Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

無題

柳川みよ

2011年3月11日、京都。目前に自動車教習所が広がる、3階建ての小さな事務所にWEBデザイナーとして勤めていた。その日はなんだか気持ちがよかった午後だった。晴れていたと思う。建物が大きく揺れて、隣に座っていた後輩と口を開けて目を合わせた。すぐさま、インターネットで検索をすると、仙台駅が大きく揺れる短い映像が上がってきた。地下鉄だったのだろうか、その映像に映る景色は柱が並び、天井の低い、無機質なグレーのタイル張りの空間だった。サラリーマンらしきスーツの人物が体勢を崩していた。これは大変なことになった、と思った。この瞬間のことだけが、やたらと鮮明に蘇る。

同年、8月25日。大型の台風が紀伊半島を直撃した。この日の夜から数日間、和歌山にある実家の両親と連絡が取れなくなる。集中豪雨による土砂災害で、いくつかある交通が途絶え、陸の孤島となった。自衛隊が現地に降り立つ映像をニュースで見た。何日かのち、ひとつのルートが復旧し、車があればたどり着けることがわかった。大きく遠回りにはなるが、近い駅で下車し、親類に迎えにきてもらい、実家を訪れる。会社には不在でも仕事ができるよう準備を整え、約1ヶ月の休暇をもらった。

実家に到着して唖然とした。あたり一面が泥だらけで、何もかもが止まっている感じがした。皆、いつもの生活がなくなっていた。その日から数日、幸い無事だった母方の実家を根城に、水没して使えなくなった家電や家具を処分する日が続いた。はじめは喜んでくれていたが、生活リズムの不一致もあり、父親から帰るようにと言われて、約2週間ほどの滞在を経て自分の生活に戻った。

その年の年末、6年間勤めた会社を辞めた。何かが切れた気がした。

自己紹介や手記の背景

古道具店に勤務しながら、個人事業として、WEB・グラフィックデザインを行っています。2013年に移住した際にお世話になった、移住促進団体のお手伝いもしています。体を動かすことを大切に考えていて、週3日ほどバドミントンをしています。広大な景色に圧倒されたいという欲求があり、海が見える場所に住んでいます。いまの生活の基盤となったのは、2011年のふたつの出来事でした。3月11日の大震災と、8月25日の水災害です。死んだら終わりだなと、漠然と感じました。自分の中にあったことがいったん壊れました。それから、もう一度考えました。いまも、考えています。

無題

柳川みよ

自己紹介や手記の背景

古道具店に勤務しながら、個人事業として、WEB・グラフィックデザインを行っています。2013年に移住した際にお世話になった、移住促進団体のお手伝いもしています。体を動かすことを大切に考えていて、週3日ほどバドミントンをしています。広大な景色に圧倒されたいという欲求があり、海が見える場所に住んでいます。いまの生活の基盤となったのは、2011年のふたつの出来事でした。3月11日の大震災と、8月25日の水災害です。死んだら終わりだなと、漠然と感じました。自分の中にあったことがいったん壊れました。それから、もう一度考えました。いまも、考えています。

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