかを言葉にすると意外な感情に気がつく事ができました。

今までと違う

ひさみ

自己紹介や手記の背景

東日本大震災という言葉を聞くと、タイムスリップするような感覚を覚えながら当事者というには少し的外れな気が今もしています。
10年を経て当日、茨城県でのあの地震を経験し何を感じていたのかを言葉にすると意外な感情に気がつく事ができました。

選考委員のコメント

筆者は、あの大地震を茨城県で体験したという。宮城県や福島県など、被災地の、真ん中にあった人たちのそれとは一味違う、しかし、間違いなく「あの日」を体験した事実が丁寧につづられていた。見方によっては、楽しいことを綴る筆使いのようにさえ、あの日の体験がつづられていたが、そこが大事だと思ったし、そこに心惹かれた。そして、そんな中で「今までとは違う」自分を発見している筆者の感性が、どのようにこれから花開いていくのかが楽しみだ。

連載東北から
の便り