2021
1月
城山
(大槌町役場側)
2020年12月15日 城山 (大槌町役場/旧大槌小学校体育館側)
2016年2月19日
2011年3月11日
新しい写真(2020年12月15日)には、大槌町の役場が写っています。
もともとは小学校の校舎でした。
駐車場は校庭でした。
津波で当時の町役場が全壊し、機能を移転したんです。
今も新庁舎は作らず、改装して使用されています。
屋上の三角屋根はプールでした。
今は倉庫として使われていて、各戸から流されてしまった所有者不明の膨大な数の家族アルバムや写真なども、ここに保管されています。
小学校は高台に移転し、町立の小中一貫校として再出発しています。
写真の真ん中あたりに、住宅が立ち並んでいます。
すべて震災後に建てられた物件です。
もともとはもう少し低かったんですが、役場の高さまで盛り土されました。
住宅の奥には、グラウンドが見えます。
*
古い写真(2011月3月11日)には、津波がやってきたところが写っています。
1歳年上の地元の友人(復興カメラのメンバー)が撮影しました。
流れてきた瓦礫が校庭にたまって、あちこちで渦が起こったようです。
撮影した友人のお母さん、実はこの中のどこかにいたらしいです。
さいわいに助かったんですが、車を駐めて山に避難しようとした時に波にのまれたと聞いています。
撮影した友人も、九死に一生を得ています。
海ぎわの職場から城山に向かう途中の道が渋滞して。
最後尾で待っていたら、川の水が全部ひいていることに気づいて。
あわてて渋滞の反対車線に出て、なんとか城山にたどり着いたそうです。
その友人とはしばらく連絡がとれなかったんですが、地震の10日後にやっと電話がつながりました。
地震のあと、リアスから声をかけてもらい、その友人とともに活動に参加することになりました。
そして、その数ヶ月後、復興カメラが始まります。
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津波もすごかったんですが、火事もすごかったんです。
瓦礫とともに、炎も波に流されて小学校にたどり着きました。
だから校舎の裏側(写真からは見えない部分)は、煤(すす)で真っ黒でした。
大槌で生まれ育った人から「この写真、焼き回してほしい」と言われることがよくあります。
その理由は、実家の最後が写っているから。
震災前は、住宅がかなりひしめきあってたんです。
城山から海側を眺めた写真は多く残っているんですが、体育館側の写真が記録としてあまり残ってないんです。
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コロナ禍の影響で、年末年始の帰省を自粛する人がいます。
地元の成人式*に参加できない学生もいます。
震災がきっかけで、いろんな困難や寂しさを抱えてきた人がいました。
今回のコロナ禍では、それとはまた違った孤独感を感じている人がいると思います。
*令和3年大槌町成人式は中止となりました(2020年12月18日付)
話し手|川原康信、上野育恵(復興カメラ)
きき手|松本 篤(AHA!)
NPO法人@リアスNPOサポートセンター
2003年商店街活性化の一環として、岩手県釜石市にて設立。自分たちの手で地域が抱える問題を解決するために、住民、行政、地元企業、NPOなどが連携するプラットフォームづくりをサポートしている。震災以降の写真を残す『復興カメラ』などのプロジェクトを行っている。
AHA!
2005年、NPO法人記録と表現とメディアのための組織(remo)を母体に、大阪市にて設立。8ミリフィルム、家族アルバム、戦時中の慰問文など、さまざまな「市井の人びとの記録」に着目したアーカイブづくりを行う。キャッチフレーズは、「A Happy Birthday to Your Little Record!——小さな記録の誕生日を祝おう」。