Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2021

1

1月4日-10日
モリテツヤ(汽水空港 店主)

1月4日(月)

天気|晴れ

場所|鳥取県湯梨浜町(自宅&店)

春はあげぽよ。冬は朝風呂。
極寒の鳥取の中でも最も寒いと思われる我が自邸。暖かい場所は布団の中か風呂のみ。目覚めてからお湯を張り、サンシャインの降り注ぐ午前の時間にゆっくりと湯船に浸かる。良い気持ちだ。
世間は今日から仕事が始まるのだろうか。おれはこの数年、年末年始も店を開けている。テレビも10年以上前に手放した。『紅白歌合戦』や『ゆく年くる年』は直接見るものではなく、それを見ているどこかの家族の存在に思いを馳せるものとなった。おせち料理もそうだ。かつて自分も体験した親戚一同が会す時間、正月に味わう料理、そういった文化が異文化になりつつある。自分は今、どういう文化に所属してるのだろう。湯気の中で考えた。ま、なんだっていいんだ。自分が本当だと思うことだけやってればいい。ざばっ。
正午に家を出て、銀行で家賃の振り込みを済ます。ガソリンスタンドへ行き、一週間分の灯油を買う。7日からまた大寒波がやってくる。雪はどれくらい積もるだろう。もう飽きたなあ、雪。

12時半に汽水空港へ着陸。おれは店の前にある公共駐車スペースの雪かきをする。山陰の冬にしては珍しい晴天。解けた雪は水を含み、キラキラ光る小さな氷一粒一粒の集合体になっている。スコップで掬っては池側へ放り投げる。シャリシャリと音が鳴る。そうか、シャーベットの「シャリシャリ」の由来は見た目ではなく音なんだな。
パートナーのアキナはこの時間、焼き芋を焼く。ガスで焼くタイプの石焼き芋マシーンは火の調整が出来るとはいえ、焼き加減がなかなか難しい。アキナはこの数ヶ月でプロフェッショナルな技術を獲得している。じっくりと火を加えることでとっても柔らかジューシーな焼き芋になる。「粘土のような焼き芋です」とお客さんに言ったら、なんか気持ち悪いと言われた。
13時オープン。14時頃まで誰も来ない。店内で庭文庫から出版された『聲(こえ)』という詩集を読む。作者の石原弦さんは岐阜県で「アジア生活農場ゴーバル」という共同体を築いていたらしい。様々な国の人々と共に暮らしながら農に携わり、詩作に励む。石原さんの詩は肩肘張ってない感じがする。とても好きだ。
今朝、Twitterに「自分が変わる勇気を持って実践し、人と話し本を読み、全員で賢くなるしかない!」と風呂上がりに呟いた。ケイタタさんが『これは水です』という本に同じようなことが書いてあったよとメンションを飛ばしてくれた。デヴィッド・フォスター・ウォレスという人物が書いた本で、スティーブ・ジョブズを凌いで全米第1位に選ばれたスピーチらしい。そんな賢者と、おれが同じようなこと書いてるらしい。ぐふ! ぐふふ、おれって! おれってやっぱりおれだなあ! おれという男は本当に時々賢者とおんなじことを言う!! あぁ、よかった。おれという人間はおれという人間で。
大阪からパン屋ファミリーが御着陸。今年から鳥取に移転するパン屋さん。去年から時々大阪から来ては店に立ち寄り、移転計画を話してくれていた。今日はいつもの夫婦だけじゃなく、先月生まれたばかりのベイビーと、ご両親、ごきょうだいの方々総出で来てくれた。みんな自分の道を自分の心で判断し、自分の足でわっしわっしと愉快に歩いてきたであろう力強さがあった。今年からはすぐに会える距離だ。色々楽しいことがやれたらいいな。かれらは政治に対してもバシッとした意見を持っている。おれも今のままでいいはずがないといつも思っている。色んな話をして、共に賢くなりたい。

