Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

絵描きの意思が芽生えた日

餃子は酢と胡椒

これから書こうと思う事は、震災から数カ月経った頃のこと。自分が絵を描く人生を歩む上で忘れたくない事です。

震災当時は中学校を卒業したばかりで、春休み期間。飼っていたセキセイインコと留守番をしていました。住んでいた土地は茨城県北茨城市。日本美術院を立ち上げた岡倉天心と、当時日本美術院で活躍した作家ゆかりの土地、五浦があります。そこには「天心記念五浦美術館」という美術館もあります。

震災当時、北茨城市は、海沿いの住宅地や建物は流され、亡くなった方もいました。美術館も被害を受け、しばらく休館をしていました。

時が経ち、11月、美術館が再開。企画展は私が好きな木村武山の、没後70年記念展でした。普段美術館には県内の人が訪れていましたが、その日美術館の駐車場は他県ナンバーの車も沢山止まっていました。

展示は武山が若いころから晩年まで描き上げてきた多くの作品が展示されており、その作品の緻密さに興奮しながら見ていました。そんな興奮していた私の目に、ある光景が目に飛び込んできました。武山が晩年描いた仏画の前で、手を合わせる女性の姿でした。絵画作品を「美しい、カッコいい、細かい、どうやって描いているんだろう、好き」といった考えでしか見ていなかった自分にとって、不思議な光景でした。

「なぜこの人は手を合わせているのだろう、何がこの人をそうさせたのだろう、この絵を見てどう思ったんだろう」。その光景を見てからそんな事ばかり気になっていました。

そして、今まで「上手く描きたい」としか思っていなかったけれども、震災後、世の中が混沌としている中、絵画作品が人の心を突き動かす瞬間を目の当たりにして、「心を動かす絵を描きたい」と心の奥底にうっすらと意思が芽生えました。

あれから10年、私は美術大学を出て、働きながら今も絵を描いています。10年の間に沢山のことを知り、感じてきました。色々なことを知ったことで、絵を描くことの素晴らしさと同時に、無力さ、人を傷つけることも味わいました。

皮肉な事に、今、新型コロナウイルスという未知のウイルスによって世界が混沌としています。一歩先の未来が、靄がかかったようにはっきりと見えない感覚。あの時と少しだけ似ている気がします。できる事は限られているけど、自分が描ける絵を、1枚1枚、誰かの心に届くことを信じながら描き続けよう。

自己紹介や手記の背景

福島県喜多方市で働きながら絵を描いています。心の中で忘れちゃいけない事だなと思っていたことを、10年経った今、言葉として整理したいと思い、書き綴りました。

絵描きの意思が芽生えた日

餃子は酢と胡椒

自己紹介や手記の背景

福島県喜多方市で働きながら絵を描いています。心の中で忘れちゃいけない事だなと思っていたことを、10年経った今、言葉として整理したいと思い、書き綴りました。

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