Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2020

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2020

9

9月21日-27日
榎本千賀子(写真家/フォトアーキビスト)

9月21日(月・祝)

天気|曇り

場所|東京の自宅(杉並区)より区内各所を自転車で巡る

鋭い小さな痛みで目覚める。先月から飼い始めた子犬のイクが、腕と言わず足と言わず、手当たり次第に噛んでいる。赤城山麓の野犬が牛糞の上に産み落としたイクは、瓜二つの妹とともに生後2ヶ月で保健所に捕獲されたと聞いた。蝙蝠(こうもり)の翼を思わせる大きな耳に、ひょろりと細長い手足で跳ね回る黒犬は、現在4ヶ月。「遊べ!」とばかりに甘噛みを繰り返すイクを叱りつつ、夫とふたり急いで着替え、イクを川沿いまで散歩に連れ出す。
朝食を済ませて午前中は夫方の墓の草取りへ。昨日お彼岸の墓参りへ行ったところ、我が家の墓は見事に草に埋もれていた。しかし生憎の雨に加えて、高齢の義母とイクも一緒だったため、その場では手が出せない。そこで今日、改めて夫婦のみで寺へ。生い茂った草をひたすら抜く。覚醒時の言語で夢を捕まえる困難について夫が話すのを面白く聞く。しゃがみっぱなしの作業に、夫は立ちくらみ、私は腰痛。
午後は私の実家方の墓へ。新型コロナ感染症が流行し始めて間もない3月、私は長く共に暮らした祖母を亡くした。その祖母が眠る墓。葬儀当日に発熱し、その後も体調不良が続いたために、私は葬儀や法事には参加できなかった。とはいえ、私は幸運にも亡くなる当日の祖母に会っている。それで納得できたのだろう、私は異例なものとなった喪の時間を、それなりに受け入れている。しかし、お彼岸の賑わいを目にして、時と場を共にするという人の基本的な営みを通じて広がる感染症を、私たちの有限な生に折り合わせる困難を再び考えてしまう。私のもうひとりの祖母は、末期がんで入院中だ。病状は安定しているが、彼女は3月から家族・友人の誰とも会えていない。墓の前で母、妹一家と落ち合い、4歳になる姪っ子の手を引いて実家に向かう。
17時頃自宅に戻り、遊びに来た義兄と夕食。義兄には離れて暮らす一人娘がいる。彼女の話題で盛り上がるテーブルの下で、イクが人の足を狙っている。

9月22日(火・祝)

天気|晴れのち曇り

場所|東京の自宅(杉並区)から奥会津の自宅(福島県金山町)へ

6時前からイクが騒ぎ出す。昨晩遅くまで作業していたからか、ひどく眠い。私は布団をかぶって無視を決め込み、朝の散歩は夫に任せる。
8時頃起き出して机に向かっていると、散歩から帰った夫が再びベッドに転がって寝息を立て始める。しばらくして目覚めた夫は、今見たばかりの夢の内容を語りだす。「千賀子さんなんだけど、千賀子さんじゃないの」夢の私は全くの別人で、家には大勢の見知らぬ撮影隊が上がり込んでいたらしい。目覚める直前、夫は家に上がり込んだ人々に、出ていってくれと泣きながら怒っていたのだそうだ。
遅い朝食を一人でとってから荷造り。今日は夫に奥会津の家まで送ってもらう。車に荷物を詰め込んで、長距離ドライブの前にイクをもう一度散歩に連れ出す。歩き終えて家に戻ろうとしたその時、見覚えのない女性がイクを触っても良いかと声をかけてきた。どうぞと応えると、彼女は身を屈めて抱きしめるようにイクを撫で、愛おしむように「家に連れて帰りたい」とつぶやく。彼女は飼い犬を2年前に亡くし、それからは動物を飼っていないらしい。私たちが2年前に亡くした先代の犬「キツミ」のことも、散歩姿を見掛けて覚えていると彼女は言う。友人がイクをアヌビスに似ていると評していたが、冥界の神・アヌビスに似た子犬が、死んだ犬の思い出を呼び寄せている。
昼食前に出発。奥会津の自宅へ向かう。夫のiPhoneに入った音楽をシャッフル再生しながらの走行。リゲティがかかる度に、寝ていたイクが驚いて顔を上げる。私の夫・菅谷昌弘は作曲家だ。夫は自分がラジオドラマなどのために作曲した曲がかかると、作曲当時の思い出を聞かせてくれる。
塩原で休憩。箒川沿いの遊歩道でイクを散歩させる。イクは河原に降りる階段を見つけて駆け下りる。昨日までは自力では階段を上り下りできなかったはずだ。イクはそのまま河原を突っ走り、浅瀬に飛び込んで跳ね回る。こういうことが好きな子だったんだね、と夫と話す。
夕飯前に金山着。温泉に寄ってから自宅へ。温泉が効いたのか、すぐに眠くなって寝てしまう。