閉店後、大量にレンタルしていた『ゴールデンカムイ』を返却しにGEOへ行った。良い漫画だったな~。元々は大阪のみんぱく(国立民族学博物館)へ行った時にアイヌコーナーで特集されていて気になっていたのだった。早く続きが読みたい。
GEOのそばに最近出来たラーメン屋があり、入ってみた。そのすぐあと、恐らく近所のスナックで働いているのであろうお姉さんが入店。店主と親しげに話しをしていた。「うちげの部落は全然もう出れんかったけ」と先日の積雪について話しをしていた。店内の雰囲気と鳥取弁がミックスされ、時代が様々に混ざりあったような気持ちがした。ドラマ『北の国から』の中にいるようだった。
帰り道、GEOの隣にあるカラオケからヤンキー風のお姉さんが一服しに外へ出てきた。佇まいに『幽遊白書』感があった。おれとあの人は同じ時代、同じ地域に暮らしている、恐らく同年代の人間同士だ。だけど全く異なる文化圏にいる。その不思議さを思う。そういえば吉高由里子のハイボールのCMは2010年代なのに90年代感があった。自分が当時に子どもだったから幸福な雰囲気を感じるのか、90年代そのものがそういう時代だったのか。どうやったら確かめられるだろう。ともかく今、ハイボールが飲みたい。
スーパーへ寄りハイボールを買った。そしてさっき飲んだ。本当は今日、ずっと星野源のことを考えていたのだが、ハイボール飲んでうぇーいな心の状態ではもう書くことができない。もう書けない。

1月5日(火)

天気|晴れ

場所|鳥取県湯梨浜町(自宅&店)

「夏が来れば思い出す 内山ハゲ 遠い空」と、中学校の同級生・村山くんはよく歌っていた。内山くんはハゲではなかった。布団に包まりながら、脳に蓄積された過去の記憶が意識へ染み出してくるのを眺めていた。今日はまずパクチーの収穫をしなければいけない。すぐ近くの美味しいインドカレー屋「夜長茶廊」と数ヶ月前からパクチーとカレーの交換を始めたのだ。こんなに嬉しい物々交換はない。
畑はまだ一面雪景色だ。獣の足跡しかない。トンネルとマルチをつけたパクチーの畝(うね)も雪に覆われている。アキナと二人、雪を掻き出しビニールを剥いだ。ペシャンコになったパクチーたち。茶色い斑点ができている。一口齧る。うん、苦い。今シーズンのパクチーも終了だ。あばよ。美味しかったよ。ありがとう。

畑から戻り、自宅で板を切りブックスタンドをつくる。モノをつくっている時は大体何か考え事をしている。コロナの感染者数は日毎に増している。春に自粛要請があり、様々な団体、スペースがクラウドファンディングをしていたことを思う。おれは自粛要請と補償がセットでなければいけないと同時に、クラファンと政治への意見もセットであるべきだと思う。ブランディング上手だけが延命する陰で、目立たない店はどんどん潰れた。結局、あの時延命できたスペースも再び窮地に立っている。ジャパニーズが避け続けてきた政治への声の出し方を全員が個々に獲得する時だ。そして政治とは何かについても全員で学び直すタイミングがきている。嘘、本当はとっくに来ていた。
昼飯を食べながら、日本海新聞の連載記事をTwitterでお知らせする。今回の記事は、おれが農学校でボランティアしながら田畑を学んでいた時の話。
当時青年海外協力隊へ行き、その資金で本屋を開業しようと考えていた。ある日、学校のアフリカ人スタッフからこう言われた。「国際協力と言って経済的に富める国の人々が援助へ来るのは結構なことだ。だが、貧しい国、貧しい人からの収奪を基にしたこの経済システムに則って人々が生活する限り、本当には貧困が無くなることはない。もし君が本当に世界を良くしたいと思うなら、先進国と呼ばれる国に暮らす君自身が、君の生活を創造してくれ」と。そして協力隊へ行くのをやめた。国際協力と自分の暮らす国の在り方を問うこともセットであるべきだ。枝葉の事象に対応するだけではなく、経済の根本に立ち返る時代だ。混乱の時代だ。

13時オープン。今日も焼き芋を焼く。今のところあまり売上は良くない。今日の焼き芋の売上を見て、平日は芋の販売をやめるかどうかを決めることにした。お客さんはポツポツと来てくれた。しかし基本的に暇で、棚卸しをしながらの店番。焼き芋は大量に売れ残った。なんだかリアルワールドもインターネットワールドもみんな大変な感じだなあ。歴史の教科書とか童話に出てくる「暗く貧しい時代」の再来っつう感じよ。

