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特集10年目のわたしたち

こどもだったわたしは

ぼくは海と手をつなぐ

瀬尾夏美《ぼくは海と手をつなぐ》2020年

ものすごい揺れにぼくの胸は高鳴った
数日前から地震が続いていたのを思い出し、
これはいよいよだとわくわくした
悲鳴が聞こえる、泣いている女子がふたりいた
みんなが隠れている机から、教科書とかが飛び出してくる
ぼくはふざけて友だちのノートに落書きをした
たぶんそいつは、いまでも気づいてないと思うけど

最初は体育館に集められた
天井の大きな電灯がグラグラ揺れていて、
こっちにいる方が怖いねって話しながら、みんなその場に整列して親を待った
こどもたちは続々と引き取られていき、
ぼくがすこし不安になったころに津波が来るという話になってまた教室に戻ると、
ちょうど母親が迎えに来た
帰り道にある細い川を通るとき、橋すれすれまで水位が上がっているのを見つけて、
これはやばいぞって笑っていた

家に帰ると中がぐちゃぐちゃで、いろいろなものが壊れていた
それで、しばらく近所に住むいとこの家で過ごすことになった
夜、亡くなった人の名前がラジオからずっと流れていて、
大変なことになっているのだと知った
ぼくといとこは携帯ゲーム機で遊んでいたけど、
それも充電を節約しようとなって電源を切った
電気もつかない暗闇で、ラジオの声だけが響いていた
みんな、話すこともなかったから

まちなかにあった祖父母の家もけっこう壊れたみたいで、
数日後には祖父母もいとこの家に来ることになった
だけど、親戚同士そんなに親しくなかったところに、
みんな地震で不安だし、
食べ物がないし、トイレも流せないしで、
大人たちは険悪になった
非常時だからと言って急に仲良くやれるわけでもない
ぼくといとこは、とにかくいい子にしようと努めた

学校はたしか4月の終わりくらいに再開した
それまでの間は、物資をもらいに行くのを手伝ったり、
壊れたものを片付けなきゃいけなかったりで、
こどももけっこう忙しかった
給食はしばらくコッペパンと牛乳だけだったから、
ときおりジャムがついてくると豪華だと騒いだ

給食の時間にテレビの取材が来たこともあって、
どうしても映りたかったぼくはカメラに近づいた
案の定、給食はどうですか、とマイクを向けられたから、
ぼくは、こんな食事でもうれしいです、と答えた
放送の日、みんなで見ようとテレビの前で待っていたのに、ぼくは見事にカットされた
用意してくれた大人に感謝しています
そう答えた女子が放送されて、これが正解なんだと知った

結果的に、ぼくの小学校では被災した家がなかったから、
震災のことはとくに気にしないまま卒業した
だから、中学校に上がって、
被災した小学校の子たちと一緒になるのがすこし怖かったのを覚えている
でも実際には中学生男子なんて深い話をするわけがないし、
とくに問題はなかった
仮設住宅に住んでいる友だちも出来たけど、
そいつも笑い話みたいにしか話さなかったと思う

そういえば、友だちとチャリに乗って遊んでいた時に、
被災した海辺に着いてしまったことがある
すでに瓦礫は撤去されて工事現場みたいな感じだったけど、
すごく申し訳ないことをした気がして、
ぼくらは猛スピードで引き返した

僕の家は海から6キロしか離れていないけど、海はぜんぜん身近じゃなかった
だって、小学生って学区内だけが世界だから
子どもだけじゃ海には行かないし、
隣の学区に津波が来ても、ぼくらには関係がない
そして、中学生になったときには、地元の海はもう触れちゃいけない場所になっていた
だからぼくはなんとなく、海というものを遠ざけてきたと思う

一年くらい前、地元の海の近くに住んでいた人に連れられて、堤防の上に登った
そこから見た海はめちゃくちゃきれいだったけど、
そう言っていいのか、ぼくにはわからなかった
帰り際にその人が、今日の海はとくにきれいだね、と言ったので、
ぼくはホッとした
それでぼくはこの海と和解したのだ

それからときおりひとりでその場所に行く
いまだに工事が続けられていて、
より人工的に角ばっていく風景をどう感じたらいいのか、
ぼくにはよくわからないけれど
ぼくはいま、ここに来るのが好きだと思う

あのときこどもだったぼくは、いまもまだこどもで、
震災のことをちゃんと考えようという気にはならない
ぼくは、避難所の列に並んでもらう味噌汁のあたたかさを知ってしまっているから、
もうそれ以上に知りたいと思うことがないのかもしれない
それでも世界が広がれば、まだ知りたいことが出てくるような気もして
ぼくはこれから、日本中の海を訪ねる旅に出る

執筆後記

津波の被災エリアから数キロしか離れていないマンションで育った彼は、とても微妙な距離感で“震災”と付き合ってきたのだと感じました。無残に壊れた自宅やどこか頼りない大人の姿を目の当たりにし、この世にはどうしようもないことがあると知ってしまっている “当事者”的な感覚と、家を流された友人との付き合い方や被災した土地の触れ方に惑うという“非当事者”的な感覚の両方を持ちあわせている。震災に対してどう思うかという問いかけには、「自分は体験しているからこそ、わざわざ知りたいとは思わない」との答え。これから旅に出るという彼が、旅先でいくつもの視点を獲得したとき、他者の震災体験や歴史をどのように聞くのか、あるいは、自分の体験やふるさとについてどのように語るのか、とても気になります(瀬尾夏美)。

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