Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2021

3

3月8日-13日
佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

3月8日(月)

天気|雨のち曇り

場所|秋葉原

朝から寒い。天気予報の最高気温も10度以下。心なしか連日猛威をふるう花粉も弱まっているように思える。雨のなか家を出る。電車で『二重のまち/交代地のうた』を読み進める。これまでの小森はるか+瀬尾夏美の作品や瀬尾さんの文章に現れてきた人たちの姿が思い浮かぶ。きっと同じ人なのだろう。それでも、こうやってかたちを変えて出会うたびに、その人の輪郭が変化するようだ。あの人のようで、誰かでもある。ひとりの人の経験を語り切ることができないように、聞き切ることもできないのだろう。だから、何度でも語ってもいいし、読み直していく必要もある。

「震災から10年」。3月に入ってから急に、この言葉を見聞きすることが増えた。この時期の震災報道は例年のことだけど、今年はなんだか気持ちが落ち着かない。真っ当に目を向けることができない。SNSを開くのも億劫になってしまった。こんなのは初めてだ。理由はわからない。この一年、何度も「10年目」のことを考えてきたからなのだろうか。
Art Support Tohoku-Tokyo(ASTT)が10年で一区切りがつくという話は数年前から出ていた。2020年度は震災から10年目のイベントや報道が多くなるだろうから、この事業らしい実態の伴った10年目の取り組みがしたい。そう思ったとき、ふたつの方向性を思い描いた。
ひとつが震災後に東北の地で育まれた生態系のような人々のネットワークを生かすこと、もうひとつが震災の経験をほかの厄災と重ねることで見えてくるものを広く発信していくこと。そんな「場」づくりを計画していた矢先に新型コロナウイルスの感染拡大がはじまった。目的をずらさずに、手法をオンラインに変えて、2020年6月にウェブサイト『Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021』を立ち上げた。

そうして実際に10年目を迎えてみれば、コロナの影響もあり、すっかり震災の話題は鳴りを潜めてしまったように感じていた。これだったら、むしろ、きちんと「10年目」の節目をアナウンスする役割を担ったほうがいいのではないだろうか? それがないと、これまでの10年は、これからまったく語られなくなってしまうのではないだろうか? そんな危機感すらもちはじめていた。でも、3月になって震災の話題は一気に増えた。あればあったで、こうじゃないのではないかと思ってしまうから、ややこしい。

緊急事態宣言が3月21日まで再延長した。3331 Arts ChiyodaでSTUDIO302の講習会に参加する。Tokyo Art Research Lab(TARL)のレクチャールームやアーカイブセンターとして使っていたROOM302は、今年度早々にZoomやYouTubeのライブ配信が出来るスタジオになった。その改修を担当した岩沢兄弟の弟・岩沢卓さんに新たな機材の使い方を学ぶ。途中で卓さんが、この一年で多くの人たちがZoomに慣れてしまったことに対する驚きを語っていた。複数の人たちがひとつの画面で会って話すことがあたりまえになっている。すごく大きな変化なのではないか、と。そういえば初めてZoomを使ったのは、いつだったろうか? そのとき、どんなことを思ったっけ? おそらく昨年のことなのだけど、もう覚えていない。

夜になって仙台在住のヒップホップユニットGAGLEが新曲『I feel, I will』を発表した。YouTubeで繰り返し、聴く。「無理に打たなくていい 10年でピリオド」。

3月9日(火)

天気|曇り

場所|自宅

今日も冷える。終日在宅勤務。3月11日にウェブサイトに掲載するASTTからのメッセージを書く。だいぶ前から予定はしていたけれど、書き出しに悩み、ぎりぎりになってしまった。哀悼の意、お悔やみ、お見舞い……。これまで出会った人や見聞きしたことを思い出すと、状況がばらばらで、どの言葉もしっくりこない気がしてくる。えいやっと書き切って、確認にまわす。

午前はTARL「東京プロジェクトスタディ」のZoomミーティング。来年度の内容を検討する。来年度でスタディも4年目を迎える。これまでの経験を踏まえて、セカンドシーズンに突入の予感。

