Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2021

1

1月18日-24日
柳谷理紗(仙台市役所 防災環境都市・震災復興室)

1月18日(月) 

天気|快晴のち曇り

場所|仙台市青葉区(花壇―国分町)

7時起床。カーテンの隙間から、久しぶりにクリアな朝焼けが見えた。私の家の窓からは、経ケ峯の美しい絶景が見える。崖面に雪がうっすらと残っている。
長い夢を見ていた。中学校時代と、仕事が混じったような夢だった。学校の階段の踊り場には写真が飾ってあった。「バス停」という文字があった。最近、ときどき階段を上っているような夢を見る。起きたとき階段を上った身体感覚が刻まれている。夢の中に、DMAT(災害派遣医療チーム)が航空機で出動しているような描写が出てきたのは、昨日の阪神・淡路大震災から26年目の特集番組の影響だと思う。

私が住んでいる町は、旧町名にある「琵琶首丁(びわくびちょう)」という地名が示すように、広瀬川に囲まれた地形が半島状となり、その中間がくびれている。毎日外にでると、広瀬川のダイナミックな風景が目の前に広がり、川を眺めながら、歩いて職場に向かっている。
川の対岸に見えるのは追廻地区。工事のショベルカーの音が響いている。江戸期、明治期、昭和期、様々な歴史の変遷を経て、現在青葉山公園の整備工事が行われている。残っている1軒のお宅の近くで、工事車両が動き、周囲に茂っていた木々が、徐々に少なくなっている。
朝すれ違う人のほとんどは留学生。近くに花壇自動車大学校があり、自動車整備を学ぶ数百人の留学生がいる。マレーシア、スリランカ、ネパール等の出身者が多く、コロナウイルス感染拡大の前は、地域のお祭りや草刈りを手伝ってもらったりしながら交流をしてきた。しかし今年は町内会の行事はほとんど中止。昨年、留学生の間でクラスターが発生してしまってからは、さらに生活が制限されて大変そうだ。
出勤すると、職場の同僚のご家族の職場でコロナ感染者が出て、同僚も念のためPCR検査を受けることになったとの会話。感染者が増えているし、今日のフットサル(文化系フットサル大会を企画してくれた桃生和成さんの縁で、ここ数年は月に2回参加)に行くかどうか悩んでいたので、念のため欠席にしておこう決めた。いつも車に乗せて行ってもらう近所のギャラリー「ターンアラウンド」の関本欣哉さんに連絡。後でPCR検査の結果は、陰性だったとわかってほっとする。

昨日、震災遺構 仙台市立荒浜小学校(以下、荒浜小)の嘱託職員である鈴木憲一さんから電話があった。ある公的機関から相談があり、昭和30~40年代の「貞山堀での釣りや水遊びの様子」「田植え」の様子を写す写真がないかと探しているとのこと。思い浮かんだのは、せんだい3.11メモリアル交流館(以下、メモ館)や荒浜小の展示でも使わせてもらっている写真。写真家の小野幹さんが撮影した「貞山堀でのシジミ漁」の写真と、若林区にある七郷地区・六郷地区の記録を記した「ふたつの郷」に掲載されている市民の方提供の「三本塚での田植え」の写真だ。ご本人や所蔵者と調整をし、相談者へ連絡。

メモ館や荒浜小で使っている被災した沿岸地域の震災前の写真は、そのほとんどは行政が撮ったものではなく、市民らから提供いただいたものだ。あたりまえにそこにあった「暮らし」や「なにげない家並み」の様子を示す写真は、市民が日常のなかで撮影し、持っていたが、その多くが流されてしまった。残された数点の写真が、震災前とその後をつなぐ貴重なフックとなっている。
過去に撮影された記録を、誰かが見つけて、再び息を吹き返す。経緯や思いも含めて記憶が手渡されていく感覚、新しく知った若い世代が誰かに伝えたいという真摯な気持ちが合わさったときに伝わっていくんだな、ということを感じさせられることが多い、今の仕事だ。

1月19日(火) 

