Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

こころの記憶 届けたいこの想い

小坂 仁

震災を語り継ぐ人になりたいのです。悲しみの3月11日が過ぎました。
瓦礫が撤去され道路が修理されてもあの人は帰ってきません。
祈りをこめた笹舟が広瀬川に流れてゆきます。母と子を津波に奪われました。
何故私だけが生きているのですか。
イギリスのBBC放送記者を石巻の避難所に案内した時の罹災者の証言です。
女性記者が涙ぐみながらカメラをまわしました。
どうして日本人は思いやりに溢れ、謙虚で慎みぶかいのですか。記者は慈愛の絆で結ばれ寡黙で辛抱強い東北人の心情を垣間見たのかもしれません。
荒浜で波にのまれた竹馬の友はいまだ見つからず悲しみは消えません。
彼は仙台という地名の由来を沖野満蔵寺の千体仏に求め生涯を賭けていました。残念でなりません。街や市民生活の復興があっても失われた命の復活はあるのでしょうか。
弥勒仏の破片が頭に落ち、書籍にうずもれ動くことができなかったあの日が切ない。
でも杖を頼りに神社仏閣のガイドを続けました。
長町の十八夜観音、荒町の満福寺、中田の落合観音の仏像は倒れたのか心配でした。
福島の原発から60キロ近く住んでいる教師の長女は、避難を望まず、「助け励まし合いながら生きることの尊さを教えています」との電話がありました。
まほろばの里、わが福島は現在も放射能に晒され故郷に帰れない人々が呻吟しています。
ノーモアヒロシマの運動にすべてを捧げた若き日を思い出します。震災、原発この現実を今は亡き恩師、井上ひさし先生ならどうなさるだろうか。
核廃絶の道は遠い。地道な活動を子々孫々に継承するのです。未来に希望が持てる社会をつくるのが私達の責務です。
震災の悲劇を魂に刻み後世に伝えるのです。
貞観、慶長の津波、若林の波分け神社を忘れないで下さい。あなたは歴史を忘れても歴史はあなたを忘れないでしょう。
静かに諭される先生の声が聞こえてきます。
滅びゆくわが身も顧みず震災の真実を語り継ぎたいと思いつめています。
さようなら。

自己紹介や手記の背景

私は88才。もの忘れがはげしい認知症。聴覚障害者3級。会津若松野口英世の生家近くの生まれ。
杖を頼りに郊野・荒野の谷間に生きるもろびとの人生物語などを伝える文化財・観光ボランティアの一人です。
人間は過ぎ去った歴史の上に生きています。どうしてもあの大震災の悲惨な悲劇を忘れることができないのです。今でも哀しく涙がこぼれます。
あの日。11日の午後2時15分頃。青葉の仙台城を案内終了後、細い坂道を歩きはじめた時、大地が揺れた。その瞬間、老婦人に抱きつかれ、眼がくらみ共に倒れた。共に助け共に泣いた思い出。
荒浜の波間に消され天に召された畏敬の友は未だみつかりません。未来永劫に忘れられない悲しいあの日のことなのです。

こころの記憶 届けたいこの想い

小坂 仁

自己紹介や手記の背景

私は88才。もの忘れがはげしい認知症。聴覚障害者3級。会津若松野口英世の生家近くの生まれ。
杖を頼りに郊野・荒野の谷間に生きるもろびとの人生物語などを伝える文化財・観光ボランティアの一人です。
人間は過ぎ去った歴史の上に生きています。どうしてもあの大震災の悲惨な悲劇を忘れることができないのです。今でも哀しく涙がこぼれます。
あの日。11日の午後2時15分頃。青葉の仙台城を案内終了後、細い坂道を歩きはじめた時、大地が揺れた。その瞬間、老婦人に抱きつかれ、眼がくらみ共に倒れた。共に助け共に泣いた思い出。
荒浜の波間に消され天に召された畏敬の友は未だみつかりません。未来永劫に忘れられない悲しいあの日のことなのです。

連載東北から
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