1月6日(水)

天気|晴れ

場所|鳥取県湯梨浜町(自宅)

今日は定休日。起きてすぐ餅を食う。「のぎ屋」という同年代の農家夫婦がつくったお餅。美味い。
餅を食ってから、自宅の一室を執筆部屋に改造する為、工事を着工。12畳ある部屋の間に壁をつくり、4畳の小さな部屋をつくる。この日記もそうだし、去年から時々文章の仕事を依頼されるようになった。自宅の夏の暑さ、冬の寒さがとてつもなく、いつも近所のカフェで書いていたが珈琲代も嵩むし、ドトール的な放置プレイをしてくれるカフェも鳥取には少ない。これは自宅をドトールかのように快適にすることでしかモリテツヤは執筆することができないなとずっと思っていた。出版社の人から一冊本を書こうとも言われているが、ずっと書く書く詐欺で乗り切ってる。本当に申し訳ない。ちゃんと毎日書く為の部屋をつくろうと、ようやく重い腰をあげた。
2021年に入ってから、ずっと漠然とした不安感を感じている。これでいいんだっけ、これで大丈夫かな。いつもそわそわしてる。こんな時は手を動かすのが一番。何かをつくっている時、不安は消える。
まずは作業場で廃材ストックを物色。以前解体仕事の現場でもらった60センチメートル角が大量にあった。この釘をキレイにとって、壁の構造材とする。執筆部屋と広間とを繋ぐ扉も必要だ。確か汽水空港の大家さん家に余った襖があったことを思い出し、倉庫から頂く。次は窓。窓のストックもいくつかある。テキトーなモノを明りの為に壁に打ち付けた。窓の下は板材。これも余ったものがある。

途中、近所のゲストハウス「たみ」へ。昨日売れ残った大量の焼き芋の行商。みんないっぱい買ってくれた。優しい。10年程前に出会ったかれらは当時20代だったのに今や40代手前になったね、と年齢の話になった。「シェアハウス」とか言って若者みたいな気分でいるつもりかもしれないけど、10代から見たら貧乏なおじさんとかおばさんが集まって暮らしてる家だというふうに見られてるかもねと言って爆笑した。
帰宅し、日が暮れるまで作業を続けた。晩飯を食い終わり、YouTubeでずっとホリケンの動画を観た。最高のおじさんだな、ホリケン。

1月7日(木)

天気|雪

場所|鳥取県湯梨浜町(自宅)

悪夢をみっつ見た。そのうちのひとつは、尊敬する友人が建築現場の足場から落ちてしまうという内容だった。あとのふたつは忘れた。外は吹雪。今日からしばらく鳥取は大雪警報が出ている。店の収入はあまり見込みがないだろう。建築現場に出動するしかなくなるかな。
Twitterを開くとアメリカでトランプ支持者たちが議事堂へ押し入ったというニュースが流れていた。世界中で騒動が起きている。東京は自粛要請がかかっている。案の定、補償の話は今の所出ていない。日本に暮らす大多数はそれでも安倍や菅、自民党を「マトモ」だと認識しているのだろうか。鳥取は静かに雪に閉ざされ、貧困が迫っているような印象だ。
朝昼兼用のベーコンエッグ、ぬか漬け、味噌汁、納豆ご飯を食う。アキナのつくるぬか漬けが最近本当に美味しい。世の中がどうであろうと、ぬか漬けは変わらなくある。ホリケンもずっとパラグライダーをする。

昨日の作業の続き。残ったエリアの壁をどのようにつくろうか、家と作業場をいったりきたりしながらイメージをつくる。壁用の板はTさんが以前大量にくれたものを使うことにした。必要な長さに切っては、端材を外の焼却炉にくべる。寒くなったら火にあたり、温まったら作業を再開する。まだ明るいうちに壁が仕上がり、室内を掃除。お香を焚いてなんとなく良い部屋ができたと思う。大工道具が散らかりすぎたから、それぞれの道具箱にモノを適切に分類した。執筆部屋も出来たし、大工道具も整理できた。作業場もキレイに片付いた。自分の仕事をつくる準備ができた。文章を書いて、謎の民芸品をつくり、田畑と本屋をする。それらの総合的収入によっておれは生きていきたい。

