話題
オープニングトーク/「世界の今日」/「モノノーク」の立ち上げについて/「10年目の手記」お知らせと朗読/「わたしのレコメンど!」/エンディングトーク
6月27日、「10年目を聞くラジオモノノーク」の第0回が放送されました。
パーソナリティはアーティストの瀬尾夏美とNPOの中間支援に携わる桃生和成。
場所は仙台の東北リサーチとアートセンター(TRAC)からお届けします。
モノノークというタイトルは、パーソナリティの桃生の名字「ものう」と瀬尾が代表を務める団体NOOK「のおく」をかけ合わせた造語でもあり、「いろんな物事の奥の奥まで掘り下げていく」という意味もあります。
実は2019年からこっそりと二人でやっていたこの「モノノーク」というラジオがどうして「10年目をきくラジオ」というプログラムになったのかは、また後ほどお話します。
思いも寄らない形で迎えた震災10年目。世界各地からアクセスできるオンラインラジオという媒体を使って、いろんな立場の人の声が混じり合う場にできれば、みなさんとやりとりしながら一緒に考えていく「声の交差点」になればと、番組への意気込みを語る二人。
2時間、いろいろなコーナーが盛りだくさんで進んでいきます。
パーソナリティの桃生和成(左)と瀬尾夏美(右)
最初の放送なので、どのコーナーももちろんはじめて。「世界の今日」では現在メキシコ・オアハカに暮らすインディペンデントキュレーターの清水チナツさんに電話をつなぎました。
放送4日前(6月24日)にM7.7の地震が襲ったオアハカは、先住民族が多く暮らし、土着のお祭りや文化が息づく街。農業や手工業に従事する人が多いことから、清水さんいわく「一年中暑いことをのぞけば、東北に似ているところがある」そうです。
壁画運動が今も盛んなオアハカのリサーチに訪れていた清水さんですが、このコロナ禍で街全体は自粛ムード、近郊への移動も制限されており、なかなか思うような活動は出来ていない様子。しかしこうした状況でもアーティストは時事的なテーマに基づいた壁画を更新し続けていて、街の人々が買い物など僅かな外出の折に壁画を前に立ち止まり、考えを巡らせている様子は、対面で集まって語り合うことができない今、緩やかに連帯する場として機能しているように思えるそうです。
2020年6月24日のオアハカの風景
最後に震災10年によせて、今思うことを伺いました。
清水「もう二度と起こってほしくないことだけれど、時と場所を選ばずに繰り返し襲ってくるのがこういう災厄なのだなと肌身に感じて思うので、そのときに社会やコミニティが以前よりも機能しているようなたくましさを持っていたいなあと思っています。思えば東日本大震災の直後、わたしたちは民主主義のレッスンをしていたのではないかな、と。身近な人や街が失われたことに胸を痛めている人たちにどのように寄り添ったら良いのか、あるいは意見の異なる人たちと共に暮らすにはどうしたらいいのか、対話を重ねながらトライアンドエラーを日々繰り返していたんだと思います。それをどういう風にこれからの暮らしに引き継いでいけるかを考えていきたいですね」
続いてアーツカウンシル東京のプログラムオフィサー佐藤李青さんをお招きして、「10年目をきくラジオ モノノーク」がどうして立ち上がったのかをお話しました。
このラジオは、佐藤さんが担当する被災地支援事業 Art Support Tohoku-Tokyoのプログラムの一つです。はじめはアーティストや被災の現場における文化活動の緊急支援的な位置づけが大きかったのですが、3年5年と時間が経過するなかで徐々に役割が変化していきました。例えば「東北」の動きを東北以外の人に伝えたり、被災三県の人や情報を混ぜ込んでいくような役割を「東京」として担うようになっていたそうです。
そうして迎えた10年目はもともと事業の区切りのタイミング。どんなことをするべきか議論が重ねられてきました。
