Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2020

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2020

8

8月31日-9月6日
清水裕貴(写真家/小説家)

8月31日(月)

天気|晴れ時々曇り

場所|千葉県船橋市のアトリエから、自転車で千葉市稲毛区

今年の7月、千葉に巨大な火の玉が落ちた。
既に習志野と船橋で隕石のかけらが発見され、習志野隕石と名付けられているが、一キログラム級の「本尊」がまだ見つかっていないらしい。民家や道路に落ちているならとっくに見つかっているだろうから、森を中心に探してみる。
しかし駅前の繁華街と国道と畑以外はだいたい葦の原や雑木林で、油断すると草に隠れた水路や沼に突っ込んでしまう。なんとなく森の周りをうろうろして写真を撮る。

稲毛まで行って、来年展示する予定の神谷伝兵衛邸を眺める。
戦中の千葉市は鉄道連隊や歩兵学校など陸軍の施設を数多く誘致し、軍都として栄えていた。稲毛の海沿いは風光明媚な保養地で、神谷伝兵衛邸の隣には、満州国皇帝の弟・愛新覚羅溥傑の住まいもあった。
溥傑と神谷家の交流は多少あっただろうし、伝兵衛邸が溥傑の妹一家の住居になった時期もあるのだが、記録はほとんどない(当時のお手伝いさんの日記が近年発見された)。
住人の中に日記が趣味のマメな人がいて、それを受け継ぐマメな人が何代にも渡って出現しないと、家の中の歴史というものはなかなか残らない。建物自体が、語り部のように喋ってくれたらいいのにと思う。
戦中の千葉市を舞台にした小説のプロットを練りつつ帰る。

9月1日(火)

天気|曇り、久しぶりに涼しい

場所|六本木(東京都港区)

写真を撮ったり小説を書いたりしているほかに、六本木の会社に通ってデザイナーもしている。
4月以降は同業者も取引先も続々とリモート勤務になったが、私は業務上の都合で出勤を強いられている。緊急事態宣言中のガラガラの電車には、死地に向かうような緊張感が漂っていたが、今はだいぶ雰囲気が和らいでいる。咳の音がした方向を、ぎょろっと睨む人もいなくなった。

朝早くに六本木ヒルズに到着すると、辛子色の繋ぎの作業服を着た人たちが集まっていた。帰宅困難者受け入れ訓練をしているらしい。
六本木ヒルズの建物は公道の役割も果たしていて、深夜・早朝などテナントが閉まっている時も通路やトイレは自由に行き来できる。緊急事態宣言中も開いていて、観賞用の滝は絶えず流れ続け、ビルの管理者はこまごまと清掃や補修を続けていた。
通路やトイレにゴミが落ちているところを見たことがないし、池の水面は藻もボウフラも存在しない。複雑なデザインの建物は目隠しになる壁や柱が沢山ある。六本木ヒルズの廊下なら寝られるな、と思う。

通勤電車で岡本喜八の『肉弾』を見る。戦争の愚かしさを、ユーモアと詩、幻想、哲学的なセリフを交えて語っている。
ここ最近岡本喜八を連続して見ているが、戦争末期を史実に基づいて克明に描いた『沖縄決戦』や『日本のいちばん長い日』とはかなり違う雰囲気。美大生時代に見ていたら強く影響されていただろうなあと思う。しかし一番好きなのは『血と砂』だ。戦場に響き渡るトランペット。

9月2日(水)

天気|曇りのち晴れ

場所|六本木(東京都港区)から自転車で新宿区

けやき坂沿いにどどんと枕とシーツの店がオープンしていた。知らない店名なので検索すると、通販を中心とした寝具小売ベンチャーで、定期的にリネン交換をする月額制のベッドメイキングサービスもやっている。おうち時間をホテルのように快適に、というコンセプトらしい。ただならぬ商魂のたくましさを感じる。
フードマーケットで昼食を買って毛利庭園の横のベンチで食べていたら、S社の編集さんから関東大震災の資料が送られてくる。面白い地図博士のホームページも教えて貰ったので、ブックマークをしてゆっくり読むことにする。

夜は新宿で友人と会合。だいぶ涼しくなったので、ドコモのバイクシェアを使って移動する。
もう何度目だか分からない自転車ブームがくると言われているが、都心のランチタイムのシェアサイクルはUberの配達員専用自転車となりつつある。酷使された悲しい自転車も多いので、タイヤの空気圧と電池残量を確かめてからパスコードを取得する。
新宿に行く前に原宿の郷土菓子研究社に寄って、スペイン、インド、アゼルバイジャンのお菓子を買う。原宿は服屋もカフェもおそろしく空いていたが、郷土菓子研究社には客が絶え間なく訪れ、みんな淡々と菓子を買い込んでいた。海外に行く見通しがたてられない今、郷土菓子を買い求めることは必要急なのだ。