天気|雪

場所|仙台市青葉区(花壇―上杉―国分町)

風が強い。ビュービュー、ガタガタという音で目を覚ます。カーテンを開けると、周りの家の屋根が雪で白くなっている。歩くとジャリジャリと、凍っている路面を感じる。かなりの強風。西の空は今にも雪が降りそうな雲が空を覆っているが、東の空は明るい。

4月の新規採用職員研修の内容の確認が届く。コロナウイルス感染拡大の影響を受け、これまでバスで全新規採用職員が訪れていた荒浜小見学は、次年度は見送り。代わりに複数回に分けての講義型での研修に変更。職員間伝承プログラム(今年度から宮城教育大学防災教育研修機構の小田隆史先生と、東北大学災害科学国際研究所の佐藤翔輔先生と共同で検討している)の内容も踏まえながら、ただ過去に起こったことを伝えるのではなく、現在や普段の仕事に引き付けて伝えられるようにと、時間配分と内容を考える。仙台市では、震災後に入庁した職員は、既に3割を超えた。
昼休みはお散歩がてら上杉にあるパン屋「石井屋」さんへ。強風のせいか秋から残っていた銀杏の実が落ちたよう。スズメが銀杏の実に群がり、ついばんでいる。

仕事を終え、夜は片平地区まちづくり会・花壇大手町町内会の今野均会長と都市デザインワークスの豊嶋純一さんと、まちなか農園事務所で片平地区まちづくり会の幹事会開催方針の打ち合わせ。現在、地域主体で作った「片平地区まちづくり計画」の第2期版を、福祉の視点を組み込んだ形でどのような方向性としていくか、検討を進めている。12月末に東北大学災害国際科学研究所の小野裕一先生らと行った勉強会では、専門家から示されたデータで独居高齢者の増加を実感させられた。最近は豪雨の頻度も増えている。2015年、2019年の豪雨時には、指定避難所の片平丁小学校に約100人が避難した。高低差が多い片平地区だが、河岸段丘の下側の地域は水害リスクが高く、災害時要援護者への情報提供や対応をどうするかが切実な課題。

直接会っての打ち合わせは新年初で久々。今日は、コロナ禍で1月30日に予定していた幹事会を開催するかどうかの方針を検討。結果、最低限、各分科会のリーダーを集めての会議にすることにした。打ち合わせの前後、最近の町内会のコロナ対応、片平子どもまちづくり隊の中学生たちが企画した「たすけてハウスハロウィンパーティ」の取り組みが宮城県警から感謝状を受けること、地域の憩いの場だった蕎麦屋さん「辰巳庵」閉店後ラーメン屋が出店すること、青葉通沿いにリノベーションビルがオープンすることなど、雑談しながら共有。

仕事と町内会との両立が、社会人になりたての頃よりもしんどくなっている今日この頃。ただ、この町で楽しい仲間たちとわいわいできる楽しさ、まちを支えてくれている人がいることの安心感は代えがたい。無理はしすぎないように気を付けながら、今後もできる範囲で関わっていくんだろうなーと思いながら迎える、この町に暮らし始めて12年目の冬。

1月20日(水) 

天気|曇り

場所|仙台市青葉区(花壇―国分町―木町通)

昨日は疲れて早く寝た。朝少し早めに起きて、片平地区まちづくり会の分科会リーダー会議の案内をメールしてから出勤。
職場では、最近メディアからの震災10年関連のアンケ―トが多い。市役所内にワクチン接種を推進するための部署の設置準備が進められている話が聞こえてくる(後日、これまで復興関係・メモリアル関係で一緒に働いたことのある2名が配属とわかる)。コロナウイルス感染者療養施設の応援勤務依頼も、職場に届いている。