夜、溜まったゴミを猛吹雪の中雄叫びをあげながら走って捨てにいった。息を切らし再び雄叫びをあげながら執筆部屋に逃げ込み、ヘンリー・D・ソローの『森の生活』を読む。今の日本の政治、国全体を覆う暗黒な性質は中心となっている世代の価値観によってつくられているとずっと思っていたけど、最近世代は関係ないのかもしれないと思い始めた。どんな世代にも自分と似たような価値観の人はいる。そしてどの世代でも大多数の人とはあんまり価値観が合わない。実際、ソローは19世紀の人間だが、驚く程考え方がおれだ。
世代で人に期待したり失望したりするのはあんまり意味がない。年齢を問わず、自分も他人も価値観というのはいつでも変わり得ると思っていたほうが良い。若者がとか老人がとかじゃない。変わる勇気がある人間か、そうでない人間かってことだ。そんなことをソロー読みながら考えた。

1月8日(金)

天気|晴れ・極寒

場所|鳥取県湯梨浜町(自宅&店)

「もう十分生きたなあ。満足だ」と布団の中で思っていた。自分が生きてきた僅か34年間の歳月に、時代がふたつかみっつ変化してきたように感じる。もう十分に生きた。個人的な幸福はもう十分に得た。だからおれは、自分の命を「今よりマシだ」と思える世界の為に注いでいる。おれはそんな独自の信仰を今自分で編んでいる。誰かの為ではなく、なんらかの神の為でもなく、そうしたいと思う欲求がいつからか自分の心の内から湧いてきている。しかし、果たしてどんな世界の状態が「今よりマシ」な状態といえるのか。ここに永続的な学びが求められる。それでおれは様々な詩人、芸術家、哲学者、学者の言葉が記録された本を扱う店を運営している。そうすると、あらゆる場所から賢者が訪れてくれる。彼らと会話し、文字を読み、考える。考えたことを実践する。その繰り返しの中で、おれは人間として良くなっていきたい。世界もマシになったらいいと願う。自分の命や人生をそんなふうに捉えている。この道の上で起こるあらゆることを味わいたい。苦くてたまらない味も苦い顔して味わい、そして死にたい。

12時、汽水空港に着陸。休み前に「焼き芋の売れ行きが悪かったら、販売を土日だけにしよう」とアキナと話していた。売れ行きは悪かったが、なんとなくまだ粘って売ってみたほうが良い気がして、急遽焼いてみることにした。売れてくれよ、焼き芋ちゃん。
今日は、以前わざわざ手紙をくれた大学生がはるばる訪ねてきてくれるらしい。幸い雪はたいして積もらなかったが、鳥取で暮らし始めて最も凄い寒波がやってきた。交通機関は動いているのだろうか。心配だ。
お客さんはポツポツと訪ねて来てくれて、焼き芋は通りがかりの現場作業員のようなおっちゃんが大量に買ってくれて無事に完売した。大学生も無事に着陸した。
閉店後、Aさんの家を訪ねる。売れ残った焼き芋でスープをつくってくれた。さつまいもとミルク、シナモンだけでつくったスープはこれまでの人生の中でもトップクラスに美味しいと感じた。「売れ残った芋はこうしてスープにすればいいよ」と良いアイディアをくれた。そうする。スープを飲みながら、おれはこの数ヶ月誰にも言えずに抱え込んでいた心の闇を打ち明けた。

1月9日(土)

天気|快晴

場所|鳥取県湯梨浜町(自宅&店)

朝の4時に目覚めた。人を疎ましく思う気持ちは誰もが抱くもの。その気持ちを自分も持っているということを認められずにいた。昨晩Aさんに打ち明けた直後は「そんなことで悩むなんて良い子ちゃんかよ」と言われ、とてもスッキリした。そうだ、抱えた気持ちは仕方がないじゃないかと。だけど、今はそれを認めてしまうとあらゆることがなし崩しに倒れていくのではないかと不安になっている。興味がなくとも、好きではなくとも、応援することができなくとも、人として尊重するという姿勢を保てなくなってしまいそうな気がした。そう思っているうちに、再び眠りに落ちた。
目が覚めて、そのことをアキナに伝えた。なんて言われたっけ。忘れたけど、なんかスッキリした。そのまま風呂に入って身体を温めた。