午後イチに各事業のドキュメントを年度末にまとめて郵送する箱とレターのデザインをZoomで議論する。東京アートポイント計画、TARL、ASTTでは年間十数冊のドキュメントを制作している。この数年、その一式の「届け方」をデザイナーの川村格夫さんとつくってきた。納期と睨めっこしながら、仕様を検討していく。何度もカレンダーを見返し、時間のなさに愕然とする。早くはじめたつもりでも、あっという間に進行に余裕がなくなっている。妖怪年度末は、どこにでも現れる。

週末の「10年目をきくラジオ モノノーク」に向けて出演予定の手記執筆者の方に連絡し、当日のスケジュール調整を行う。この頃は請求書の手配など支払い関係のやりとりも多い。細々とした事務作業をしていると、一日が終わってしまう。

再来週に納品予定の『FIELD RECORDING vol.05』と『震災後、地図を片手に歩きはじめる』の送付先を洗い出す。ASTTの最後の送付物になるだけに、これまでかかわりのあった人たちに、できるかぎり送れるといいなと思う。記憶をたどりながら、いろんな人の顔を思い出す。

3月10日(水)

天気|曇り

場所|市ヶ谷→自宅

昨夜から東京大空襲の記事をちらほらと目にする。1945年3月10日の東京大空襲から76年が経つ。この出来事が気にかかるようになったのは、数年前から。「東京プロジェクトスタディ」で東京大空襲・戦災資料センターを訪れたことがきっかけだった。そのときは前館長の早乙女勝元さんと学芸員の山本唯人さんに話を伺った。早乙女さんの作家であり、体験者でもある言葉の強さ。戦争未体験の世代として研究活動に裏付けられた山本さんの言葉の精緻さ。ふたりの語りを、いまもよく思い出す。

在宅勤務の予定だったけれど、書類の直しや細々したミーティングが必要になり、朝から出社する。メールの打ち返しも多い。年度末までに終わらせるべきことと、来年度をはじめるためにすべきことが折り重なって、次々とタスクが投下されてくる。忙しい。

午後、在宅勤務に移行する道すがら、有楽町 micro FOOD&IDEA MARKETでNPO法人インビジブルが企画した展示「はなれていてもおとなりさん」に寄る。ASTTで発行した『6年目の風景をきく』と『FIELD RECORDING』のバックナンバーを紹介してもらっている。自宅に着いてすぐに神戸の新聞記者の方から「10年目の手記」の電話取材を受ける。とにかく、慌ただしい。

この時期は静かに過ごそうと思いつつ、ばたばたしてしまう。弔いのために時間をとれないほど、忙しい生活をしてはいけない。そう心に刻んだはずなのに。今年もまた反省をする。

「僕は向こう十年くらい、あちこちの家やビルの前に黒い旗が掲げられていてもいいと思ってる。もちろん半旗になっていてもいいし、僕自身喪章を巻いて暮らしたっていい」
「え、いきなり話が変わってるけど?」
「僕にとってはつながってるよ」
「そうなの? じゃあ続けて」

(いとうせいこう『想像ラジオ』河出書房新社、2015年より)

3月11日(木)

天気|晴れ

場所|市ヶ谷

東日本大震災から10年目の3月11日になった。だからといって、特別に誰かに会ったり、どこかへ行ったりする予定はない。朝から市ヶ谷のオフィスに出社する。ここ最近は在宅より出社する日の割合も多くなってきた。

パソコンの画面に向かう。今日はひときわ花粉の症状がひどい。鼻をかみ続け、頭も痛くなってきた。14時からは北海道テレビのYouTubeでの震災特番を流しながら作業をする。番組内で「10年目の手記」が3本朗読された。照明が落とされ、うっすらと流れる穏やかなBGMを背景にアナウンサーの方がゆっくりと抑揚をつけて手記を声に出す。これまでモノノークで聴いてきた「10年目の手記」の朗読との印象の違いに驚く。どちらかの内容がいいということでなく、メディアによって、それぞれの話法があるのだろうなと思う。その話法を複数もてるかどうかが、社会的にある出来事の記憶を共有するためには必要なのだろう。14時46分はYouTubeの画面の向こう側にいる人たちと一緒に黙祷をする。