数日前、せんだいメディアテークで、小森はるか監督の映画『空に聞く』のチラシを手に取っていた。小森さんの手書きのメッセージにほっこりしつつ、上映期間が1週間と短かったため、夜は仙台フォーラムへ。
最終日前日。「陸前高田災害FM」のパーソナリティをしていた阿部裕美さんのドキュメンタリー作品。小森さんの映画を見ていると、その場に自分がいるように感じる。冒頭のこたつのなかの雰囲気などは、カメラに向けられているおじちゃんの視線があったかくて、笑えてくる。貴重な瞬間、その時ではないと感じられない空気感、瞬間が収められているなーと、けんか七夕や陸前高田の空の様子を見て思う。震災が起こってから、こんなに多くの時間が過ぎていたんだと、改めて感じた。

建築ダウナーズの千葉大さんと菊池聡太朗さんが偶然前に座っていた。2月から菊地さんの展示が塩竈市杉村惇美術館で開催する。見に行こうと思う。風が冷たい夜道、イヤホンで音楽を聞きながら、歩いて帰る。

1月21日(木)

天気|晴れ

場所|仙台市青葉区(花壇―国分町―立町)

朝、テレビを付けるとアメリカ合衆国のバイデン大統領就任式のニュースが流れている。
昨日のうちから、今日の天気予報を気にしていた。フットサルに行けなかった分、体が硬いままなので、運動をしたかった。8℃という暖かい予報だったので早起きし、追廻~川内周辺を、新たな海辺のリサーチツールとして手に入れたスケボー片手にお散歩。追廻の工事中のフェンスを抜けたとき、ちょうど朝日が昇る瞬間、はっとする景色。長沼、五色沼がうっすらと凍っている。国際センターの近くでは、低木のたもとに、ジョウビタキがカサカサと動いている。

出勤前、昨日職場に来た相談に関連して、自分自身が撮影した震災当日の写真を探していた。街中にある非常用電源があった高層ビの1階に人が集まっていた写真である。エピソードはこれまでも何回か紹介していて、「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の記事にもあり、『3.11キオクのキロク 市民が撮った3.11大震災 記憶の記録』にも掲載してもらったので、その写真の存在はよく覚えている。でも、この10年の間、携帯、自宅のパソコン、ハードディスクの買い替えを何度か行っているから、データがすぐ引き出せなかった。今使っているハードディスクに改めて保存する。
昼休み、メディアテークの近くにある「UP! BAKER」へ。そこで偶然、西公園プレーパークのプレーリーダーでもあり、現在3児の母でもある、佐々木啓子さんとばったり会う。買ったパンを手に、定禅寺通で一緒に食べる。

東日本大震災が起こった年、私は社会人になって3年目。仕事以外に個人的に知見を深めたかった分野の、いくつかの市民活動に関わっていた。その一つがプレーパーク(冒険遊び場)だった。西公園プレーパークの阿部正樹さんが、津波で多くの児童が被災した石巻の大川小学校区の方々が避難する河北地区に住んでいた。その阿部さんの声をきっかけに立ち上がった亀ケ森冒険遊び場のサポートをしたり、震災前後に若手で子どもの遊び環境学習会を開催していたこともあって、震災が起こった年は、よく佐々木家に集まって、打ち合わせや準備をしたり、ご飯を食べたりと、家族ぐるみの交流をしていた。最近はもう直接的に活動には関わっていないけれど、当時の経験は濃厚だった。支援活動に入る前にまずは自分自身の震災体験をシェアしたり、現場でのモヤモヤを抱えずに他者と共有し、自分のなかでの落とし込みをすることの大切さを実感したのは、その時の経験が大きかったなと、佐々木さんと久しぶりに話して忘れていた感覚を思い出す。
その頃、生まれたばかりだったDはもう10歳。お互いの近況と、これからのことを共有し、「またね」と手を振って別れる。

1月22日(金) 

天気|晴れ

場所|仙台市青葉区(花壇―国分町)

