Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2020

6

6月1日-7日
是恒さくら(美術家)

6月1日(月)

天気|曇り

場所|自宅(宮城県仙台市)

今日から仙台市立の学校は再開したそうだ。私の勤務先の大学はオンライン授業継続中で、教職員の多くが在宅勤務を続ける。私もいつものように、朝起きてコーヒーを入れたらノートパソコンを開く。こうした生活が約2ヶ月続いていて、すっかり〈いつものように〉と繰り返している。今日は曇りでほんの少し気温が低いけれど窓を開け、体半分ベランダにはみ出すように窓際に腰掛けてキーボードを叩く。
お昼過ぎ、近くの公園で子どもたちの遊ぶ声が聞こえてきた。今日から始まった学校はもう終わったのかな? とベランダから眺める。生活の細かな作法に気を使わなければならなくなって、行動範囲も狭くなると、身近なものの変化が目に留まるようになった。2週間と少し前に宮城県の緊急事態宣言が解除されてから、出歩く人も増えたし近隣の駐車場の車も増えた。公園では小学生らしき男の子たちが団子のような塊になってはしゃいでいる。それを微笑ましく思うとともに、見えないウイルスの存在を考えて心配にもなる。街や人の動きが一見元どおりになりつつあっても、失われたものは静かに消えて、その隙間にこれまで知らなかった感覚が入り込んでいる気がする。
一日仕事でパソコンを見つめていると疲れてしまうので、ここのところの楽しみはラジオや音楽。あるラジオ番組であるミュージシャンが、音楽業界の苦境について話していた。音楽フェスやライブができなくなって、ミュージシャンだけではなく、そうしたイベントに関わっていたさまざまな職種の人たちが苦しい状況にある。ライブにあった沸き立つ気持ちは、これから違う形で感じられるのだろうか。
音楽も、芸術も、作品と人が出会う方法は、しばらく試行錯誤が続くだろう。すべてのことにぴったりはまる代替があるわけではないから、埋めるものがない空白は空白のまま、残しておきたいような気もする。喪失があったことを、忘れないように。

6月2日(火)

天気|晴れのち雨

場所|自宅と国分町(宮城県仙台市)

よく晴れた空に浮かんでいた綿雲が、日暮れ前には水彩画のような巻雲に変わった。昨日までと同じようにデスクワークを続ける。午後は1コマ、Zoomで大学のゼミに参加した。オンライン授業もすっかり日常になった。
自粛生活が始まってすぐの頃、100円ショップでヒマワリ・バジル・ネギ・パクチーの種を買ってきて、ベランダに植木鉢でささやかな畑を作った。双葉から本葉に成長したバジルとパクチーはそれらしい姿になり、日々香りが強くなっている。先週あたりからバジルに小さな虫がつき始めたので防虫を考えなければ。これまで虫がほとんど来なかったマンション6階のベランダなのに、植物があれば虫が集まってくることは小さな驚きだ。
19時を過ぎて空が暗くなる頃、仕事を終えて街を歩いてみる。仕事帰りらしい人通りは、よく知る仙台の風景。国分町の繁華街まで歩き、見知った居酒屋の様子を見てまわる。このところ東北各地で、よく知られた店や映画館の閉店・閉館がニュースになっていた。一見元どおりに再開している店は少しずつ賑わっている。
今日は昼間、知人からブラジル製のホーローのミルクパン(やさしいソラマメ色)と、ミズクラゲのような青色のグラスボウルが届いた。蚤の市で売るはずだった品々がイベントの中止で在庫になってしまっているそうだ。遠く旅をしてきた道具を使って、何を作ろうかと考えるのは楽しい。
遠くの街で誰かの命が一方的な暴力により奪われて、そのことへの抗議運動が起きて、いろんな感情が渦巻いている。知り合いのご夫妻に新しい家族が増えたと知って、おめでとうと心からのメッセージを送る。どちらも今は、画面越しのできごと。

6月3日(水)

天気|晴れ

場所|自宅(宮城県仙台市)

毎晩、寝る前に日記を書いている。今日も在宅勤務。用事が無くても一日一度は散歩だったりジョギングだったり、外に出るようにしているけど、今日はまったく外出しなかった。こんな日もたまにある。
ベランダ脇で仕事をしているので、近隣の建物の窓がたまに気になる。うちの周りは他のマンションやオフィスビル、ホテルが多い。いま誰か窓を開けたな、とか、今日あの部屋の人は布団を干してるな、とか、あのビルの人たちは仕事が終わって帰ったんだろうな、とか。四角い枠の向こうで過ぎていく誰かの時間。私の部屋はどう見えているだろう?
一人暮らしなのでここ2ヶ月、人と話す時間がほんとうに少なくなって、たまに広島の両親と東京の兄のことを考える。先日は兄の誕生日だった。東京で「お父さん、お誕生日おめでとう」とお祝いされただろう。私が15歳の頃まで一緒に生活していた「兄ちゃん」は「お父さん」になっていて、一緒に育った時間よりお互いを知らない時間の方が年々増していく。
最近、思っていることがある。家族の間でしか話さないことや、家族で示し合わせたように周囲に明かさないことって、多かれ少なかれどこのうちにもあるものだろう。そういう感情は、最初の家族を巣立って新しい家族を持つと、どうなっていくんだろう。重かった秘密がどうでもよくなったり、長年真剣に悩んでいたことがありふれたことだったと考え直したりできるのだろうか。
遠くから眺める窓からは、その部屋の内部を知ることはできなくて、漏れ出す明るさと暗さとカーテンの色なんかで、そこにあるかもしれない家庭や暮らしを想像する。今日は夕方、どこかから魚の焼けるいい匂いがした。