新宿三丁目の飲み屋街は明りが消えている店が目立ち、開いていても客席はガラガラだった。どの店も「換気していますよ」とアピールするようにドアを開け放しているし、こちらも「風通しのよさそうなところ」を目指して店探しをする。
開放的な雰囲気の居酒屋の前で立ち止まると、即座に明るい店員さんに案内されて、とりあえず入ってみた。しかし通された席は古びた狭くるしいところで、ひどく曇った窓から見える風景は、看板の明りがついたり消えたりして、この世の終わりのようだった。ちょっと飲んで店を変える。
友人おすすめの中華料理店に行って、美味しい小籠包を食べながら“ブルシット・ジョブ”と“安心と諦め”と自民党総裁選の話をする。

9月3日(木)

天気|晴れ時々雨

場所|六本木(東京都港区)から徒歩で広尾(渋谷区)

六本木と広尾の間にある有栖川公園は、コンクリートの坂道に挟まれた三角形の谷底に、池と小川と多様な樹木を詰め込んだ美しい森だ。その中に都立中央図書館がある。
感染症対策で三時間の入れ替え制になっていて、ネットから事前予約をしなくてはいけない。予約できるのは一週間に二回までだ。
時間がきたら、従業員用出入り口で検温と消毒をして来館者カードを首にぶら下げて入る。オリンピックのマスコットキャラクターの巨大なポスターが飾られた正面玄関は封鎖されていて、館内のカフェや一部施設も閉まっているが、静かで集中できて良い。
館山の牡蠣漁について、在野の研究者が書いた本を読む。

半島の先っぽは、内陸よりも海の外との繋がりが強い。千葉県にある安房(あわ)は漁業で財を成してきた土地だが、戦前は潜水機械を開発して牡蠣漁を急激に発展させ、アメリカに出稼ぎに行っている。そのままアメリカに居着いた人たちは、戦中に収容所に入れられたりもしているらしいが詳細は不明。
帰りの電車で関東大震災と千葉の資料を見る。館山湾の海岸は震災で隆起し、そこをさらに埋め立てて軍基地を作っている。本土決戦の際にアメリカ軍が館山湾から上陸すると想定されていたらしい。
ふと、岡本喜八の『肉弾』で特攻隊が穴を掘って隠れている砂浜は館山の設定なんじゃないかと思った。しかし遠州がどうのこうのと言っていたから静岡なのだろうか。少なくとも撮影地は千葉の海岸ではなさそうだ。

9月4日(金)

天気|曇り時々晴れ

場所|幕張(千葉県千葉市)

夜に幕張の温泉に行く。最近、埋立地の人工砂浜に突如として現れたスーパー銭湯だ。温めた水道水ではなく、地下二千メートルから太古の海水を掘り出した天然温泉らしい。
幕張は軟弱な地盤にさらに砂礫を積んで埋め立てている、文字通り砂の城だ。東日本大震災の際は液状化して道が割れ、電柱がばらばらに倒れシュルレアリスム絵画のようになっていた。
そんなところに二千メートルも穴を掘って湯を汲み上げようというのは、なかなか大胆な発想に思えるのだが、日本人はそもそも活火山のすぐ近くに豪華な宿を建設してゆったり温泉を楽しむ人たちである。
温泉はこの砂浜を最近所有している日本サッカー協会が掘ったものだ。地上の権利を持っている人は、地下も自由に使っていいということになっているらしい(温泉法の規制はある)。海に面した土地を持っていると排他的経済水域がくっついてくるのと似た発想だ。海面より上に出ている地面、という変化しやすい平面をベースに利権を考えるというのは、ちょっと奇妙な習性だ。
幕張温泉は下駄箱からタオルレンタル、会計まで全部無人機械で完結するシステム。平日だけど近所の人たちで賑わっていた。露天風呂の入り口には「潮の満ち引きによって海上から見えてしまう場合がございます」と、おおらかなことが書いてあって、客たちは「どういうこと?」と笑いつつ暗い海を見ていた。ごうごうという潮風の音を聞きながら、とろりとした湯を堪能した。

9月5日(土)