この10年、震災の話をずっと聞き続けている。その一つが、市職員の体験。きっかけは、震災前に立ち上がっていたTeam Sendaiという仙台市職員有志の団体。声をかけられるがまま参加していたのだが、震災時に部署や役職を超えて話をできる関係性に助けられた。自分が体験したことはほんの一部で、神戸市や新潟市の職員の人が心強く助けてくれたように自分たちが次に動けるかという不安な気持ちなどもあり、職員同士でヒアリングを始め、体験を共有する場をつくっていた。
有志活動に限界を感じていた震災から6年目、神戸市職員に対する災害エスノグラフィー調査を実施してきた静岡県常葉大学の重川希志依先生・田中聡先生が、東北大学との共同研究を提案してくれた。ちょうどその時、仙台市の震災メモリアル事業を所掌していた私が所属する部署で協力体制をとることになり、現在は常葉大学、東北大学、職員有志団体、仙台市の4者で、災害エスノグラフィー調査を実施している。
今年度が最終年の4年目。これまで67名、25回のヒアリングを行った。ヒアリングの後、話の内容を、時系列・教訓毎に並べ替え、研修テキスト化・映像化を行っている。この形に落ち着くまで試行錯誤し、長い時間を要した。現在はこれらの記録も活用しながら、職員間伝承プログラムを構築する流れとしている。

今週は「ガス局」「遺体安置・埋火葬」「市災害対策本部」の原稿確認を行っていた。自分でも思っている以上に、精神的にエネルギーを使っている。ただ、「話を聞く⇒再び聞き返す⇒編集をする⇒本人に確認をする⇒できた記録を元に他者と対話する」という一連の作業に関われていることの深みも実感する。ヒアリングや対話を重ねることで、同じ話を聞いても、見えてくることが変化している。
市のエスノグラフィー事業は今年度で終わりだけれども、有志として応援職員や市民の方も含めて話を聞き続けたいというTeam Sendaiの鈴木由美さんの想いを受け、今年度からは東北大学からビデオカメラを借り、ヒアリングを独自にスタートした。細く長く続けられるように、成果物は無理をせず、まずは聞いて映像と音声で記録、テープ起こしまでやろうということに。由美さんは、2月にメモ館で開催する朗読イベントの原稿をつくりたいと張り切っている。

……そのような経緯のもと、この日の夜は、今年度5回目となった有志独自ヒアリング。津波で浸水被害を受けた高砂中学校で教諭をしていたM先生の話を聞く。本当に偶然なのだけれども、私が卒業した若林区K中学校に、同じ時期に新任で配属された先生だった。
震災時、生徒たちと満足な卒業式ができなかったこと、その悔しさの背景にあるエピソードを聞いた。M先生は、生徒が明るく前を向いて学校生活が送れることを第一優先に考えるようになったという。子供時代の話を聞きながら、自分が体験した以上の経験は、他者に与えることができないんだなと感じた。また、津波被災した地域の結束力の強さの話も出て、これまで宮城野区蒲生地区・中野地区で出会った人達の顔が思い浮かんだ。

話はすこし逸れるが、K中学校はやんちゃな生徒が多く、M先生はずっと生徒指導を担当していた。バトルしてきた生徒たちから卒業式に「M先生だけはアルバムにメッセージ書いて良いよ」と言われ、その時に節目の大切さを実感したというエピソ―ドを聞き、当時の同級生らの顔を浮かべながら、なるほどな、「節目」ってそういうこともあるよなと、腑に落ちた。

1月23日(土)

天気|晴れときどき曇り

場所|仙台市青葉区(花壇)、若林区(荒浜―上飯田―東六郷―井土)、名取市(閖上)

この日は天気が良かったので、沿岸部を自転車でお散歩することにした。
地下鉄の海側の終着点、荒井駅の駐輪所に自転車を停めているため、まず地下鉄で荒井駅に向かい、そこから荒浜方面へ出発する。嵩上げ道路を上る手前の畑で、200羽ほどの白鳥が餌を求めている。年末も同じ場所にいたが、食べるものはなくならないのだろうか。
荒浜小の嘱託職員でありHOPE FOR Project代表の髙山智行さんに荒浜に関する記録で共有したいことがあり、30分ほどおしゃべり。コロナ禍で迎える2度目の3月11日、どのように場を開くことができるかを話しつつ、次の10年、引き続きお互い無理なく歩んでいけるペースにできると良いねという話をした。