岩手県釜石市では「とうほくのこよみのよぶね」が無事に海に浮かびそうだ。岸辺に並ぶ「3.11」をかたどった行燈型の船の写真がSNSにアップされていた。アーティストの日比野克彦さんが岐阜の長良川ではじめた「こよみのよぶね」。その岐阜のメンバーと釜石市やその隣の大槌町の人たちが手を携え、「とうほくのこよみのよぶね」は毎年続けられてきた。これまで風が強く海に浮かべることを断念した年が何度もあった。昨年は新型コロナウイルスの影響で企画自体を変えることになった。

夜になって、灯りのともった「3.11」の船が、海に浮かぶ映像がアップされていた。その背景には、一輪の大きな花火もあがっていた。

3月12日(金)

天気|晴れ

場所|国立→市ヶ谷

国立に次年度の事業打ち合わせへ。朝から会議用の書類を整理し、移動中もパソコンに向かう。手元には相手方の行政が意図する枠組みで整理されたA4一枚のペーパーがあり、現場を担うメンバーがプロジェクトの構想を描いた複数頁の企画書がある。それを縫合する目次のような一枚の事業計画書を用意する。書面の「行間」は、事前にヒアリングし、書類にはこちらの意図も入れ込んでいく。これで前提にずれがないかを確認し、意思決定が出来る人がいる限られた時間で話が微に入り過ぎないようにすることを狙う。立場の異なる人たちが、新たな事業の共通認識づくりができる会議進行をイメージする。

国立市の公共ホールの広々としたギャラリースペースで距離をとって、10人が机を囲む。会議直前に進行役の行政担当の方に、こちらの想定と用意した書類の意図を伝える。いいスタートが切れれば、議論の内容が想定外になってもいい。この場に集って議論を交わした意味が生まれる。会議終了後に議論を実務に落とすメンバーで残って少し話をする。今後の手続きをすり合わせる。その作業のなかで、それぞれの議論の受け止め方を確認する……。

あぁ、いつもの仕事だなと思う反面、この一年はオンラインミーティングが増えていたから、対面のやりとりに、ひさしぶりの感覚をもつ。面と向かってのコミュニケーションは全方位的で身体をよく使う。

3月13日(土)

天気|どしゃぶりの雨

場所|仙台

「10年目をきくラジオ モノノーク」の最終回に立ち会うため、朝から仙台に向かう。東北新幹線は徐行運転。2月13日の地震の影響が残っている。いつもより時間がかかりながら、仙台に到着。

せんだい3.11メモリアル交流館の企画展「わたしは思い出す 10年間の子育てからさぐる震災のかたち」に立ち寄る。仙台在住のかおりさん(仮名)の10年の育児日記をもとにつくられた展覧会。入り口からはじまる真っ白な壁面には、日数を示す数字と「わたしは思い出す」に続く一文が淡々と記されている。かおりさんのインタビューを収録したハンドアウトがあり、座って読むこともできる。時折、生活音が流れる。視覚的な情報はない。それでも、かおりさんの日常の断片に触れているだけで、自然と自分の経験を思い出したり、かおりさんの生活の風景がイメージとして立ち上がってきたりする。企画したAHA!の松本篤さんと水野雄太さんに短く挨拶をして、せんだいメディアテークに移動する。

モノノークの現場に到着すると、すでに会場の機材セットは終わっていた。進行台本をもとに全員で今日の進め方を確認する。いつもより配信時間は長く、何パートにも分けて「10年目の手記」を腑分けしていくような構成も初めて。ひとつひとつ確認していくだけで、あっという間に本番開始の時間になる。

パーソナリティの瀬尾さんが語りはじめ、番組の構成を担当してきた中村大地さんが話を受ける。「10年目の手記」の選考にかかわった阪神大震災を記録し続ける会の高森順子さんとコメントを交わす。手記の朗読音源を聴き、執筆者の方に直接話を伺う。民話採訪者で、特別選考委員を務めてくださった小野和子さんが合流する。朗読した俳優の方に話をきく。もうひとりのパーソナリティの桃生和成さんが遅れて参加する……。目の前で交差する声に、何度も鳥肌が立つ。

