Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2020

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2020

8

8月10日-16日
山本唯人(社会学者/キュレイター)

8月10日(月・祝)

天気|晴れ

場所|自宅 (東京都台東区)

猛暑。一日、前期期末レポートの採点、後期のシラバスを執筆する。
今年度から、職場が法政大学大原社会問題研究所(大原社研)に変わり、その一室「環境アーカイブズ」を担当している。4月1日の着任当日、アーカイブズの閲覧を停止した後、一週間で職場は閉鎖。それから3か月、一刻も早い閲覧再開を模索すると同時に、6人全員が非正規で成り立つ教職員の雇用環境の確保に努めた。
7月1日、無事に閲覧を再開。一般の閲覧機能を持つ大原社研は、新型コロナウイルスの流行により入構制限の続く巨大私学において、学生が専任教員から対面で教育を受けられる稀有な場所になっている。ただし、「授業」中心の大学秩序のなかで、多摩キャンパスの、そのまた一室にあたるアーカイブズのこれからについて、大学当局からの要請にあたるものはほとんどない。
「公開」を使命とするアーカイブズにとって、本来、閲覧の停止は最高の決定である。その再開に見通しもなく、夕方退勤間際、事務局からのメールで、職場閉鎖の通知を受けることから、新職場での「仕事」が始まった。
コロナ流行後の「アーカイブズ」の静けさは、「授業」を維持するためにあらゆる資源が投入されたオンライン化の騒ぎと対照的で、この間の大学が何に震えたのかを正直に物語るエピソードと言えるだろう。大学はオンライン化で何とか「授業」を維持しているが、オンラインで「実習」機能や「ゼミ」機能を代替するのは難しく、高額授業料のもとで学生に相当な緊張を強いている。「授業」だけが高等教育ではなく、学生に学びの場を提供する使命は、「大学」だけが負っているものでもない。研究、教育に携わる世の中の色々な個人、集団が、知恵と工夫をこらして、若者の学びをバックアップすべきときだろう。
大原社研に授業はない。前期は、外の2校でオンライン授業を経験した。

8月11日(火)

天気|晴れ

場所|自宅 (東京都台東区)

今日も朝から暑い。とにかく暑い。環境アーカイブズは臨時休室。家庭の事情があり、出勤をリモートワークに切り替える。

8月12日(水)

天気|晴れのち雷雨

場所|自宅 (東京都台東区)→大原社研(東京都町田市)

環境アーカイブズに出勤。体温35.5℃。夏季一斉休暇前の最終日。
アーキビストの川田恭子さん、リサーチアシスタントの長谷川達朗さんと、部屋や書庫の確認などをする。落雷で一時、多摩キャンパス全体が停電。
昨年10月から制作を進めてきた本『演劇が語りなおすヒストリー―舞台『魚の目に水は映らず』と「静子」の空襲体験をめぐるアーカイブズ』が完成。データはPDFファイル1点にまとめ、Editor’s Statementを書き下ろし、researchmapの研究ブログにアップする。
劇作家・放送作家のきたむらけんじさん、東京大空襲体験者の西尾静子さんとの共著。個人の体験記を、関連資料とともに収集し、インターネット上で公開する試み。アップがコロナの状況と重なったのは偶然だが、「集まる」ことが難しくなって、「博物館」のモデル自体を見なおそうとする議論を横目で興味深く見る。
10年以上、民立の博物館に関わってきたが、物理的な「場所」へのこだわりが、クレジットへの過剰な執着を呼び起こし、結果的に利用の余地を閉ざしてしまう現象がずっと気になってきた。資料の「保管場所」や「常設の展示スペース」の必要がなくなることはないだろうが、今までのように伝承のすべての機能を、求心的に「物理的博物館」が担う必要はあるのか。
新著はクレジットをすべて処理した上で、オープンソース。資料自体は、誰でも無料で閲覧・ダウンロードできることにこだわった。西尾さんという「一人の体験」の資料群に過ぎないが、原資料を使って、「学びの場」を開くことが「ミュージアム」の役割だとすれば、これも最小単位の「ミュージアム」とは言えないか。ここからどれくらい、「学びの場」を創造できるか、試してみたい。

8月13日(木)

天気|晴れのち雷雨

場所|自宅 (東京都台東区)