沿岸部に来るなら、今年度中に会っておきたい人がいた。若林区上飯田にある「スタジオカメヤ」という地元の写真屋さん。私が卒業したY小学校の学校カメラマンだった方で、これも偶然、メモ館に震災時の写真を提供したいと職場に電話がかかってきて、再会した。津波で被災した東六郷小学校の学校カメラマンでもあり、提供いただいた写真は、津波で流されたものでもどこか震災前の生活を感じさせる、印象深い写真だった。今年カメヤさんの写真を再び活用させていただく機会があり、今後のためにも経緯がわかるようにしておこうと、許諾書を書いてもらうことに。写真屋さんは来年閉める予定だそうで、間に合ってほっとする。東六郷小学校跡地を通ると現在広場として整備中、3月に完成する予定となっていた。

六郷地区を抜け、名取市閖上に向かう。久しぶりなのでと「3.11オモイデツアー」でお世話になってきた閖上の長沼俊幸さんに連絡を入れていた。待ち合わせの時間よりも少し早めに到着したので、かわまちてらす閖上で休憩していたら、偶然サイクリング中のメモ館・飯川晃さんに会う。せっかくなのでお誘いし、2人で待ち合わせ場所である日和山へ。
町内会の役員として再建先のコミュニティづくりに関わっている長沼さん。コロナ禍でせっかく築いた交流の場もなかなか開けなかったそうだ。そんななかで向かえる3月11日。仮設住宅時代の縁と、新しい移転先でのコミュニティと、それまでの過ごし方が必ずしも一致しないなか、どう開催できるかなどを話しつつ、雑談を通して今の閖上の空気感を感じさせてもらった。昨年10月にオープンした名取市サイクルスポーツセンターにある温泉の話を聞き、帰りに寄ることに。「また呑みましょうね」と言って、別れる。

温泉の入り口には、震災前に閖上にあった橋の絵が飾られていた。地元の人と思われるお母さんが「あ、ここママの家があった場所の近くだよ」と、小学生くらいの子供に懐かしそうに話している。センターの1階には、ハンバーグレストラン「閖上港食 HACHI」が出店していた。そこからは震災後に見てきた閖上を反対方面から眺めることができ、新鮮だった。震災前もよく自転車で通っていた仙台市内では、つい過去と今を紐づけて考えて、気が付かぬ間に脳が疲れてしまうけれど、あまり震災前を知らない場所だと、今に集中して楽しめるんだなと感じた。ゆっくり海を眺めて満喫。しかし調子に乗って遠出しすぎたなと、自転車を漕ぐ足が重くなりながら、帰路に着く。

夜は、「10年目をきくラジオ モノノーク」を聞く予定だったが、疲れすぎて、途中で寝落ちした。

1月24日(日)

天気|晴れ

場所|仙台市青葉区(花壇―一番町)

さすがに昨日は動きすぎたので、今日は一日休息する。午前中に、溜めていた掃除、洗濯、買い物、料理など家のことを済ませる。その合間に、お風呂に入りながら、昨日の「モノノーク」を聞く。片手間に聞こうとしても、聞き流せない自分がいて、お風呂のなかで聞いていることが多い。「10年目の手記」の遺体安置所の描写を聞きながら、今週聞いた安置所を対応した職員の話を同時に思い出す。

お昼過ぎに「ターンアラウンド」へ。熊谷毅さんの「集合した粒子が総体として経験する錯覚」展を見て、恐山に行くバスに乗った気分になる。スタッフの安部朝美さんに「青野文昭ブレンド」を頼む。コロナ禍に買ったコーヒーチケットを数回使って紛失してしまい、再購入しようしたら再発行してくれた。安部さん、やさしい。最近のご近所の話題やメモリアルについての話を共有しつつ、コーヒーを飲み終える。
ターンアラウンドは震災直前にオープンして、昨年10周年を迎えた。私が町に引っ越してきた当時、町内会に関わる若者はほとんどいなかったが、ターンアラウンドの企画を通じて転居してきた人もいたり、いろんな切り口の出会いが生まれたりして、町に関わる楽しさが各段に増した(それまでは義務感の方が強かった気がする)。震災の後は、メモリアルが仕事となり「記憶」について考えさせられる時間が多いけれども、ここで出会える表現や人々の取り組みのなかで、ヒント多くもらえる場所。助けられている存在。

