Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

連載東北からの便り

復興カメラ 今月の一枚

2021

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城山(大槌町)

2021年2月13日 城山(大槌町)

2018年2月10日

2017年4月5日

2016年2月19日

2015年2月15日

2014月9月12日

2014月3月24日

2013月11月22日

2013月2月14日

2011月3月17日

2011月3月11日

2008月5月2日

—その写真には何が写っていますか?

今回は「城山」から撮影した一連の写真を見ていきます。
  
城山の中腹にある城山公園は、大槌のまちが一望できる、数少ない場所です。
  
何かあるごとに車を走らせて、ここでシャッターを切っていました。
  

  
《2021年2月13日》
  
写真の中心に完成した防潮堤が写っています。
  
その奥に大槌湾が広がっています。
  

  
《2018年2月10日》
  
防潮堤は今まさに建設中です。
   
新築の戸建てが建っています。
  
津波が来る前は、ぎっしり家が並んでいました。
  
写真の中心からやや左側に、『おしゃっち』(大槌町文化交流センター)が見えます。
  
まもなくオープンします(2018年6月10日開館)。
   

  
《2017年4月5日》
  
『おしゃっち』が建つ場所は、まだ更地です。
  
電柱がすごく目立っています。
  
新築の戸建て住宅が少ないですね。
  

  
《2016年2月19日》
  
写真の中央からやや手前側の部分に、くぼんでいる部分があります。
  
くぼみの底の高さが、盛り土する前のグランドレベルです。
  
このくぼみはのちに『おしゃっち』に隣接する公園の池になります。
  

  
《2015年2月15日》
  
写真の中心からやや下に突起物があるのがわかりますか?
  
マンホールです。
  
震災から4年のタイミングです。
  
この頃は、城山公園に行けば、必ず誰かがいました。
  
写真を撮影している人、眺めている人、お墓参りに来た人、役場関係の人。
  
地元の人からは「どんなまちになっていくんだろうね」とよく声をかけられました。
  
大槌を訪れた人からは「津波ってどうでしたか?」とよく尋ねられました。
  
どんなまちに還るのか、どんなまちに変わるのか。
  
私自身もこの風景を眺めながら考えていました。
  

  
《2014月9月12日》
  
雑草が生い茂っています。
  
盛り土する前の風景です。
  

  
《2014月3月24日》
  
この頃はまだ、津波が来る前の道路のままでした。
  
道に迷わないで車を運転することができていました。
  

  
《2013月11月22日》
  
新しくなる前の防潮堤が見えますね。
  
奥に見える白い建物は、水産物の加工食品会社の工場です。
  

  
《2013月2月14日》
  
仮設の電柱が一時的に立っています。
  
嵩上げ工事が始まる際に、再びすべてなくなりました。
  

  
《2011月3月17日》
  
鉄筋の建物だけ、躯体が残っています。
  
写真の中心からやや右側の白い建物が病院です。
  
建物に取り残された人たちは一晩ここで過ごしました。
  
翌日の自衛隊の救助ヘリを待ったと聞いています。
  
写真の左端の真ん中あたりに、灰色の2階建ての建物が見えます。
  
当時の大槌町役場の庁舎です。
  
大槌川の川沿いに緑の屋根の建物があるのがわかりますか?
  
役場にお勤めだった方が津波に流されたんです。
  
緑の建物まで流されてその屋根にしがみついて一命をとりとめました。
  

  
《2011月3月11日》
  
3月11日の15時50分に撮影したものです。
  
気づきにくいですが、手前の切り株の近くで2人の女性がまちを眺めています。
  
大槌高校の制服を着ています。
  

  
《2008月5月2日》
  
私の妹が、震災前のまちをたまたま写した一枚です。
  

   
あった建物が急に壊されたり、何もなかった場所に道ができたり。
   
城山から定期的に撮影すると、その変化がすごくわかりました。
  
ここは、思い出す場所であり、予感する場所。
    
定点観測をつうじて、この場所に私が馴染んでいく感じがしました。
    
写真には大事なことが記録されていると思います。
      
でも同時に、写真には大事なことは記録されていないとも思います。
   
一枚の写真をこうやって囲むことではじめて、いろんな風景が重なって見えてきます。
  

  
10年間、この場所で撮り続けてきました。
   
この写真を見て、被災した方はどんなことを思うのでしょう。
  
私は、この写真を見て心が安らぐことはありません。
  
あの時の辛い思いがよみがえってきます。
  
撮り続けてきたことにどんな意義があったのか、今でも考え続けています。

話し手|川原康信、上野育恵(復興カメラ)
きき手|松本 篤(AHA!)

特集10年目の
わたしたち