瀬尾夏美《暗いまちはうそつき》2021年
地震の時のことはよく覚えている
というよりわたしはもはや、それ以外のことをよく覚えていない
あれは6時間目の理科のテストを解いているときに、
ふと、クラスメイトの数人が顔をあげた
それを不思議に思った瞬間、大きく揺れた
みんなすぐに机の下に隠れた
わたしも机の脚を握りながら、
あちこちから飛んでくる悲鳴やざわめきを聞いていた
先生が何も言わずにロッカーの上の水槽を押さえているのを見て、
大変なことが起きていると先生も思っているのだな、ということだけわかった
揺れが収まって廊下に並んだとき、それまでにないくらいシンとしていた
あの日はたしか4時間目の終わりに防災訓練があったから、
本物が来ちゃったじゃんという気持ちがみんなにあって、
だからよけいに怖かった
そのあと校庭に移動して並び、寒さでガタガタ震えながら、
飼ってるインコは大丈夫かなとか、
家がなくなっちゃったんじゃないかとか、
家族はちゃんと生きてるかなとか、
みんなで肩を寄せ合って不安を爆発させた
ずいぶん時間が経ってから校長先生が壇上にあらわれて、
開口一番、訓練の通り行動できて偉いと褒められたので気が抜けた
そして、この地震の震度と、
震源地は“東北”で、そこには津波が来ているということを告げた
“東北”?
授業で聞いたことがあるけどそれがどこかはよくわからない
でも“東北”が大変だということは覚えておこう
母がわりと早く迎えにきたので、
先に行ってごめんね、また絶対会えるからねって、
ほとんど泣きながらみんなと別れた
母は地震のとき兄の保護者会に出ていて、
屋上のプールから水がじゃんじゃん溢れてきたのでこれは大変だと思った、と言った
帰り道の商店街ではとにかくたくさんの人が外に出ていて、
やっぱり何かが起きてしまったんだと思うと怖くてまた泣けた
だけどここはその中心ではない
地面も割れていないし、火事にもなってはいないのだから
家に着くと、兄と祖父母が居間のテレビでニュースを見ていた
黒々とした大きな塊がちいさな車を追いかけている
わたしはとにかく逃げて逃げてと念じていたけれど、
次の瞬間画面は切り替わり、こわばったアナウンサーの顔が映しだされた
津波だよ、と祖父が告げた
みんなシンとしたままテレビを見ているしかない
夜になると海の上が真っ赤に燃えはじめて、
わたしはもうやめてあげてと叫びたくなりながら、
この火はほんとうに消えるのだろうか、と思っていた
その後まちは暗くなった
電気が足りないから協力しようと言って、家の中も暗かった
買い物に行っても何もなくて、
いつまでこうなのと母に聞くと、
それはだれにもわからない、と答えた
電気も食べ物も“東北”から来ていて、
でもその“東北”は、あの通り壊されてしまった
だから、わたしのいる“東京”も空っぽだ
ぜんぶほんとうだった、とわたしは気がついた
オーストラリアで起きた地震も、阪神・淡路大震災も、
テレビや教科書で見た何もかもがほんとうだった
わたしの足もととたしかな地続きに“東北”があって、
その“東北”が大変なのに、
“東京”のわたしたちはふつうの生活をしようとしていて、
なんてズルをしてるんだろうと思った
でもわたしはこどもだから何もできなくて、
何かできるはずの大人は困った顔をしているだけだから怒りが湧いてくる
でもこれ以上困らせてもしかたないから、わたしは黙っていることにした
そして、10年後にはきっと何かできる人になろうと決めた
それからわたしは、せめてわたしだけは忘れないでいようと思って、
震災の記事を見つけては切り抜くのが習慣になった
高校生になってからは先輩たちと一緒に被災地に行き、
漁師さんたちの手伝いをしに通うようになった
いつも友だちには偉いねと言われたけれど、
結局何もできないのはあまり変わらなかった
それでも震災のことを言いつづけるのがわたしの役割だと思った
大学二年の春、新型コロナウイルスの感染拡大がはじまったとき、
わたしはもう何も言えないと思った
たくさんの人が亡くなって、
誰もが外にも出られなくなって、
みんながそれぞれ苦しんでいるなかで、
震災について考えてくださいとは言えなかった
ただ、こどもたちが気になった
あのときのわたしみたいに、何かを言いたくても言えないこどもたちのこと
あのときこどもだったわたしは、
部屋の窓から見えるちいさなこどもたちのことを、
せめて気にかけていたいと思っている
こうして自分が大人になりかけてみると、
どうしてもできないこと、変えられないこと、
わからないことがたくさんあると実感するのだけど
でもわたしの人生は、もう震災とは切り離せないから
何もできないなりに、何かをしようということだけは決めている
朗読
執筆後記
東京で震災を経験した彼女が、誰よりも震災のことを言う人に育っているのが不思議で、あらためて話を聞きました。気づいたことのひとつは、こどもだったがゆえにちいさかった彼女の世界に突然震災が入り込んでしまったということ。学校と家族しかなかったはずの世界と、遠く離れた“東北”の震災が強制的に結びついてしまい、以後切り離すことができなくなった。そしてもうひとつは、大人とこども、良いことと悪いことなど、二項対立的な単純さを持った幼い世界観が突然崩されてしまったということ。信頼していた大人や、自分の暮らしている“東京”がいかにズルをしていたかという気づきは、彼女にとって大きなショックだったのだと感じました。しかしこれらは、本来大人になる過程でゆっくりと気づいていくものだと思います。けれど彼女は一瞬で、こどもの時に気づかされてしまった。その苦しさを思いつつも、これからの彼女が描いていくもの、考えていくことが気になっています(瀬尾夏美)。