その足で、髪を切りに出かける。ずっとお世話になっている美容師さんでコロナ直前に独立し自分のお店を構えた方。マスクをしながら髪を切ってもらうのにももう慣れた。「成人式のときはどうでしたか?」と聞くと、今年は1件もセットの予約はなかったそうだが、来年は約束している人がいるという前向きな話になる。

夜は、メモ館立上げに関わってくれた在仙のクリエイターさんたちの縁で出会い、最近大阪に転居した石巻出身の深村千夏さんとZoom呑み。「箕面ビール」を仙台フォーラスの地下で仕入れて準備。積もる話をしつつ、「今年の3月11日はどうする?」という話も。あっという間に日をまたいでいた。オンラインでも、気の許せる関係性の人とは、直接会っているときと変わらないくらいお酒が進む。

日記を書いていて、震災のことに触れない日がないことに気付いた。メモリアル事業を担当して、今年で7年目。震災後、仕事以外にも関わることの範囲が広がった。ひたすら目の前のことに対応していたら「震災モード」が抜けきらず、オーバーフローしたのが一昨年の夏。ペースダウンは意識してきたが、このコロナ禍で動けない状況になってようやくモードが変わったような気がする。
これまでは短距離走で進まざるを得なかったけれども、これからも落ち着いて歩んでいけるように、次の走者にバトンを渡したり、長距離走のペースに調整をかけている、震災から10年目だ。

バックナンバー

2020

6

  • 是恒さくら(美術家)
  • 萩原雄太(演出家)
  • 岩根 愛(写真家)
  • 中﨑 透(美術家)
  • 高橋瑞木(キュレーター)

2020

7

  • 大吹哲也(NPO法人いわて連携復興センター 常務理事/事務局長)
  • 村上 慧(アーティスト)
  • 村上しほり(都市史・建築史研究者)
  • きむらとしろうじんじん(美術家)

2020

8

  • 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館 学芸員)
  • 山本唯人(社会学者/キュレイター)
  • 谷山恭子(アーティスト)
  • 鈴木 拓(boxes Inc. 代表)
  • 清水裕貴(写真家/小説家)

2020

9

  • 西村佳哲(リビングワールド 代表)
  • 遠藤一郎(カッパ師匠)
  • 榎本千賀子(写真家/フォトアーキビスト)
  • 山内宏泰(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)

2020

10

  • 木村敦子(クリエイティブディレクター/アートディレクター/編集者)
  • 矢部佳宏(西会津国際芸術村 ディレクター)
  • 木田修作(テレビユー福島 報道部 記者)
  • 北澤 潤(美術家)

2020

11

  • 清水チナツ(インディペンデント・キュレーター/PUMPQUAKES)
  • 三澤真也(ソコカシコ 店主)
  • 相澤久美(建築家/編集者/プロデューサー)
  • 竹久 侑(水戸芸術館 現代美術センター 主任学芸員)
  • 中村 茜(precog 代表取締役)

2020

12

  • 安川雄基(合同会社アトリエカフエ 代表社員)
  • 西大立目祥子(ライター)
  • 手塚夏子(ダンサー/振付家)
  • 森 司(アーツカウンシル東京 事業推進室 事業調整課長)

2021

1

  • モリテツヤ(汽水空港 店主)
  • 照屋勇賢(アーティスト)
  • 柳谷理紗(仙台市役所 防災環境都市・震災復興室)
  • 岩名泰岳(画家/<蜜ノ木>)

2021

2

  • 谷津智里(編集者/ライター)
  • 大小島真木(画家/アーティスト)
  • 田代光恵(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 国内事業部 プログラムマネージャー)
  • 宮前良平(災害心理学者)

2021

3

  • 坂本顕子(熊本市現代美術館 学芸員)
  • 佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

特集10年目の
わたしたち