Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

オーストラリアでの311

だゆう

私は2011年に介護の専門学校に通っていました。その学校の制度でオーストラリアの看護施設に見学に行き、ホームステイするという企画に応募し採用されました。

馬の調教をしているブルースさんという強面のおじさんのおうちにホームステイしていたさなか、3.11の地震が起こりました。部屋にいたところ、「ちょっと来て!」と奥さんに呼ばれ、リビングにいくとテレビにはニュース番組のようでしたが日本の地図が映っていました。そこで点滅している光は東北の方。映像が流れ、大きな津波の映像が流されました。

しばらく茫然としてみていた私を、ステイ先のファミリーは慰めてくれました。その後、家族と連絡がつき、新潟の実家、東京の友人と大きな被害はないことが確認できほっとしたのを覚えています。遠く離れた異国でも、メインはずっと地震のニュースでした。それだけ大きなインパクトだったのだと思います。

数日後、街中の売店で店員のおばさんに「日本から? 家族は大丈夫だった? 元気を出してね」と励まされたりしました。帰国が延期になり、空港のホテルで1日滞在してる中、一緒にホームステイに来ていたクラスメイトに「帰ったら日本地獄ですね」と冗談っぽく、さらっと言われたのがとても印象的でした。

自己紹介や手記の背景

介護職をしている30代男性です。特に身内に被害もなく、ニュースでしか東北のことを知らなかったのが何かはがゆさを感じている。自分にとっての311を振り返ってみました。

オーストラリアでの311

だゆう

自己紹介や手記の背景

介護職をしている30代男性です。特に身内に被害もなく、ニュースでしか東北のことを知らなかったのが何かはがゆさを感じている。自分にとっての311を振り返ってみました。

連載東北から
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