9月23日(水)

天気|曇り

場所|奥会津の自宅(福島県金山町)から新潟の自宅(新潟市中央区)へ

起き出したイクが、畳んであった服を咥えて走り回る。夫に急かされ、すぐに散歩へ。
自宅を借りている大志の隣、中川集落まで歩く。中川にはリキという馴染みのシベリアンハスキーの老犬が居る。そのリキの家まで行ってみることにする。とはいえ犬同士の反応は読めず、当初は遠巻きに見るだけのつもりだった。しかしリキの傍へ来てみると、意外にもイクはリキを怖がらず、リキもイクを嫌がらない。そこでゆっくり2匹を近づけると、イクはころりと横になってお腹を見せ、リキは興奮してよだれを垂らしながらイクの体を嗅ぎ回る。リキの飼い主も出てきて、2匹の対面の様子を一緒に眺める。イクはさんざんはしゃぎ回り、リキはぶんぶん尾を振ってそれに応えている。飼い主は、リキをシャンプーに連れて行くのが大変なのだと言っていた。
リキと別れ、家に戻って朝食。食後、家中の窓を開け放つ。新型コロナ感染症の流行と自分自身の体調によって、今年は年明けから長期にわたってこの家を留守にせざるをえなかった。その後久々に来てみると、家中にカビが発生し、悲惨な状況となっていた。それから私は、時折この家に泊まって室内の空気を入れ替えることにしている。
その後、Zoomでの研究会に参加。研究会の最後、町の防災無線のチャイムが鳴り響いて慌ててマイクをオフにする。昼は道の駅の食堂でお蕎麦。調査への協力を依頼したHさんがちょうど夫婦で食事に来ていて、ご挨拶。案内をお願いしたいところがあるけれど、屋外ならばお話を聞くことは可能ですかと聞くと、Hさんは「この辺の人はコロナなんかかからないよ、お酒で洗い流しちゃうもの」と冗談を言って笑った。
昼食後に夫、イクと別れて、金山の家に駐めてあった私の車でひとり新潟へ。途中、阿賀野川沿いで少し撮影してから、大学に向かう。久しぶりの対面会議では、学生のメンタルヘルスや、対面授業の一部再開などが話題となる。20時過ぎに新潟の自宅へ戻る。

9月24日(木)

