Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2020

6

6月29日-7月5日
高橋瑞木(キュレーター)

6月29日(月)

天気|晴れ

場所|香港のCHATオフィス

東京はコロナウイルスの感染者がまた増加しているそうだが、香港は感染が確認された1,200人あまりのうち1,105名がすでに退院、新しい感染者も最近は海外からの渡航者以外は稀になってきた。仕事も5月半ばからはもう完全に通常のペースに戻っている。街中ではほぼ100%の確率でみんなマスクをつけている。マスクはもはや下着をつけるのと同じぐらいの「常識」になっているが、気温32度、湿度 70%を超える環境でマスクを着用し続けるのは正直かなりしんどい。
昨年の今頃、香港は逃亡犯条例改正をめぐってほぼ毎週末デモが開催されていたが、今年は新型コロナの感染拡大を防ぐため、集会やデモの許可が下りない。
今日は、3年弱勤めたコミュニティプログラムのスタッフが異動の挨拶で、職場のみんなにマンゴーやパッションフルーツといった、トロピカルフルーツがトッピングされたエクレアをふるまった。彼女はロンドンの大学のマスターコースに受け入れが決まっていて、本来ならこの夏にロンドンに引っ越して入学準備をするはずだったが、このコロナ禍によって留学を1年延期することにしたらしい。もう一人のスタッフも今年イギリスに留学することになっていたが、「高い授業料を払ってオンラインの授業を受けるのは馬鹿馬鹿しいし、今イギリスではアジア系への人種差別も激しいらしいから今年は行くのをやめる」と言っていた。

6月30日(火)

天気|晴れ

場所|香港のCHATオフィス

中国の全人代で香港国家安全法が可決された。この報道に前後して日本でも香港の民主化運動の先導として知られる周庭や黄之鋒が政治団体デモシストから離脱というニュースがかけめぐる。かれらのステイトメントを読んでも離脱の理由がいまいちわからないので、香港人の同僚に聞いて見たところ、香港国家安全法の可決にともない、香港の民主運動家(つまり反中央政府の活動家)として逮捕されるのを逃れるためだと教えてくれた。昨年の抗議活動では、ロシアで開発されたテレグラムというSNSがフル活用され、いつ、どこでどのような抗議活動が開催されるのかといった情報が香港人の間で共有されていたが、今年は抗議活動に関する投稿も激減したという。
夜は異動するスタッフの慰労会。CHAT(Center for Heritage, Arts and Textile)のチームは大多数の香港人、そして中国人、コロンビア人、そして日本人(私)から構成されている。ビールで乾杯をすると、香港人のスタッフが「今日はもう一つお祝いしなきゃ。香港はとうとう本当に中国の一部になった。僕たちは名実ともに本当に兄弟になったんだ」と皮肉まじりのジョークを中国人のスタッフに言い放った。

7月1日(水)

天気|曇ったり晴れたり

場所|香港の自宅

今日は香港が中国に返還されて 23周年。2年前までは、多くの香港人はこの「祝日」を複雑な気持ちで迎えているものの、花火がヴィクトリアハーバーに打ち上げられる賑やかな休日だった。抗議運動が激化した昨年から花火も中止。今年も花火はない。
昨年から日本のメディアやアート関係者から香港の民主化運動のアート界への影響についての執筆やコメントに関する依頼が断続的に送られてくる。今日も朝イチで同様の依頼を受け取った。日本人が香港の状況について興味を持ってくれるのはとてもありがたいのだが、広東語も充分に解さず、また日常的に運動に関与してない自分には正確な最新の情報を伝える自信がないし、またこれまで継続的にこの問題にコミットしてきた香港人のアーティストたちのかわりに、中途半端で浅い知識しかない自分が発言するのに躊躇を覚える。香港在住の日本人アート関係者として声がかかるのはわかるのだが、上記の理由でこうした依頼はほとんど全てお断りしている。

7月2日(木)

天気|晴れときどき雨

場所|香港の自宅

ウェブサイトで香港国家安全法についての日本や海外での報道をひとしきりブラウジング。昨日、香港の街中で開催されたデモでは300人以上が逮捕されたという。急激な変化に正直気が滅入っている。
最近、民主主義国家でも、レイシズムや性差別が野放しになっている国と、民主主義国家ではないが、レイシズムや性差別が圧倒的に少ない国と、どっちがましなんだろうかと考える。でも民主主義国家でないということは多様性を認めないということだから、そもそも人種や性差を議論することそのものが抑圧されているということか。でも多様性を標榜していても、社会制度の中で抑圧されることは民主主義国家でもよくある話だ。しかしこの二択それ自体かなり虚しい。
香港での表現の自由について日本からよく質問が来るけど、例えば、東京電力第一原子力発電所事故のあとに私が水戸芸術館時代に企画した「高嶺格のクールジャパン」のような展示は、あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」をめぐるバッシングや脅迫を考えると、今の日本の公立美術館での開催は不可能にも思える。表現の自由は保証されているはずなのに。

7月3日(金)

天気|雨ときどき晴れ

場所|香港の自宅

法律が変わるとはこういうことか、としみじみ実感した1日。加えて民意が反映されるシステムが国家で保証されていることのありがたさも(日本のこと)。だけどシステムをきちんと使えなければ意味ないんだよなー。不思議なもので、日本に住んでないのに(だから?)よく日本のことを考える。
今日はスタッフと法律が施行されてからのアートセンターの今後について話した。忌憚のない意見を交わすことができる同僚がいて、違う意見もちゃんと聞いて、みんな納得するまで話し合う。少なくともそれができる職場なのは恵まれている。ちなみにうちのシニアスタッフはみんな女性。「瑞木は香港人じゃないのに、香港の歴史的瞬間を体験しているから貴重な思い出になるよ」というジョークがこういう時に香港人の同僚から出てくるのはありがたい。笑える時はまだ余裕がある証拠だろうか。しかし今週は気疲れした。