「事業の10年間を総括するのではなく、10年目だから東北にとって必要な議論だったり、ネットワークをつくっていく必要があるのではないか、あるいは、震災のあとに出てきた経験や技術をより遠くの人に伝えたり共有したりすることが東京の役割なのではないか、ということを去年から議論してきました。当初はミーティングを開いたり、フォーラムを企画していたりしたのですが、このコロナ禍で人が集まれなくなったとき目的を変えないで、オンラインでできることがラジオだった」そうです。
あっという間に時間が来てしまい、まだまだ語りきれない様子の三人。
「10年を“節目”といっても、それぞれの体感とは違う部分はあるかもしれませんが、今までのことを言葉にしたり、まとめて誰かに届けるタイミングとしては良いのかなと。色んな方がこのラジオを使って言葉を形にしたり届けたりしてもらえたらいいなと思います」と佐藤さん。モノノークへの思いはまたあらためて、少しずつ話していけたら。
番組では震災から「10年目の手記」を募集しています。今回は聞いている方々に、手記ってどんなものなのか、具体的にイメージしてもらえたらと思い、手記を1編紹介しました。
紹介するのは、阪神・淡路大震災の経験を綴った手記と書き手のインタビューをまとめた『筆跡をきく』(阪神大震災を記録しつづける会)より、震災で娘さんを亡くされた小西眞希子さんという方が震災から20年後に書いたもの。俳優の村岡佳奈さんによる朗読に耳をすませます。
■ 小西眞希子「生きるという事」の朗読
「人から聞かれて初めて言葉になることがある一方で、自分にとって大切な体験を語るということができる手法だと思うんですよ、手記って。例えば報道では、おそらく亡くなった希さんのことが語られると思うんですけど、小西さんにとっては一緒に暮らしてきた妹の理菜さんという存在もとても大きい。その理菜さんのことについて外の人はなかなか問わないと思うんです。それが手記という形で現れている。そういう生活のなかにある、大きな視点にならないもののほうがもしかしたら隣の人と繋がれる可能性があるんじゃないかと思うんです。ささやかなことだけど、自分自身で書かないとでてこない大切なことを書いてほしいなと思って、この手記を今回読んでもらいました」と瀬尾が話すと、「東日本大震災のとき仙台でも、NPO法人20世紀アーカイブ仙台さんが写真のアーカイブをしていました。あれもマスメディアが扱うものではなくて、そこで暮らしている人が身近なカメラやスマホで撮ったものを発信していたんですが、通じるところがあるというか。普通ではこぼれ落ちそうなものを拾って表現しているという意味では似ているのかなと思いました」と、桃生。
『筆跡をきく 手記執筆者のはなし』(阪神大震災を記録しつづける会、2020年)より。
さらにもう一本。小西さんとはまた別の視点から書かれた文章を瀬尾が朗読しました。
このテキストは東日本大震災当時小学校5年生で、東京出身だった安富奏さんのもの。展覧会『東京スーダラ2019―希望のうたと舞いをつくる』で一部が展示されました。
■「無力感の八年半とさらにこの先一生 安富奏」の朗読
「手記は色んな書き方があります。いなくなった人への手紙のようなひともいれば、日記調のもの、物語のようになっているもの、いろいろあるので、まず自分の体験を言葉にしてほしいです」と瀬尾。
皆さんの応募をおまちしてます!
本日最後のコーナー。みなさんの「レコメンど!」を募集しています。初回の今回はパーソナリティ二人のレコメンドを紹介。
桃生が二人暮らしをしている自身のおばあさん、まさこさんが11年書いていた短歌を、瀬尾はアナログフィッシュの「抱きしめて」という曲を紹介しました。
というわけで、盛りだくさんでお送りした2時間20分。
コメントもたくさんありがとうございました。
次回は7月25日(土)21時からです。お聴きください!
ON AIR曲
■ ゆうき『あたえられたもの』
■ Nami Sato『Gypsophila』
■ アナログフィッシュ『抱きしめて』
(執筆:中村大地)