Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2020

10

10月19日-25日
木田修作(テレビユー福島 報道部 記者)

10月19日(月)

天気|濃霧→晴れ→曇り

場所|いわき市

きょうはいわき市に。東京電力福島第一原発の処理水について、政府は海洋放出の方針を固めた。このニュースを出したのが先週末の16日。全漁連や福島県水産加工業連合会が政府に反対を表明したのが8日で、それから1週間でこの方針を決めたことになる。もう少し丁寧に事が進むと思っていたから、正直、かなり打ちのめされている。週末、何ができるか考えた。結局、私たちには地元の声を伝え続けること。それに尽きる。というか、できることはそれしかない。どうにかこうにか自分を奮い立たせ、アポを取っていわきに向かった。
水産業に関わる人たちを中心に取材する。水産業といっても、漁業者だけではない。魚をとる漁業者の先には、仲買や加工、小売、組合や市場もある。この問題を漁業者だけの問題にしてはいけないのだ。実際に影響を受ける人はもっと多くいるし、漁業者がすべてのカギを握るような伝え方は、最も影響を受けるステークホルダーを追い込みかねない。
午前は放射線検査の現場。60センチメートルはあろうかという立派な真鯛がさばかれ、みじん切りにされて検査に回される。内心もったいないなあと思う。ほとんどが検出限界未満。今年国の基準値を超えたものは出ていない。検査の結果よりも、検査を継続しなくてはならない現実の方に話が集中する。
「努力して流通量増やしてきて、これからもやっていくんですけど、そこに水を差すようなことをされては、関係者の気力も薄らいでしまうと思う」と、担当者は言う。「これからもやっていくんですけど」という部分に、込み上げてくるものがある。
午後はいわきに住んでいたとき、客として何度もお世話になった鮮魚店へ。ありとあらゆる種類の魚が揃っているように見えるが、福島県産の魚が見当たらない。聞けば「試験操業だから、入ってくる量が少ない。さっき箱買いしたお客さんがいて、もう残ってないよ」と話す。
処理水の放出について聞くと「風評は出ると思う。傷はつくんですけど、手術しなければいけないくらいではなくて、本当にばんそうこうで治るようなくらいの傷にするしかないのかなって感じですね」これもまた、胸が詰まる言葉だった。傷つく方が努力している。傷つける方はどんな努力をしているのだろう。
その店で秋刀魚のみりん干しとポーポー焼きを買った。2歳になる息子は大の魚好きである。帰宅してみりん干し焼いて食べさせた。つい先ごろまで「おかさな」と言っていた息子だが、「もっと『おさかな』ちょうだい」とねだる。みりんの甘さがツボに入ったか。半分ほどを平らげた。私は残りの半分を食べ、息子の表情を眺めながら海や魚の将来のことを考え、私たちのそんな日常に割って入り込む「トリチウム」なるものの厄介さを、改めて感じている。

10月20日(火)

天気|晴れ

場所|福島県庁(福島市)

取材で愛用しているロルバーンのノートがもうじき終わる。1~2か月で更新するのだが、改めて読み返してみる。今回の表紙は濃紺。始まりは飯舘村の帰還困難区域である長泥地区をめぐる取材だった。8月27日。まだ暑かった。福島市の郊外の家だった。飯舘村の住民を取材するために、福島市内を駆け回る。浪江町の人を探して、二本松市を巡ることもあった。そういう取材を日常的にしている。立ち入りが制限される場所はまだ存在し、避難はまだ続いている。
処理水の話は、明らかに先週以降、それぞれの立場の分断を感じるようになった。取材ノートの言葉にもそれがにじみ出ている。あるいは、そのまま書きつけられている。本当は、これが出発点でなくてはならなかった。それぞれが立場を表明した上で「さあ、どうする」という話し合いがあるべきだった。しかし、それがないままに、結論だけが上から決められようとしている。
それぞれの立場がむき出しになったとも言えるし、追い立てられるように議論が始まったとも言えるのかもしれない。いずれにしても国、福島県と、上から順番にすべきことをしなかった結果であることは確かだ。そして時間は十分にあるとは思えない。調整が期待された国や福島県は、この問題についてほとんどそれをしなかったと思っている。いまからでも始める気はないだろうか。このままでは本当に深刻な分断が起きるし、禍根が残る。それは将来にとって何のプラスにもならない。地域や生業を壊して何が復興だろう。
SNSはより状況が悪化している。私個人も、発信すればするほど返ってくることも多くなってきた。震災から5年経って福島に住み、8年経ってテレビ報道にいる私。久々に、震災や原発事故をめぐるSNSの言葉の世界というものを身をもって感じている。しかし、この期に及んで、何もしないということもあり得ない。私は私なりに良い方向に向かうと思うことをするしかない。でなければ、本当に深刻な事態になってしまうと思う。