天気|曇り時々雨・霧

場所|岩手県花巻市から車で釜石市鵜住居町と浄土ヶ浜

新花巻でレンタカーを借りて岩手県釜石市鵜住居町(うのすまいちょう)に向かった。
東日本大震災の津波でえぐりとられた砂浜が、河口付近に再び帰ってきて、新しい小さな砂浜を形成したという記事を読んだからだ。砂の中には海浜植物の種子や小さな生き物たちが眠っていて、砂が集まれば生態系が復活する。砂浜は陸と海という異なる環境を繋ぐ境界の役割も果たす。津波被害の大きかった地域はコンクリートの巨大な防潮堤が建設されてしまったが、風や鳥や虫たちが砂や海水を少しずつ運び、コンクリートの上に境界の世界を作るだろうと思っていた。
この旅はS社で不定期連載している小説の下調べのつもりだが、写真作品になるかもしれない。あるいは何にも使わないかもしれない。しかし、とにかく私は再生した砂浜を見たかった。

遠野を過ぎるとカーナビは全く役に立たなくなった。沿岸の街を結ぶ新しい道路が山の中にどんどん出来ているのだ。そういえば、2012年に気仙沼から盛岡に行った時は、もっと狭くておそろしげな山道を通った気がする。
高速道路から降りる瞬間、「ここから過去の津波浸水区間」という看板が出て少しどきっとした。水の中に突っ込んでいくような気分になりながら、沿岸に向かう。
鵜住居は霧に包まれていた。津波でまっさらになった土地には、ラグビーのスタジアムや慰霊碑、コミュニティセンターがぽつぽつと建ち、小中学校は高台に移転していた。スタジアムでは試合が開催されていて、しいんとした町に司会の声が高らかに響いていた。

記事に載っていた写真と同じ場所を探そうとしたが、霧のせいで背景の山の形が見えないし、水門や堤防の形も変わっていて、正確な位置が特定できなかった。
とりあえず川沿いを海に向かって歩いていると、川の中州に白い砂が集まって、水鳥たちの休憩所になっているところを見つけた。資料館の航空写真を見ると、津波前からあったものらしいので目的の砂浜ではない。しかし一目で好きになって、写真を撮る。

アスファルトの道路に砂が積もって植物が芽吹いていた。
流された砂浜は人の手によって再び砂が敷き詰められ、松林で子供たちが海浜植物を育てていた。また来ようと思う。

夕方、宮古市に移動して浄土ヶ浜パークホテルに泊まった。浄土ヶ浜は、その名の通り神様の箱庭みたいなところで、人生の休憩所みたいな雰囲気だった。ホテルは海を見下ろす崖に建ち、ガラス張りのライブラリーラウンジがあった。月光に輝く海を見ながら震災資料を読む。

9月6日(日)

天気|曇り・小雨・霧・晴れ

場所|浄土ヶ浜から車で岩手県遠野市

朝は浄土ヶ浜の遊覧船に乗った。ガイドさんのトークと歌とウミネコの歓待が激しい、賑やかなツアーだった。
東日本大震災の時は、遊覧船は津波警報を受けてすぐに沖に逃げたらしい。しかし陸の被害が思いのほか大きく、なかなか帰れなくて、船長と乗組員は海上に42時間も留まって、ウミネコにあげるパンを食べて空腹を凌いだそうだ。この遊覧船は来年一月で終わってしまうらしい。とても残念だ。

遠野に「3.11東日本大震災 遠野市後方支援資料館」なるものがあると知り、花巻に戻るついでに遠野に寄る。遠野は民俗学、妖怪文学に欠かせない存在だが、文字で読みすぎているので行こうと思ったことがなかった。
ゴツゴツした北上山地を突っ切る高速道路を降りると、唐突に霧が晴れて、稲穂がきらきらした明るい盆地に出た。
山の斜面に「ようこそ」みたいな文字が掘ってあったが、そんなこと書かれなくても山と稲穂と川が「ようこそ!」と合唱しているような気がした。思ったよりもずっと明るく綺麗な楽園のような場所だった。
田んぼや小川の横をのんびり散策してから資料館に行く。

資料館は消防署の脇に建つプレハブ小屋だが、パネルや資料がぎっしり詰まっていた。遠野市は三陸海岸と内陸の都市を結ぶ一大拠点で、地盤が強く、災害時の後方支援拠点として重要な役割を担っているらしい。復興の要となる道路を作った人々は「かっぱ工事隊」と名乗っていてちょっと可愛らしい。力強い誇りと勇気を感じられる資料館だった。書棚の本を読みたかったけど、レンタカーを返す時間が迫っていたので資料館を出る。
外には霧雨と晴れが同時にやってきていて、空に巨大な虹が架かっていた。