天気|曇り時々雨

場所|新潟の自宅(新潟市中央区)から五泉市へ

朝一番で溜まった洗濯物を片付ける。奥会津の自宅の洗濯機が壊れてしまい、寝具やタオルなどをすべて新潟に運んで洗っているため、結構な量になる。干した洗濯物がはためくベランダを見ながら仕事。半袖のTシャツ1枚では肌寒い日。
東京、新潟、金山町を往復する生活を、私は7月頃より再開した。自分自身でできる感染予防策は、もちろんとっているつもりだ。しかし、自分が感染し誰かにうつす可能性をゼロにはできない。うっすらとした不安を、私はいつもどこかに感じている。
東京の家には高齢の義母が居て夫は長期間家を留守にすることはできず、私の仕事場は新潟と金山町にある。そして夫と私の間には、22歳の年齢差がある。私たちが結婚することを決めたのは、共に暮らせる時間に限りがあることを意識せずにはいられなかったこと、しかし離れて暮らさねばならない時間が長くなる可能性が高かったこと、この2点によるところが大きかった。私たち夫婦にとって結婚とは、制度の裏付けがなければ分かりにくい2人の関係性と、共に過ごす時間の必要性を、社会に向けて示すものでもあった。感染症が流行する以前は、こうした事情は十分理解・尊重してもらえるものだったと思う。しかし、今の状況下でこうした事情は、どのように受け止められるものなのだろうか。
午後から撮影。この春から、阿賀野川沿岸を少しずつ撮影している。私がフィールドにしている金山町と新潟は、川によって結ばれている。現在の川は階段状に作られた水力発電ダムによって分断されているが、かつてこの川の流域は鮭がさかのぼり、人やモノを載せた船が行き来し、筏(いかだ)に組まれた材木が流されることで、連続した世界となっていた。そうした世界の現在を、まずは歩いてみる。今日は早出川と阿賀野川の合流点へ。しかし、どこに車を駐めようかと迷ううちに、雨がぱらつき、体が揺さぶられるほどの風。また明日以降、何度かここに来なければならない。

9月25日(金)

天気|雨のち曇り

場所|新潟の自宅(新潟市中央区)

朝から雨。生理痛が辛く、仕事がなかなか手につかない。今日はもう仕方ないと諦め、せめて読書を進めようと、第3部後半をわずかに残したままにしていた石牟礼道子『苦海浄土』を開く。読みはじめてすぐに、この作品が女性水俣病患者の月経に繰り返し触れていたことを思い出す。自分自身の抱える腹痛に導かれ、第3部を一旦読み終えてからこれらの箇所を振り返る。
例えば、今日読んだばかりの第3部第7章。訴訟派患者・淵上マサエの死に際して回想される、かつて彼女が胎児性水俣病患者である娘・一二枝について語った次の言葉。

寝たきりの一二枝に初潮がはじまったとき
「どげんしても先には死なれん。なあ、うち殺してから死なんば」
自分も大義そうになって来た体をかすかによじってそう云っていた。

また、公害以前の幸福に満ちた漁師の暮らしを、魅惑的な土地の言葉で語る第1部第3章「ゆき女聞き書き」での、坂上ゆきの嘆き。

うちは熊大の先生方に診てもろうとったとですよ。それで大学の先生に、うちの頭は奇病でシンケイどんのごてなってしもうて、もうわからん。せめて月のもんば止めてはいよと頼んだこともありました。止めゃならんげなですね。月のもんを止めたらなお体に悪かちゅうて。うちゃ生理帯も自分で洗うこたできんようになってしもうたっですよ。ほんに恥ずかしか。

性的な成熟の徴である月経は、それ故にこそ、性成熟を迎えてなお「すそまわり」の始末さえままならない胎児性患者の娘とその母や、海上でも陸上でも漁師の妻に期待される役割を果たせなくなってしまった女性患者の苦痛を顕にする。私は自分自身が身体を通して経験してきたあれこれをつらつらと思い出しながら、彼女たちの苦痛のかたちを定めたものについて考える。
夕方まで雨が続き、結局私は今日一日家に閉じこもっていた。夜は来年度に向けた書類作り。来年には新しい感染症との妥当な折り合いの付け方は見つかっているのだろうか。

9月26日(土)