仙台には震災後に育まれた独自の文化的な生態系がある。それに乗っかるようにしてモノノークは生まれた企画ともいえる。そして、図らずも、その生態系の種を蒔いたせんだいメディアテークで迎えた最終回。この10年に耕された土壌の豊かさを実感するとともに、これからの10年の行く末が頭をよぎる。もっとやれることはある。

心地よい疲労感なのか、高揚感なのか、配信開始から2時間を過ぎる頃からぼんやりとしてしまう。こうやってフィジカルな現場に立つ体力も失われているのかもしれない。熱に浮かされるように東北新幹線に乗り込み、帰宅する。

3月14日(日)

天気|晴れ

場所|自宅

窓から入ってくる光が気持ちいい快晴。でも、窓は開けない。花粉がとんでもない威力を発揮している。昨日のモノノークの余韻に浸りながら、ぼんやりと夕方まで過ごす。外出しない週末にも、すっかり慣れてしまった。

このウェブサイト(『Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021』)のアクセス数は3月1日頃から急に増えた。正確には年明けからアクセス数は上がっていた。そして、3月11日は前日の倍近くの伸びを見せた。そして、12日以降は急激な下降線をたどっている。わかってはいたけれど、数字とグラフを目にすると、その事実をぐっと突きつけられた気持ちになる。

3月11日にASTTの事業終了をアーツカウンシル東京のウェブサイトでアナウンスした。たとえ事業が終わったとしても、震災後の東北での日常は続く。まだ終わっていない課題も多いし、これから取り組まなければならないこともある。この10年で培った関係性は、ぱっと断ち切れるものではない。それでも、きちんと終わることも、次をはじめるためには必要なのだと、いまは思う。

これでリレー日記はおしまい。また明日から新しい一週間がはじまる。

バックナンバー

2020

6

  • 是恒さくら(美術家)
  • 萩原雄太(演出家)
  • 岩根 愛(写真家)
  • 中﨑 透(美術家)
  • 高橋瑞木(キュレーター)

2020

7

  • 大吹哲也(NPO法人いわて連携復興センター 常務理事/事務局長)
  • 村上 慧(アーティスト)
  • 村上しほり(都市史・建築史研究者)
  • きむらとしろうじんじん(美術家)

2020

8

  • 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館 学芸員)
  • 山本唯人(社会学者/キュレイター)
  • 谷山恭子(アーティスト)
  • 鈴木 拓(boxes Inc. 代表)
  • 清水裕貴(写真家/小説家)

2020

9

  • 西村佳哲(リビングワールド 代表)
  • 遠藤一郎(カッパ師匠)
  • 榎本千賀子(写真家/フォトアーキビスト)
  • 山内宏泰(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)

2020

10

  • 木村敦子(クリエイティブディレクター/アートディレクター/編集者)
  • 矢部佳宏(西会津国際芸術村 ディレクター)
  • 木田修作(テレビユー福島 報道部 記者)
  • 北澤 潤(美術家)

2020

11

  • 清水チナツ(インディペンデント・キュレーター/PUMPQUAKES)
  • 三澤真也(ソコカシコ 店主)
  • 相澤久美(建築家/編集者/プロデューサー)
  • 竹久 侑(水戸芸術館 現代美術センター 主任学芸員)
  • 中村 茜(precog 代表取締役)

2020

12

  • 安川雄基(合同会社アトリエカフエ 代表社員)
  • 西大立目祥子(ライター)
  • 手塚夏子(ダンサー/振付家)
  • 森 司(アーツカウンシル東京 事業推進室 事業調整課長)

2021

1

  • モリテツヤ(汽水空港 店主)
  • 照屋勇賢(アーティスト)
  • 柳谷理紗(仙台市役所 防災環境都市・震災復興室)
  • 岩名泰岳(画家/<蜜ノ木>)

2021

2

  • 谷津智里(編集者/ライター)
  • 大小島真木(画家/アーティスト)
  • 田代光恵(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 国内事業部 プログラムマネージャー)
  • 宮前良平(災害心理学者)

2021

3

  • 坂本顕子(熊本市現代美術館 学芸員)
  • 佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

特集10年目の
わたしたち