10月21日(水)

天気|晴れ

場所|釣師浜漁港(新地町)

日付が変わる前にカメラマンとともに会社を出発し、相馬福島道路と常磐道を使って浜通りの北端、新地町へ向かった。到着するまでに、前を走る車はほとんどなく、止まることもなかった。いつもよりも半分くらいの時間で港の近くまで来たのだが、カーナビと実際の道が少し違っていて、到着するまでに少し難儀した。新地町は津波で大きな被害を受けた街で、新しい道が多い。
試験操業の現場から処理水について考える企画のため、漁船に乗って漁を取材させてもらう。網にかかった魚を見て、改めてこの海の豊かさを目の当たりにした。「何でも捕れるんだ、この海は」と、漁師は言った。1つ1つ魚を見せながら「これはホウボウ」「こっちがカナガシラ」「ナメタガレイは高いんだぞ」と、嬉しそうに説明してくれた。
「おらいの孫の代まで影響ある。誰が責任とれるかって話だ。言うことは簡単だ。流すのは簡単だ。あとの30年後、50年後の責任誰が負えるんだって。誰もいなくなるでしょ、処理水の問題に携わっている人」。
船の上で漁師はそう叫んだ。祖父の代から漁師を受け継ぎ、自分の息子3人も漁師を継いだ人である。最近船も新調した。大きな投資である。こうして脈々と受け継がれてきた生業が、壊されてしまうかもしれないという危機感をひしひしと感じる。それがどのくらい、いま決める人たちに伝わっているのだろう。
漁が終わる頃、ようやく東の空が明るくなりだした。日の出直前はマジックアワーとよく言われるが、本当にその通りの空で、この空を再び見ることはないんだなと思った。それがどんな意味を持つかわからないけれど、この風景を覚えておこうと思った。
1時間もすれば、街は現実を取り戻していく。長閑な港町の朝だ。防潮堤の向こうでは、ようやく朝が始まろうとしている。こちら側とあちら側、であってはいけない。漁師の言葉、船の上で見てきたこと、きれいな空。どれも伝えなくてはいけない。
取材を終えて福島に引き返す。「朝食に」とくれたのは豆大福とシュークリーム。漁師は甘党なのだろうか。帰り道は朝のラッシュに巻き込まれて来た時の倍以上の時間がかかった。

10月22日(木)

天気|曇りのち雨

場所|いつだれキッチンなど(いわき市)

再びいわきへ。午前中はテレビの仕事ではない個人的な取材で、久しぶりにゆっくりと話を聞く。古い話を聞いているため、先方も話しながら記憶を呼び戻しているようで、あっという間に時間になってしまった。また来ることを約束して、次の場所へ向かう。
午後は処理水の問題について、どうしても話を聞きたい人たちのもとへ。ニュースを打ちまくるしかない。元来、ねちっこい性格ではあるが、それだけではない。後悔の念が強い。いざ実際に、処理水を海に放出する可能性が現実化したとき、もっとできたことがあったのではないかと思ってしまった。それがスタートだ。できることは全部やる。何かが変わるかもしれない。そのとき変わらなくても、将来変わるかもしれない。そう思って向かった取材。そのうちの1人が地域活動家・小松理虔さんだった。小松さんも「もっと何かできたんじゃないか」と話した上で、こう語る。
「原発事故が起きて、人が暮らせなくなる地域ができて、仕事が奪われて、こんなに大変な思いをした。そのときにみんな、復興したら社会が豊かになって、いろんな人たちが笑顔になれると思って、こういう辛さを耐えている部分があると思う。だけど、こういうふうに勝手に地域のことが決められて、当事者の話も耳にしてくれないみたいになったら、辛い思いをしていた人は、本当に辛いだけで終わる」
少しでもいい未来を選ぶために、四苦八苦している。苦しんだ分と得られたものと、釣り合ってないとも思うけれど、歴史はそういうものの繰り返しだったかもしれない。苦しみの対価として、喜びがあるわけでもない。それを繰り返していかない限りは、誰かが決めた未来を生きるしかない。それは嫌だ。経済性や合理性や科学だけで人は生きていけない。
とはいえ、先週あたりから相当ハードで、家族にも我慢を強いている。本当に申し訳ない。妻も息子も疲れている。我が家がこんな状況にしているのは誰だと考えてしまう。そのたびに、怒りのような気持ちが湧いてくる。あなたたちがこんな決め方をしなければ、私はもっと早く家に帰れるし、妻や息子と一緒にいられるのに。それは八つ当たりだろうか。記者という職業を選択しているのは私だ。
妻が作ってくれた野菜炒めが美味しい。オイスターソースとニンニクは本当に合う。疲れたときはなおさら。

