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特集10年目のわたしたち

10年目の手記

ある大学3年生の優雅な(はずだった)午後

平岡希望

あの日私は、『白い僧院の殺人』を読み終えるつもりだった。

2011年3月11日、大学の授業がなかった私は、自宅で大好きな推理小説を読んで過ごすことに決めていた。当時は1日1冊のペースで、世界中の全ての推理小説を読むべくごりごりと読書していた。『白い僧院~』は、推理小説好きなら大抵知っているだろう傑作で、それまで読んでいなかったことを一人恥じていた。

読み終えるにはまとまった時間が必要ということで、私はまず家事を終えてしまうことにした。特に夕食の仕込み。合いびき肉があったので、ハンバーグにすることにした。材料を混ぜ終え、小判型に成型していく。とりあえずつけておいたテレビからはニュースが流れてくる。肉だねを全て丸め終えたか終えないかというタイミングで、妙な音を聴いた。これから幾度となく聞くことになる、あの速報の音だった。私はすぐにソファーへと向かい、クッションを頭に押し付ける。あの時、ハンバーグまみれの手は一体どうしたのだろうか。手を洗った記憶も、クッションを汚した記憶もない。それよりも音が気になっていた。ガタンガタンという音。大きな石板を使ってドミノでもしているようだった。マンションが、揺れに合わせて鳴っているのだと少し経ってから気づく。意識が揺れの方へと移る。ジェットコースターもかくやとばかりに左右へと揺さぶられる。あれで5強となると、震度7は想像が及ばない。『白い僧院~』がソファーの端から落ちそうになる。私はとっさにそれを阻止する。そう考えると、あの時私の手はハンバーグまみれではなかったようだ。潔癖症の私が、自分の本をべとべとの手で触るはずはないのだ、たとえ緊急時でも。

揺れは収まった。このあたりから、私の記憶は曖昧になってくる。まず最初に、私は何をしただろうか。仕事中の両親と、徒歩5分の近場に住む祖父への連絡だろう。私が3人に対しすぐさま連絡した…と思っていたが、実際は逆だったらしい。どうやら3人の方から私に連絡をくれたようだ。ショックで呆けていたのかもしれない。

私が覚えているのは、その日はもう本を読まなかったということだけだ。どうも読む気にならなかった。1日1冊生活は、2年ほど続いていたが、あの日終わった。

『白い僧院~』を再び手に取り、読み終えたのは、それから何年かしたあとだった。話の筋はほとんど覚えていない。ただ、読み始める前に、あの時のことを思い出し、少し読むのを躊躇したのは覚えている。ある本を読むことと、地面がぐらぐらすることの間に因果関係は皆無であることは百も承知だったが、それでも少し心配になった。

本は無事に読み終え、今も本棚で眠っている。ただ、すぐに手に取ることはできない。大量の本をかきわけて探しだす必要があるからだ。あの時の記憶もそうなってくれればいいが、残念ながら、そうはなっていない。いくら細部を忘れようが、あの時の衝撃は、今も手元に残っている。

自己紹介や手記の背景

手記を書いていいものか、1か月ほど悩んだ。瀬尾夏美さんの絵に惹かれてふらふらとチラシを取ってしまったが、どうやら展覧会の案内ではない。大きく「東日本大震災」と書いてある。何故かいけないものを取ってしまった気がした。10年目の手記といっても、当時も今も都内に住んでいて、親戚も知り合いも東北にいない私には、参加資格はないと思った。それでもチラシを開いてみると、ささやかなことでもよいと書いてあった。それに背中を押され、もし書くならどうするか、折に触れて考える日々が続いた。やはり当日の印象が一番強い。小石のようにちっぽけな話だが、大きな悲劇の周りには、こんなエピソードも転がっているのだ。

ある大学3年生の優雅な(はずだった)午後

平岡希望

自己紹介や手記の背景

手記を書いていいものか、1か月ほど悩んだ。瀬尾夏美さんの絵に惹かれてふらふらとチラシを取ってしまったが、どうやら展覧会の案内ではない。大きく「東日本大震災」と書いてある。何故かいけないものを取ってしまった気がした。10年目の手記といっても、当時も今も都内に住んでいて、親戚も知り合いも東北にいない私には、参加資格はないと思った。それでもチラシを開いてみると、ささやかなことでもよいと書いてあった。それに背中を押され、もし書くならどうするか、折に触れて考える日々が続いた。やはり当日の印象が一番強い。小石のようにちっぽけな話だが、大きな悲劇の周りには、こんなエピソードも転がっているのだ。

連載東北から
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