鷹取詩穏
10年前のあの日のことを、私は鮮明に覚えている。
当時小学5年生だった私は、今まで味わったことのない恐怖に襲われ、その日はリビングにある大きなテーブルの下で寝た。しかしそういった非日常感を味わうのも、地震を恐れるのも、3月11日からたった1週間だけだった。私にとって3.11とは、たった7日間の震災だった。
千葉県に住んでいる私からすると、東日本大震災は遠い地の出来事でしかなかった。どす黒く渦巻く津波も、逃げ惑う人たちも、何も無くなった土地も全て、私にとっては四角い画面の向こう側に過ぎない。いつしか頭から震災のことは離れていき、まるで何事もなかったかのように明日がやってきた。忘れようともせず、あるいは心に刻もうともせずに。しかしそんな私が、ある日をきっかけに被災地に何度も赴くことになる。
2019年1月5日。私は好きな作家が出展しているという理由で、とある都内の展覧会に足を運んだ。災害を主なテーマとして扱ったその展覧会では、十数名のアーティストがそれぞれの考える災害を力強く表現しており、その中には東日本大震災について言及している作品もあった。私が頭の端に追いやっていた時に、こんなにも震災について想いを寄せて制作している作家がいることを、この日初めて知ったのだった。
私が初めて被災地に赴いたのは、それから6ヶ月後。震災から8年目の、茹だるような暑い夏だった。あの日、展示を観て帰路に就いた私が真っ先に頭に浮かんだ感想は、「私には一体何ができるか?」という、たったひとつのシンプルな問いだった。その後いても立ってもいられなくなった私は、まるで答えを探すように被災地に度々訪れた。数日間だけ滞在し、時にはボランティアに参加し、地元の人と話し、海を眺めて帰る。特別なことは何もしていないけれど、その数日間は毎回、私の人生の中で確かに特別な日として心に残り続けている。
答えのない問いを考え続けるのは怖い。なぜならそこには正解も不正解も存在せず、問うことを止めてくれる人もいなければ、促す人もいないからだ。では何のために私が今まで考え続けているのかというと、他の誰でもない私自身のために、震災のことを知りたかったからだ。10年前のあの日、私が過ごした7日間のあとに、一体どのような時間が流れ、どのような感情が渦巻いていたのか、分かりたかったからだ。また、展覧会を観てアーティストから大きな熱量を受け取った私は、それに何かしらの形で応えたいと思った。
※ 本手記は、水戸芸術館現代美術ギャラリー「3.11とアーティスト:10年目の想像」展を通してご応募いただいたものです。
2年前に震災のことについて考え始めてからというもの、言語化できない感情が止めどなく湧き上がってきました。言葉になる前の言葉。声になる前の声。そういった形にならないものに、いつもどこか不安な気持ちにさせられました。この機会に勇気を持って言葉として起こせたこと、感情の輪郭を立たせてあげられたことに、とても嬉しく思います。
鷹取詩穏
2年前に震災のことについて考え始めてからというもの、言語化できない感情が止めどなく湧き上がってきました。言葉になる前の言葉。声になる前の声。そういった形にならないものに、いつもどこか不安な気持ちにさせられました。この機会に勇気を持って言葉として起こせたこと、感情の輪郭を立たせてあげられたことに、とても嬉しく思います。