天気|曇りのち雨

場所|新潟の自宅(新潟市中央区)より新潟市西蒲区を経て奥会津の自宅(福島県金山町)へ

お昼前に砂丘館の館長である大倉宏さんと待ち合わせて、西蒲区へ。まずは地元の独立系コンビニで「元気弁当」という名の弁当を買い、溜池である仁箇堤の縁に腰掛けてふたりで腹ごしらえ。今日はこれから新潟大学の原田健一先生と大倉さん、私の3人で、石山与五栄門さんのご遺族に挨拶に伺う。石山さんは、旧巻町職員として郷土史の編纂に携わるとともに、消えゆく潟の風景や潟周辺の人々の暮らしを写真に遺してきた方だ。石山さんが遺したネガフィルムは、今年6月より原田先生が代表を務める地域映像アーカイブ研究センターが預かっている。
素朴な「元気弁当」を頬張りながら、大倉さんがサカウチアミによる鴨猟について話しはじめる。これは、水面から飛び立つ鴨を櫓の上などで待ち伏せし、飛び立ったばかりの鴨がちょうど頭上を通過するときを狙って、Y字型の網を投げかけるという猟だ。石山さんもこの猟に関心を持ち、仁箇堤で猟を撮影したのだという。そんな話をする間にも、3羽の鴨がやって来て、螺旋を描いて下降し、目の前の水面に浮かぶ。たしかにここなら、鴨を捕まえるに丁度良さそうだ。このような投網による鴨猟はかつては全国で行われていたが、今では石川県と種子島に残るのみだと大倉さんは言う。
原田先生と合流し、石山さんのお宅へ。最近ご病気をされたという石山さんの息子さんにも、お話を聞くことができた。その後、これまで石山さんのフィルムを保管・管理していた斎藤文夫さんにもご挨拶。私たちはお預かりした石山さんの写真をデジタル化し、展覧会を開催する計画を立てている。
大倉さん、原田先生と別れて、すぐに金山町へ向けて出発。ぎりぎりまで迷っていたが、明日は仙台に行くことに決めた。仙台写真月間の展示を見ておきたい。金山町の家を中継地にすれば、日帰りも苦ではないだろう。車を走らせていると、阿賀町あたりから雨が激しくなり、土砂降りのなか奥会津の自宅に到着。

9月27日(日)

天気|曇りのち雨のち晴れ

場所|奥会津の自宅(福島県金山町)からSARP(仙台市)へ

昨夜遅くに奥会津の自宅で合流した夫、イクとともに朝寝坊。ともあれ散歩へ。中川のリキのところまで歩く。イクはリキの家への道順を覚えたらしく、自分からずんずん歩いてゆく。顔を合わせるなり尻尾を振って匂いを嗅ぎ合う2匹。もうすっかり馴染みの様子。リキと別れて家に戻り、仙台へ向けて出発。
SARPで開催中の仙台写真月間へ。仙台写真月間は、東北を拠点に活動する写真家たちが中心となって運営する、年に一度の写真の連続展である。私自身も過去2回参加したが、年齢もキャリアも方法も様々な写真家が集まり、自由で継続的な発表の場を守っているということに、私は勇気づけられるような気がしたものだった。
今回のめあては「公開編集室 細倉を記録した寺崎英子の遺したフィルム」展。「公開編集室」を掲げるこの企画は、細倉鉱山の閉山が発表された1986年頃より細倉の町を撮影し続けてきた故・寺崎英子さんの仕事を写真集にまとめることを目指し、会期を通して編集作業を行うというものである。編集作業が進むにつれて会場は毎日変化したそうだが、展示最終日である今日は、完成した編集案が壁を巡り、選から漏れた写真が床に並んでいる。
この展示企画の中心となった写真家の小岩勉さんに、選から漏れて床に並べられている写真がかえって気になると夫が話している。ひとつの選択をしたことで、その選択以前には気付けなかった別の可能性が鮮明に見え始めるということを、写真を編集していて私もよく経験する。創造の不思議はそんなところにあるのかもしれない。
小岩さん、仙台の友人にイクを紹介し、夕暮れの青に沈みはじめた仙台を後にする。夫が運転する夜の高速道路、磐梯河東ICを過ぎたあたりで、視界が一挙に開け、会津若松の町の灯が目に入る。町なかを歩く時よりも、はるかに「都市」を感じさせる光の海。山から会津盆地に降りると、いつもはっとさせられるその「都市」の姿に今日も驚きながら、私は眠気にとらわれてゆく。