Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

金曜の午後

桜野かおり

金曜の午後、自分の席で資料を更新していた。
飲み会の予定はなかった。
前の週末に夫と旅行したので、ゆっくりするつもりだった。
前の週からかもっと前からか地震が頻発していて、ある程度地震が起きることに慣れていた。
昼くらいから大きめのがいくつかきて、突然の衝撃。
8階で、座っていても椅子が動く程の揺れ。
「いやだ、怖い、私もぐる」といって机の下に入った人につられて、フロアにいたほとんどが同じことをした。
大きく揺れたけどすぐおさまって元通りになるはずと思っていた、そうであってほしかった。
最初に机の下に入ったのは子供を保育園に預けているママで、揺れがおさまる間ずっと机の下で怖いと言っていた。
他のフロアでの会議から戻って来た人に机の下に入ったと話したら驚かれた。
12階では踏ん張って揺れに耐えながら、ホワイトボードを使って会議を続行していたそうだ。
窓の外を見ると、屋外に避難している人達がいた、ヘルメットを被った人もいた。
夫とは企業内のメールでやりとりをしていた。
震源は東北とわかった後、神奈川の実家の家族とは携帯メールで連絡がついた。
皆家にはいなかったが無事で、車で出ていた父は道路が混むだろうと予想していた。
夫の福岡の実家の無事も確認できた。
会社のビル1階のコンビニに、一晩泊まることになってもいいように飲み物と食べ物、念の為ガムや飴、ポケットティッシュなどを買いに行った。
以前にテレビで見た富士山噴火のシミュレーションの番組を思い出していた。
平日の日中に噴火が起こった場合、オフィス街の店の棚は空になると予想されていた。
まだJRの運転見合わせは発表されておらずそんなことをしているのは私だけだった。
泊まらなくても会社に置いておける焼菓子や、持って帰れるおにぎりを買った。
その番組ではオフィスから大量の帰宅者が街に溢れ、20kmを超える距離を歩いて帰るのは難しく、危険がないならその場に留まったほうがよいとの結論だった。
夫にもそう伝えて、徒歩での帰宅はしないことに決めた。
かなりの人が波にのまれたらしい、千葉でガスタンクが爆発したらしい、などのニュースがポツポツと入りはじめた。
まだTwitterのアカウントは持っていなかったし、スマホですらなかった。
仕事の片手間にずっとYahoo!ニュースを見ていた。
夜になって私鉄が動いたので、一番近い駅まで歩いた。
道中の飲食店はどこもほぼ満席だった。
電車が動くまで飲んで待つのだろう。
普段とは少し違うルートだがほぼ変わらない労力で最寄り駅に着き、夫と合流して帰った。
コンビニで買って結局持って帰ってきたおにぎりを食べた。
私の記憶にある大地震といえば阪神大震災と新潟の地震だった。
どちらもヘリで倒壊した家屋やビルの映像の印象が強かったが、目の前ではそんなことは起きていなかった。
どこで何が起きているのかよくわかっていなかった。
よくわかっていないことはわかっていた。

自己紹介や手記の背景

10年前はSNSによる情報や動画の拡散スピードが今よりずっと遅く、あの日は何が起きているのかよくわからず、でもとても不安でした。
その時の感覚をそのまま書いてみました。

金曜の午後

桜野かおり

自己紹介や手記の背景

10年前はSNSによる情報や動画の拡散スピードが今よりずっと遅く、あの日は何が起きているのかよくわからず、でもとても不安でした。
その時の感覚をそのまま書いてみました。

連載東北から
の便り