Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

こぼれていく時間を集めて

柳澤マサ

あれから、もう10年が過ぎようとしています。「あの日」が、2011年3月11日であることが、私の中に刻まれました。一年の365日はどの日も「あの日」ですが、東日本大震災のあった日が、自分にとって唯一の「あの日」になりました。「あの日」は何か物事を思い出すとき、「あの日」の前にあったことなのか、「あの日」の後に起きたことだったのかというように、自分の人生に一本の境界線が引かれたようです。たとえば、誰かと初めて会った日を思い出そうとする時、“あぁ、あれは、震災の前の年だった”、とか“あぁ、あれは確か震災の後、2~3年たってからだった”といったふうに、軸となって動きません。本のリボンの栞のようです。

「あの日」は、ここ石巻で東日本大震災を経験しました。私は内陸にある職場にいたため、津波の影響はありませんでした。市街地は津波で行くことができないとの情報を聞いた時、何を意味しているのかわかりませんでした。10日後に戻った自宅は、少し高い土地にあったため、津波の被害を受けていませんでした。家族も無事でした。「あの日」の朝、いつものように近所のネコに「おはよう」と言って街の中心部を車で通って出勤しましたが、10日後に帰って目にした光景は、津波に襲われ別世界になっていました。船やピアノが道に乗り上げ、すべての建物が壊れ泥にまみれていました。世界はこうして終わったのだと思いました。

しかし、終わってはいないのでした。新しい世界の始まりだったのです。私は、言葉を失っていました。愛する家族や親しい友人・知人を亡くした人達、家や会社の建物、そして仕事を失った人たちに、かける言葉が見つかりませんでした。自分が助かったことに、後ろめたさを感じました。震災の犠牲にならず、住居も職場も無事であったことを“申しわけない”とひっそり小声で、隠れるようにささやく人達に出会いました。大切な家族を失くしたり行方不明であったりする人が近くにいる場合、大きな声で話すのをためらい、笑うのを控えたりしていました。私自身も“申しわけない”と思い続けていました。

「あの日」から、なぜか私は道行く人に、話しかけるようになりました。知り合いはもちろんですが、見知らぬ人に「あの日はどこにいたのですか? 何をしていたのですか? 被害はありましたか? ご家族はご無事でしたか? どなたか親しい人を失くされましたか? どの辺にお住まいですか? 今、必要なものは何ですか?」と。突然に、すれ違いざまにこんなことを聞くのは大変失礼ですし、どうして、こんなに聞きたいのか自分でもわかりません。ところが初対面の私に声をかけられ、驚いていた人達が立ち止まって、「あの日」の体験を話してくれたのです。私にとって、「あの日」から離れていく記憶をつなぎ、こぼれていく時間を集める作業だった気がします。多くの人達の話を聞くことは、自分一人の「あの日」ではなく、自分では理解できないあの3月11日の意味を探し求めているのかもしれません。

震災後しばらく抱えていた“申しわけない”という気持ちは、今、生かされたという感謝の気持ちに変わりつつあります。

自己紹介や手記の背景

東日本大震災は宮城県石巻市で体験しました。私は内陸にある職場にいたため、津波の被害はありませんでした。少し高い場所に建つ自宅も被害がなく家族も無事でした。
石巻市で生まれ育ち、ずっと暮らしていた自分の故郷が一瞬にして姿を変えたことは、信じられませんでした。今でも信じられず現実ではないような気がしています。
この10年は何だったのでしょう。本当にあっという間でした。何が変わって何が変わっていないのか自問自答しています。大切な人、大切なもの、大切なことを失った方々に、何も失わなかった自分は何といえばいいのかと考え続けています。
ただ、生かされたことに感謝の気持ちが湧いています。

こぼれていく時間を集めて

柳澤マサ

自己紹介や手記の背景

東日本大震災は宮城県石巻市で体験しました。私は内陸にある職場にいたため、津波の被害はありませんでした。少し高い場所に建つ自宅も被害がなく家族も無事でした。
石巻市で生まれ育ち、ずっと暮らしていた自分の故郷が一瞬にして姿を変えたことは、信じられませんでした。今でも信じられず現実ではないような気がしています。
この10年は何だったのでしょう。本当にあっという間でした。何が変わって何が変わっていないのか自問自答しています。大切な人、大切なもの、大切なことを失った方々に、何も失わなかった自分は何といえばいいのかと考え続けています。
ただ、生かされたことに感謝の気持ちが湧いています。

選考委員のコメント

被災地の遠くに在りながら、それぞれの立場から被災地を見つめ続ける人たち。一方、被災地にありながら、そこで生き続ける人びとの立場も多様である。
地震と津波に襲われながら、家も家族も無傷であった筆者が、「申しわけない」と小声でつぶやきつつ生きる苦しみを吐露する。
やがて、筆者は「あの日、あなたはなにをしていたの?」と、誰彼なく声をかけている自分に気がつく。
静かな文章が心に沁みる(小野和子)。

連載東北から
の便り