7月4日(土)

天気|晴れ

場所|香港の自宅

暑い! 日中に出かけるのは自殺行為。夕方から来年オープン予定の巨大美術館、M +のパヴィリオンで始まったヴェニスビエンナーレの凱旋展、シャーリー・ツェの個展をM+のデザイン・建築部門のキュレーター、横山いくこさんのガイドで見学。ヴェニスの香港パヴィリオンで女性作家が個展を開催したのは初めて。シャーリーは、木材や建築のパーツなどを組み合わせて立体作品を制作している、アメリカ西海岸在住の作家。
ヴェニスの香港パヴィリオンはアルセナーレの入り口正面にある既存の古い建物で、その中で彼女の展示を見た時は、ひなびた空間の中でバランスを保ちながら展開する繊細なインスタレーションが、ヴェニスビエンナーレという特殊な舞台でも変に気負ってなくて好きだった。香港の凱旋展示では、大きなガラス窓があるギャラリーの柱や天井に作品が寄生するように展示されていて、同じ作品なのに違った解釈を呼び起こすような感じで再び好印象。横山さんによれば、新型コロナウイルス感染症の影響でシャーリーも、ヨーロッパ在住のキュレーターも渡航できなかったので、香港の現地スタッフが2人からオンラインで指示をもらいながら展示作業をしたそうだ。アメリカ、ヨーロッパ、香港の時差を考慮しながらの展示は大変だったに違いないが、その苦労も報われる出来。

7月5日(日)

天気|晴れ

場所|香港の自宅

夜、M +の映像部門のキュレーター、ウランダのバースデーを近所にあるインド料理のレストランで横山さんとお祝い。お互いの近況を報告しつつ、話題は仕事からダイエットまで広がる。
今日は、日本では都知事選。私は東京出身なのでやはり気になる。ご飯を食べながら、ケータイのツイッターアプリで選挙結果をチェック。開票してすぐに現職の圧勝のニュース。新型コロナ対策や東京オリンピックといった課題が山積しているのでもう少し投票率が上がると思ったけど、蓋をあけてみれば 55%の投票率。これは誰がなっても同じ、と都民が考えているのか、それとも投票したい候補がいないということなのか。選挙制度そのものを見直したほうがいいと思うけど、投票率が上がると団体票を持つ議員にとっては不利だろうから、現職の政治家は制度改革をしないだろうなあ。

この1週間を経て確信したのは、民主主義とは放っておけば権力にすぐに冒されるフラジャイルなものだということだ。そして、今の香港の株価が示しているように、機会の自由や表現の自由は、経済活動に関係ないから、それを邪魔するとみなされればあっという間に「なかったもの」になってしまう。日本の経済は確かに良くはない。だから政治家は日本の経済を立て直す、と勇ましいことを言うけれど、その引き換えに人々は何を差し出すことを期待されているのか、私たちは注視する必要がある。

偶然にも香港にとって歴史的な意味を持つことになってしまったこの1週間の記録。当然ながら他人に見せるための日記には書けないことがある。日記なのに表現の自由がない!? この日記は自己検閲の記録になってしまったのか、それとも私の知人や同僚、CHATの将来を見据えた合理的な判断なのか。数年後にこの日記を見返したときに私は何を思うだろうか。

バックナンバー

2020

6

  • 是恒さくら(美術家)
  • 萩原雄太(演出家)
  • 岩根 愛(写真家)
  • 中﨑 透(美術家)
  • 高橋瑞木(キュレーター)

2020

7

  • 大吹哲也(NPO法人いわて連携復興センター 常務理事/事務局長)
  • 村上 慧(アーティスト)
  • 村上しほり(都市史・建築史研究者)
  • きむらとしろうじんじん(美術家)

2020

8

  • 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館 学芸員)
  • 山本唯人(社会学者/キュレイター)
  • 谷山恭子(アーティスト)
  • 鈴木 拓(boxes Inc. 代表)
  • 清水裕貴(写真家/小説家)

2020

9

  • 西村佳哲(リビングワールド 代表)
  • 遠藤一郎(カッパ師匠)
  • 榎本千賀子(写真家/フォトアーキビスト)
  • 山内宏泰(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)

2020

10

  • 木村敦子(クリエイティブディレクター/アートディレクター/編集者)
  • 矢部佳宏(西会津国際芸術村 ディレクター)
  • 木田修作(テレビユー福島 報道部 記者)
  • 北澤 潤(美術家)

2020

11

  • 清水チナツ(インディペンデント・キュレーター/PUMPQUAKES)
  • 三澤真也(ソコカシコ 店主)
  • 相澤久美(建築家/編集者/プロデューサー)
  • 竹久 侑(水戸芸術館 現代美術センター 主任学芸員)
  • 中村 茜(precog 代表取締役)

2020

12

  • 安川雄基(合同会社アトリエカフエ 代表社員)
  • 西大立目祥子(ライター)
  • 手塚夏子(ダンサー/振付家)
  • 森 司(アーツカウンシル東京 事業推進室 事業調整課長)

2021

1

  • モリテツヤ(汽水空港 店主)
  • 照屋勇賢(アーティスト)
  • 柳谷理紗(仙台市役所 防災環境都市・震災復興室)
  • 岩名泰岳(画家/<蜜ノ木>)

2021

2

  • 谷津智里(編集者/ライター)
  • 大小島真木(画家/アーティスト)
  • 田代光恵(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 国内事業部 プログラムマネージャー)
  • 宮前良平(災害心理学者)

2021

3

  • 坂本顕子(熊本市現代美術館 学芸員)
  • 佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

特集10年目の
わたしたち