環境アーカイブズは、今日から一週間の夏季一斉休暇。大原社研は、授業はないが、学部のような夏休みもない。長かった前期が終わって、ほっと一息つく。
昨日、ブログ公開した本のリリース、手作りした印刷版の、協力者への発送作業で一日過ごす。
夜から鶯谷駅前、根岸の居酒屋「若」。江戸から6代目の女将が主人の店。先代のお寿司屋さんだった時代に訪れたのが縁で、ここ数年店通いが復活する。寿司屋は3代目が吉原で始めたもの。5代目にあたる父が子どものころ東京大空襲があり、言問橋で母親を亡くし、戦後、若くして家を出て根岸に店を開いたので、「すし若」が屋号になったという。芝居のこと、築地の買い出し、磯釣りの話……何気ない雑談のなかに、自分も共有する東京の思い出のカケラが登場する貴重な時間。
オリンピック景気で観光客は増えたはずだが、零細な飲食店の現場が良くなった体感はない。消費税が具体的な実害となることも、この店で知った。店はもう何年も、こういう状況を耐えてきた。そこにコロナが襲って、街は本当に疲弊している。この界隈でも串の歯が抜けるように何軒も閉店した。一方では、小学校跡地の巨大再開発の話がくすぶって、細かな政治や広報媒体が動いているのが気にかかる。
ここに身を置くと、普通に生きているひとたちが、外から持ち込まれる話に一々翻弄されて、悩む姿がよく見える。これ以上、「おかしな街になってくれるなよ」と願うし、大切な場所を守るために、自分も何かしなければと思っている。

8月14日(金)

天気|晴れときどき夕立

場所|自宅 (東京都台東区)→大原社研(東京都町田市)

午前中、歯医者。
午後、8月12日にブログにアップした本『演劇が語りなおすヒストリー』を、TwitterとFacebookでリリースする。共著者のきたむらけんじさん、西尾静子さんもそれぞれ広げてくれて、19時現在、41件のダウンロードがあった。色々な回路で読者が広がるのが見えて面白い。どうやってより深い学びへとナビゲートできるか、考える。
夕方、下谷御隠殿坂から谷中墓地を抜けて上野公園へ。4月からの緊急事態宣言下の日々、毎日のように散歩で通った道。PARK SIDE CAFEのテラス席で、お茶とケーキセット。日が落ちると、風が吹いて意外と気持ちいい。

8月15日(土)

天気|晴れ

場所|自宅 (東京都台東区)

誰もいない御隠殿坂の景色が撮りたくなって、早朝外に出る。考えてみたら涼しいうちはかえってウオーキングするひとがたくさんいて、良かったのか悪かったのか。
午後、散髪。そのあと半日、本を読みながらぼーっと過ごす。
御隠殿坂は、上野から谷中墓地に沿って、寛永寺住職輪王寺宮法親王の別邸御隠殿に行くために作られた。上野の山一帯は、戊辰戦争で彰義隊の戦いの場所になった。御隠殿はこの時焼失し、そこへ続く道だけを残して今は跡形もない。いつ誰が切り殺されてもおかしくない内乱状態の中、戦争を回避するぎりぎりの交渉で江戸は大きな戦火を免れた。それを引き継ぐ新政府の国づくりは、70数年後、軍事大国を目指した果ての敗戦に帰結した。それから75年が経ち、今日を迎える。
すぐ隣の芋坂は彰義隊士が敗走した道として知られ、たもとの老舗「羽二重団子」には彼らの投げ捨てた刀槍が残る。その向かいで彰義隊の屯所となった善性寺には、戦死した隊士の墓がある。その場所に立って耳を澄ますと、サクサクと向こう側からこの坂を駆けおりる彼らの不思議な足音が聞こえるような気がする。

8月16日(日)

天気|晴れ

場所|自宅 (東京都台東区)→東京大空襲・戦災資料センター(江東区)

オンラインイベント出演のため、戦災資料センターに出る。空襲体験者の二瓶治代さんを中心に10数年続けてきた夏休みの特別企画。体験者の西尾静子さん、白石哲三さんとも会う。ガイド役は全員女性の学生グループI Peace(アイピース)。いまの時代の継承の縮図がここにある。
今年は新型コロナウィルスの流行で集まることができず、オンラインに切り替えた。カメラが回り台本が生まれると、想像以上に脱線の自由がきかなくなる。言葉で説明する必要が高まって、絵が映っていてもずっと「話」を聞いているような印象になるのは気のせいか。言葉に直せないから「展示」しているという立場で見ると、これもオンライン発信の課題と感じる。