Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

特集10年目のわたしたち

10年目の手記

もしも、あの日が……

みっち~

私は時々,ふとこんなことを考える。

「あの日,もし地震と津波が来なければ,どうなっていただろう。」

もしそうだとしたら,私は故郷を離れることなく暮らしていたし,見慣れた風景に囲まれて,馴染みの人々とともに生活していたんだろうな,と思う。
あの店も,あの家々も,日和山から眺める景色も変わらない。良くも悪くも「そのまま」だったに違いない。もしそうだったなら,自分の人生も変わっていたのだろうか。
「もしも」の世界が現実になることが良いことなのか,悪いことなのかは,誰にも分からない。

しかし,あの日を境に,私達の生活は一変した。住み慣れた町や家,何よりも大切な人々を失った。今まで考えもしなかった状況を目の前にして,目の前の事態に対応することで精一杯だった。悲しみや苦しみに打ちひしがれている暇はなく,どうやって生きていくかを考えるしかなかったように思う。
当時大学生だった私の場合,「これからどうやって大学に通う?」「実習や採用試験はどうする?」といったことが頭の中を駆け巡った。予定外だった一人暮らしを始めざるを得ず,家族と別れて生活することになった。最初は楽しさの方が勝っていたはずなのに,段々と寂しさを覚えるようになっていくのが分かった。それと同時に,「被災地」に住む家族とそうでない自分との間にある種の「差」を感じることもあった。

そして翌年,私は社会人となった。「便利だけど,いつまでも住むところじゃない」と思っていたこの街での生活が,いつしか当たり前になった。人間というものは愚かな生き物だと思う反面,それが自然なのかもしれないとも思う。所詮,人の気持ちなんていとも簡単に移り変わるものだと知った。
その一方で,故郷を愛する気持ちは高まっていった。離れてみたからこそ感じるありがたさ,当たり前のように感じていた景色が実は特別なものだったことに何度も気付かされた。昔はあんなにこの町を離れたいと願っていたのに。そういう意味でも,人の心というものは簡単には分からない。
職業柄,震災のことに触れないわけにはいかない。小学生の半数以上があの日以降に生まれた子供たちであるという現実を目の当たりにするとき,彼らにとって「3.11」とはどんな存在なのだろうか。記憶のない人に語り継ぐこと,自分にもいつか起こりうることなのだと実感してもらうことの難しさを日々痛感している。

もうすぐ,10年。「十年一昔」なんて言葉で括るのは違うような気がするけど,1つの節目を迎えることは間違いない。直接被害を受けた「被災者」も,間接的に映像を見たり話を聞いたりした人々も,それぞれが様々な感情を持って迎えるだろう。

これまでのことも,今のことも,そしてこれからのことも。一度立ち止まって考える。

そして,みんなで仕切り直して,次の未来に向かって歩みだそう。

大変なことも課題もたくさんあるけれど,気持ちだけは前を向いていこうと心に誓った。

自己紹介や手記の背景

宮城県石巻市出身。震災当時は大学3年生。海から数百メートルしか離れていなかった自宅は1階が水没し,全壊。現在は仙台市内で小学校教諭として勤務しています。
これまで自分が経験したことを文章にまとめたことはありますが,今回は視点を変えて,自分の思いや内面みたいなものを文字に書き起こしたいと思いました。もうすぐ10年経つ今でもクリアにできない部分はありますが,この手記を書くことで「東日本大震災」と客観的に向き合えたような気がします。

もしも、あの日が……

みっち~

自己紹介や手記の背景

宮城県石巻市出身。震災当時は大学3年生。海から数百メートルしか離れていなかった自宅は1階が水没し,全壊。現在は仙台市内で小学校教諭として勤務しています。
これまで自分が経験したことを文章にまとめたことはありますが,今回は視点を変えて,自分の思いや内面みたいなものを文字に書き起こしたいと思いました。もうすぐ10年経つ今でもクリアにできない部分はありますが,この手記を書くことで「東日本大震災」と客観的に向き合えたような気がします。

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