Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

コーヒーカップの違和感

寿限無

自宅にいるのに乗り物酔いがした。1分間ほどコーヒーカップのアトラクションで揺られたような感覚に陥ったせいだ。コーヒーカップに乗ったことは一度もないのに、直感的にそう思った。 

なんだろう、これ。地震かな……。

読んでいた本を閉じてテレビを点けると、どの局も東北地方を震源とする大地震が発生したと報道特別番組を放送していた。東京の揺れも激しいようで、スタジオ内のキャスターも動揺した様子を見せている。

やはり地震か。少し前に大量のイルカが座礁したというニュースがあったけれど、あれは前兆現象だったのか。はじめはそんな呑気なことを思っていたが、ほどなくして大津波警報が発令。今回の地震が尋常な規模ではないと気付くのに時間はかからなかった。

津波の到達前だったので首都圏内の被害情報も数多く伝えられていた。お台場で火災、横浜でビルの壁が崩落、町田市にある商業施設では駐車場のスロープが崩落し、下敷きになった人が亡くなったという速報が流れた。これが最初の死者の発表だったのを覚えている。

その後、大津波が襲来。黒い渦が家屋を、田畑を、車を呑み込んでゆく映像に、これは現実なのか、と言葉を失った。以後、言うまでもなく大津波が押し寄せた東北各地が報道の中心となる。とある沿岸部で数百人の遺体が見つかった、との言葉が忘れられなかったが、その時は数万人規模の死者にまで発展するとは思いもよらなかった。その日は夜までテレビを点けっぱなしにしていた。

正直に述べると、関西に住んでいた身としては日常生活での大きな変化は見られなかった。自粛ムードの広がりからイベントの中止があったり、街頭でチャリティー活動を見かけたり、しばらくコンビニの照明が消えていたりしたのが印象に残っているくらいだ。持病の内服薬の製造工場がいわき市にあったので一時的に供給がストップする事態に陥ったものの、通院しているクリニックに在庫があったので薬がなくなることもなかった。

東北地方に親戚や友人・知人がいるわけでもなかった私にとって、3・11はどこか遠い出来事という印象があった。そんなドライな認識を改めたのは上京してからだった。

東京には東北の出身者が多く、震災によって家族や友人を亡くした人の話は何度も耳にした。直接の被害は受けなかったものの、震災の影響で受注が激減して失業したという北陸出身の人もいた。3・11は確実に多くの人々の人生を狂わせたのだ。震災を知る人々に直接関わったことでそう実感した私は地元にいた頃の自分を反省し、毎年3月11日の発生時刻は必ず黙祷を捧げるようになった。

10年目の節目はコロナ禍という、新たな災厄の中で迎えることになった。犠牲者の方々の無念を思い、ただ祈るしかない。

自己紹介や手記の背景

震災当時は地元・大阪に居住。その後上京し、夢追い人の独身生活を数年間送ったあと、昨年、コロナ禍のドサクサに紛れて都落ち。3・11に関しては非当事者ながら、非当事者ゆえの視点で書く手記にも価値はあるのかもしれないと思い、今回の執筆を思い立ちました。

コーヒーカップの違和感

寿限無

自己紹介や手記の背景

震災当時は地元・大阪に居住。その後上京し、夢追い人の独身生活を数年間送ったあと、昨年、コロナ禍のドサクサに紛れて都落ち。3・11に関しては非当事者ながら、非当事者ゆえの視点で書く手記にも価値はあるのかもしれないと思い、今回の執筆を思い立ちました。

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