6月4日(木)

天気|晴れ

場所|自宅(宮城県仙台市)

夜。この春、仙台から京都へ移った元同僚たちとのZoom飲み会に参加する。近況報告など。気にかけていた仙台の居酒屋が営業再開していた報告とか、石巻のおすすめ店の情報交換も。会話の中に共通の場所があるのは楽しい。
今日は晴れてはいたけど、洗濯物が夜になっても乾かなかった。仙台は、湿度の高い時季になってきたのかもしれない。

6月5日(金)

天気|晴れ時々雨

場所|自宅・仙台駅周辺(宮城県仙台市)

山形から友人たちが訪ねてきてくれて、仙台駅で落ち合う。駅周辺は人通りも多く、飲食店も満席のところもあり、賑やかな金曜の夜の仙台が戻ってきたようだ。
なるべく空いているお店を探して入ると、開店祝いの花がいくつも飾られていた。4月中旬に開店したそうだけど「やっと営業を始められました」とお店の人が話していた。テーブルや壁の塗装も真新しい。ひと月半遅れて、今がやっと本当の開店なのだろう。
食事をした後、アーケード商店街を歩く。23時を過ぎるとほとんどのお店が閉まっている。商店街の一角で、不思議な楽器を演奏している人がいた。大きな中華鍋を逆さにしたようなドーム型の金属製で、いくつも凹みが並んでいる。「ハンドパン」というそうだ。投げ銭を入れて、楽器を奏でてもらう。鐘の音のようだけど瑞々しく、やわらかく響く音がした。少し触らせてもらった。指で弾くように触れると、小さな音が出た。聴いているといつの間にか周りに人が集まっていた。ハンドパン奏者は、最近予定されていたライブやイベントがすべて中止になってしまったと話した。曲が終わり、私たちがお礼を伝えて歩きはじめた後も、背後からハンドパンの音が響いていた。目の前で楽器の演奏を聴くのは久しぶり。深夜になっても街中ではたくさんの人が歩いていた。ひと月前は不気味なほど静かだったのに。
誰かと食事に出かけることも路上で楽器に触れることも、まだ避ける時期なのだろう。でも、開店したばかりのお店の店員さんたちの顔は生き生きとしていて、演奏に足を止める人たちは嬉しそうで、ずっと閉じこもっている間に失っていた何かが、ふつふつと心を満たしていく。
深夜、自分の今日の行動はやはり間違っていただろうかと考える。でも、あのお店にこれからも続いてほしいし、「東北にハンドパンを広めたい」と話した奏者の思いを応援したいなと思った。

6月6日(土)

天気|晴れ

場所|自宅、東照宮(宮城県仙台市)

午後まで、いま書き進めているニューヨーク州ロングアイランドの先住民と鯨についての文章に集中した。昨年現地で取材した時の録音を書き起こして、旅の間つけていた日記を読み返すと、一日ごとに考えていたことや感じていたことが少しずつよみがえってくる。言葉にしておかないとたくさんのことを忘れてしまうし、うまれてくる言葉も、いまと「あの時」では違うものだ。書きためた言葉や物語を一冊の本に編集していくことは、ひとつの世界をつくるようだと思う。書きすすめる方向とこれから作りたい本のイメージがだんだん固まってきた。
ニューヨーク市は新型コロナウイルスの感染拡大が深刻だったけれど、郊外のロングアイランドの知人たちの生活はそこまで大きく影響されていないようだ。最近始めたという養蜂のミツバチや、浜辺から見えるイルカやクジラ、野生のワシやカメの様子を日々、SNSに投稿している。あいかわらずで良かった、と安心する。
午後から仙台市青葉区の神社「東照宮」に出かけた。JR仙山線の列車に乗ると、二人がけの座席に乗客みんな一人だけで座っている。誰かの隣に座ることが憚られる。東照宮駅で降りて東照宮まで歩く。参道には大きな木々が立ち並び、見上げる高さまで深い緑に包まれている。
さまざまな場所で感染防止の対策が取られ始めてから、時間がある時に神社巡りをしている。大きな神社ほど手水や鈴の緒を使用禁止にしていることが多い。参拝時に鳴らす鈴の緒を、神社によっては不思議な形に結わえていたり、単純に両脇の柱に縛っていたり、あるいは鈴ごと外して、触れられないようにしている。東照宮では五色ある5本の鈴の緒が左右にそれぞれ、2本と3本に分けられ柱に縛られていた。
帰りは歩いて帰宅した。途中、八百屋でナスと巨大なトマトを買って、スーパーでエビとイカを買って、家に帰ってカレーを作った。