12時、汽水空港着陸。昨日からトイレの水が凍結していて使えない。積もった雪は硬い氷になって町を覆っている。近所のコンビニにトイレを借りて、店に戻るとKさんが来店していた。Oさんと店で待ち合わせしているらしい。遅れてOさんもやってきた。みんなで最近話題の齋藤幸平の話をした。世間ではデヴィッド・グレーバーや齋藤幸平の本がよく売れているらしい。「アナキズム」も色々なメディアでよく見かける。話はコミュニズムや共同体の在り方に移行した。
経済の話はいつも近代を遡り、元々人間はどのようにして暮らしてきたのかという人類学の話に繋がる。それでおれは最近『アボリジニの世界』という本を読んでいる。アボリジニも他の狩猟採集民と同じく、富の蓄積をしない。食べ物も喜びも分かち合う。今は競争や富の蓄積、権力の獲得を志向する人間とそうではない人間とが入り乱れて生活している。この価値観の違いを乗り越えて、現代の田舎の町でどういう共同体を新たにつくることができるのか。分け与えようとする気質の隣で奪い合いと競争が行われた時、どうしたらいいのか。
Oさんは、自分が学んできた孔子の話を例に出す。孔子は秩序を保つ為に「礼」の概念を整えた。しかし「礼」のような掟を破った場合どうなるのか。Oさんは「仁」があると答えた。仁とは思いやりの心で、掟を破ったからといっても見捨てない優しさのことだという。この話には大学生たちも加わり、コロナ禍の東京、これからの仕事の話に至った。
その後もお客さんがポツリポツリと訪れた。去年神奈川から近所に引っ越してきたBさんが、狩猟免許の為のテキストを貸してくれた。最近周辺の人がみんな狩猟免許を取り始めた。今年はおれも免許をとりたい。

帰宅して、アキナが納豆パスタをつくってくれた。美味い。執筆部屋に籠り『アボリジニの世界』の続きを読む。今は少年が大人になる時のイニシエーションの箇所だ。アボリジニのイニシエーションでは、少年は断食、沈黙、不眠、トランス状態を経て擬似的に死ぬ。そして再び生き返る。その過程は仏教徒のようでもある。生きながら死について学ぶチベット仏教の一節を読んでいるようだ。
経済について考える時、現代を生きる人間にとっての信じる対象は金になっていると思う。金を信仰とするのをやめたあと、人間が何を信じ始めるのかにおれは興味がある。様々な部族のイニシエーションや神話が何を表してきたのか。生きることや死ぬこととはどんなことなのか。現代が茶化してきた「霊性」みたいなものに、おれは恐る恐る向き合ってみようとしている。

1月10日(日)

天気|晴れ

場所|鳥取県湯梨浜町(自宅&店)

