庄子隆弘
震災後、失敗しかなかった。
2011年、津波により自宅が流される。その後、自宅の再建のため、人生初で最大の借金を背負うことになる。2014年、思いつきで海辺の図書館を始めるも、その際、協力いただいた大学教授には失望され、設立メンバーはほとんど去った。2018年1月に父が急逝し、残されたレストランの大家とのトラブル。また事務局として関わった荒浜再生を願う会も2018年6月解散へ。ほんの数か月という口約束で自宅敷地に仮置きを許可していたプレハブ小屋は、特になんということもなく3年間放置。結果的に海辺の図書館の拠点として機能させることができたが、それも先方の都合で2021年には持っていかれることに。
こうして書き連ねてみると我ながら、ろくでもない人生だなぁと改めて思うのですが、現時点(2020年)においては、わりかしなんてことなくノホホンと生きている。なんでかなぁと思い返してみました。
震災当日は、家族と再会できず、安否もわからない状況にも関わらず、早々に諦め、葬式どうしようかなぁなどと考えながら、避難した親戚宅のコタツで爆睡。また、自宅が流された跡を見ても涙ひとつ出ず、この状況をいかに記録して発信しようかなどと考えてる始末。その後も、感情が大きく乱れるもことなく、現在まできたように思います。それでもいつそんな状態になるかもしれないと思い、トラウマであったり、燃え尽き症候群だったりの本を読み漁ったりしていました。ひとつは、こうした生来の性格が幸いしたのかもしれません。
もうひとつは、私の職業であり、ライフワークでもある「図書館」です。発災時は、大学図書館業務委託の現場統括者として、30万冊ほぼ全ての図書が落下した状況から、再開館に至るまでの復旧作業に専念していました。もちろん、電気やガソリンがなかったり、水道が止まっていたりとそれなりに不便な生活ではあったのですが、図書館を復旧させるという目標があることで、頑張れたのだと思います。
また、東北地区の図書館職員コミュニティである「みちのく図書館員連合(MULU)」に参加していたこともあり、所属によらない図書館員同士の横の繋がり(それは東北だけでなく全国)によって、多くの図書館員から支援、特に連絡をくれたり、気にかけてくれたりという精神的な支援があったことで、ひとりではないという気持ちになれたのが大きな要因だったと思います。同様の理由で、当時始めたばかりだったSNS(Twitter)への反応も前向きになるモチベーションになっていました。こうした図書館という立ち帰る場所があったことで、自宅や地域、職場とは異なる所属、いわゆるサードプレイスが自分の中での逃げ場として機能したのだと思います。
そして、その延長線上として、海辺の図書館があります。海辺の図書館については、いろいろなところでお話ししていますし、ウェブサイトや漫画もありますので、そちらをご覧ください。
正直、10年経ったからといって、何かが大きく変化するわけでもなく、周りから「10年の区切りですね」的なことを言われるとムカッとします。しかし、こうした時の流れがあったからこその変化を最近感じました。それは、これまで気負いを感じる“非日常”だった震災や震災後の諸々が、“日常”になったということです。仕事をして週末、海辺の図書館に行くことが日常生活の中に組み込まれ、「記憶を風化させたくない」だとか「この地域の文化を絶やさないようにしたい」という思いを声高に叫ばなくてよい気持ちになりました。忘れること、忘れられることへの恐怖から、日常へ。それが、時間が解決した大きな成果だったんだなぁと思うのです。
参考:
海辺の図書館ウェブサイト(note)
井上きみどりさんによる漫画「海辺の図書館ものがたり」
仙台市沿岸部の荒浜出身。現在は、津波で流された自宅跡地で「海辺の図書館」という取り組みを行っています。自分なりに発災時から現在に至るまで、記憶を辿って記録している最中だったので、その一部を投稿させていただきました。
庄子隆弘
仙台市沿岸部の荒浜出身。現在は、津波で流された自宅跡地で「海辺の図書館」という取り組みを行っています。自分なりに発災時から現在に至るまで、記憶を辿って記録している最中だったので、その一部を投稿させていただきました。