6月7日(日)

天気|晴れ

場所|山形県鶴岡市

朝からレンタカーを借りて山形県に向かう。鶴岡市の致道博物館で、文化人類学研究者の山口吉彦さんが南米アマゾンで収集した先住民の道具や装飾品、野生生物の剥製や標本の展示が行われている。展覧会に関連して、先住民の楽器を奏でるワークショップの講師を私がつとめる予定だったのだけれど、感染拡大防止のため博物館はしばらく休館、ワークショップも中止となった。今日は山口さんのギャラリートークだった。山口さんは「マスクをしたままでは話しづらいから」と、プラスチックのフェイスシールドを着けていた。
鶴岡郊外では、田植えをしたばかりの水田がきらきらと光る。車の窓を開けてマスクを外すと爽やかな風が車内を抜けていく。山々には緑の木々が茂り、川を流れる水も澄み、人のいない風景が続くと「コロナ禍」がとても遠い出来事のように思えてくる。宮城県外に出かけるのは2ヶ月ぶりだ。山形・宮城両県では感染拡大がおさまり、県境を越える行き来もしやすくなった。見えない不安は残っているし、生活や仕事を以前と同じようにはできない事情もひとりひとり違うから、自分の行動が間違っていないかと、日々考える。けれど、今日は出かけて良かったと思う。
帰路、久しぶりに温泉に寄る。受付で検温を求められた。洗い場は隣同士にならないよう、一つ置きに使用禁止になっていた。夜、帰り着いた仙台中心部は建物とアスファルトばかりの無機質な街に見える。そういえば山形―仙台間を移動するたび、同じことを感じている。私の生活圏は居住地の仙台だけでなく、宮城県のあちこちと、山形県にも岩手県にも、たまに北海道や東京にも広がっていた。移動が制限されるとすごく不自由で、自分らしい生活からいろんなものが抜け落ちていく気がする。久々に吸った山形の山の風で、そのことを思い出す。

バックナンバー

2020

6

  • 是恒さくら(美術家)
  • 萩原雄太(演出家)
  • 岩根 愛(写真家)
  • 中﨑 透(美術家)
  • 高橋瑞木(キュレーター)

2020

7

  • 大吹哲也(NPO法人いわて連携復興センター 常務理事/事務局長)
  • 村上 慧(アーティスト)
  • 村上しほり(都市史・建築史研究者)
  • きむらとしろうじんじん(美術家)

2020

8

  • 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館 学芸員)
  • 山本唯人(社会学者/キュレイター)
  • 谷山恭子(アーティスト)
  • 鈴木 拓(boxes Inc. 代表)
  • 清水裕貴(写真家/小説家)

2020

9

  • 西村佳哲(リビングワールド 代表)
  • 遠藤一郎(カッパ師匠)
  • 榎本千賀子(写真家/フォトアーキビスト)
  • 山内宏泰(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)

2020

10

  • 木村敦子(クリエイティブディレクター/アートディレクター/編集者)
  • 矢部佳宏(西会津国際芸術村 ディレクター)
  • 木田修作(テレビユー福島 報道部 記者)
  • 北澤 潤(美術家)

2020

11

  • 清水チナツ(インディペンデント・キュレーター/PUMPQUAKES)
  • 三澤真也(ソコカシコ 店主)
  • 相澤久美(建築家/編集者/プロデューサー)
  • 竹久 侑(水戸芸術館 現代美術センター 主任学芸員)
  • 中村 茜(precog 代表取締役)

2020

12

  • 安川雄基(合同会社アトリエカフエ 代表社員)
  • 西大立目祥子(ライター)
  • 手塚夏子(ダンサー/振付家)
  • 森 司(アーツカウンシル東京 事業推進室 事業調整課長)

2021

1

  • モリテツヤ(汽水空港 店主)
  • 照屋勇賢(アーティスト)
  • 柳谷理紗(仙台市役所 防災環境都市・震災復興室)
  • 岩名泰岳(画家/<蜜ノ木>)

2021

2

  • 谷津智里(編集者/ライター)
  • 大小島真木(画家/アーティスト)
  • 田代光恵(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 国内事業部 プログラムマネージャー)
  • 宮前良平(災害心理学者)

2021

3

  • 坂本顕子(熊本市現代美術館 学芸員)
  • 佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

特集10年目の
わたしたち