台湾と中国に暮らす夢を見た。台湾ではビザが取れず四苦八苦しており、なんかおばさんに怒られた気がする。目覚めて外を見たらまた雪が積もっていた。朝からカレーを食べ、積もった雪の中を歩きたくて徒歩で店まで行く。
トイレの凍った水道は融けた。良かった。今日もKさんとOさんが来店。音楽についての話を熱心にしていた。スパークしてた。おれは最近のお客さんの少なさに危機感を覚え始め、通販ページにどんどん本をアップする作業を必死にしていて、あまり会話に参加できなかった。通りがかりの人が焼き芋を購入してくれた。
「のぎ屋」の夫婦も着陸。かれらの生産するお餅の委託販売をやってみようということになった。試しにまずは5袋仕入れた。美味しいお餅。おれは上質なブランディングをしなくたって、当たり前に心を込めて農作物をつくる農家が、当たり前に生きていけるような世の中になって欲しい。かれらのお餅も全然高くない。良い気持ちで働いてつくったものを、庶民が買える値段で販売し、農家もそれで気持ちよく生きていける。そんな当たり前が実現して欲しい。
畑仲間のさとPも着陸。かの女は半年ほど前からターミナル2(汽水空港の畑)のハーブを使ってつくったクッキーやケーキを店で出してくれている。屋号は「イヤパパセ」。甥っ子がお店屋さんごっこをする時に言う「いやぱぱせ(いらっしゃいませ)」からもらってきた屋号。とても良い。この間、よく来てくれるお客さんがイヤパパセのケーキが美味すぎるから店を出したほうが良いと言ってた。本人に伝えると嬉しそうだった。
18時頃、焼き芋屋かと思って中へ入ってくれたご夫婦が着陸。ドリンクも注文してくれた。女性の方が天井に貼ってある過去のイベントフライヤーを眺め、「この坂口恭平って人は良い字を書きますね。何の人? まとまらない人?」とぽかんとしていた。「新政府を立ち上げて総理大臣になった人で、建築家で、いのっちの電話というのをやってて……」と説明すると興味を示してくれたようで『お金の学校』を買ってくれた。焼き芋をきっかけに店内に入って、本を買ってくれたらいいなと思っていた。芋の売上がそんなにないとしても、仕入先の「ほのぼのハウス農場」にお金を流すことができるし、こうして時々偶然の出会いを起こせる。それで良い。

帰宅後、山下陽光さんがTwitterで呟いていたバンドマン・イノマーの記録映像を観る。ガンで闘病し、亡くなるまでの1年間の記録。生きているうちに好きな人にちゃんと好きな気持ちを伝えていこうと思った。そして誰もが死ぬし、自分も死ぬと実感する映像だった。人と人が出会うというのは、生きてる僅かな時間が偶然重なったってことだ。貴重な重なりだ。

バックナンバー

2020

6

  • 是恒さくら(美術家)
  • 萩原雄太(演出家)
  • 岩根 愛(写真家)
  • 中﨑 透(美術家)
  • 高橋瑞木(キュレーター)

2020

7

  • 大吹哲也(NPO法人いわて連携復興センター 常務理事/事務局長)
  • 村上 慧(アーティスト)
  • 村上しほり(都市史・建築史研究者)
  • きむらとしろうじんじん(美術家)

2020

8

  • 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館 学芸員)
  • 山本唯人(社会学者/キュレイター)
  • 谷山恭子(アーティスト)
  • 鈴木 拓(boxes Inc. 代表)
  • 清水裕貴(写真家/小説家)

2020

9

  • 西村佳哲(リビングワールド 代表)
  • 遠藤一郎(カッパ師匠)
  • 榎本千賀子(写真家/フォトアーキビスト)
  • 山内宏泰(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)

2020

10

  • 木村敦子(クリエイティブディレクター/アートディレクター/編集者)
  • 矢部佳宏(西会津国際芸術村 ディレクター)
  • 木田修作(テレビユー福島 報道部 記者)
  • 北澤 潤(美術家)

2020

11

  • 清水チナツ(インディペンデント・キュレーター/PUMPQUAKES)
  • 三澤真也(ソコカシコ 店主)
  • 相澤久美(建築家/編集者/プロデューサー)
  • 竹久 侑(水戸芸術館 現代美術センター 主任学芸員)
  • 中村 茜(precog 代表取締役)

2020

12

  • 安川雄基(合同会社アトリエカフエ 代表社員)
  • 西大立目祥子(ライター)
  • 手塚夏子(ダンサー/振付家)
  • 森 司(アーツカウンシル東京 事業推進室 事業調整課長)

2021

1

  • モリテツヤ(汽水空港 店主)
  • 照屋勇賢(アーティスト)
  • 柳谷理紗(仙台市役所 防災環境都市・震災復興室)
  • 岩名泰岳(画家/<蜜ノ木>)

2021

2

  • 谷津智里(編集者/ライター)
  • 大小島真木(画家/アーティスト)
  • 田代光恵(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 国内事業部 プログラムマネージャー)
  • 宮前良平(災害心理学者)

2021

3

  • 坂本顕子(熊本市現代美術館 学芸員)
  • 佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

特集10年目の
わたしたち