10月23日(金)

天気|天気は覚えていない

場所|会社(福島市)

昼のニュース直前に、処理水の海洋放出「今月の決定断念」の報。福島からこのニュースを全国に向けて書いた。決定自体は東京で起きていた話で、不思議な気持ちである。今週ずっとこのニュースを打ちまくった。イメージだけは艦砲射撃だけど、東北からなので射程距離は長くない。そんなにたくさん砲手もいない。可能な限り、様々な立場の人に話を聞き、この問題をどう考えていけばいいか、ということを放送し続けた。少しは届いたのだろうか。とにかく、いままで進んできた大きなものが、いったん止まった。同時に、先週打ちのめされたときのように、何をすべきか一瞬見失いそうになった。が、やることは同じだ。伝え続ける。
息子が保育園のフェスティバル(運動会)で覚えた踊りがどうしても見たくなって、音楽をかけた。『鬼滅の刃』の主題歌だ。1週間、いや1日単位でできること、覚えることが各段に増えている。「成長」といえばそうなのだけれど、彼が日々身に着けていることはもっと具体的なものである気がする。この息子が自分で未来を決め、生きるような社会は天から降ってくるものではなく、私たちが作るものなんだと。なぜか両手に団扇を持って踊る彼を見て思った。

10月24日(土)

天気|晴れ

場所|いわきグリーンフィールド(いわき市)

きょうは処理水ではなく高校ラグビーの取材でいわきへ。私自身、高校でこのスポーツに出会ってからずっと愛し続けてきた。多忙は承知で、懇願して担当にさせてもらった。いわきグリーンフィールドはとてもきれいな芝生のラグビー専用グラウンドだ。ここでプレーできる選手たちは幸せだなと思った。
大会は準決勝。あと2つ勝てば花園である。私の高校はあまり強くなかったから「花園に行けるかも」と思えるだけでも、なんかいいなと思う。かつて私がそうだったこともあり、自然とフォワードの動きに注目する。目立たないけど、いい仕事をする選手が何人かいた。そういう選手はトライをとる数回前のフェーズで必ずいい動きをしている。決して喝采を浴びるようなプレーではない。でも、そういう選手がいるチームは勝つ。同行した後輩にどこがすごいかを熱っぽく語っていたのだが、ふと見てみると苦笑していた。ごめん。語りすぎた。
同じ日、東北の別の県ではすでに優勝校が決まっていたところもあった。2試合終えて、すっかり日が傾きだした空にはとんぼが飛んでいる。ラグビーは冬の季語である。

10月25日(日)

天気|晴れ

場所|福島市の如春荘

妻と福島県立図書館近くにある古い日本家屋「如春荘」へ。もともと福島大学の厚生施設だったそうで、かつてはここでコンパや合宿をしていたそうである。かなり趣のある建物で、ここで飲み会とは「おとなの週末」もびっくりの贅沢さではないかと思ったり。
理由はロケであった。私たちがずっと関わらせてもらっている南相馬市小高区で展開しているブランド『MIMORONE』の商品撮影のためだ。MIMORONEは、お蚕様から絹糸をとり、それを小高の草木で染めた商品を作っている。すべてが手作業である。シンプルで、やさしい雰囲気にも関わらず、とても強い個性と存在感がある商品たちばかりだ。このたび、南相馬市のふるさと納税の返礼品に選定されたそうで、そのための商品写真の撮影に来た。
冷えた和室の中で、妻とああでもない、こうでもないと言いながら、商品の袱紗(ふくさ)を動かす。もともと袱紗の使い道を熟知しているわけではないから、そもそもこの置き方が正しいかどうかというところから始まる。
福島市に来る前、いわき市にいたときは、毎週こんな調子であちこちの活動に顔を出し、何かやっていたから、どこか懐かしい。できればこういうことをもう少し増やして続けていきたいと思っている。仕事でもない、生活でもない、その間にある活動や運動は、私たちにとってとても大切なもので、MIMORONEはまさにその大切なものの1つだ。
最後は妻にストールを巻いてモデルになってもらった。妻を撮るのは楽しい。幸せな気持ちになる。それで、シャッターが遅れてしまうのだけれど。遅れたなりに、いい笑顔が撮れた。その一瞬前の、最高の笑顔は記憶にとどめておこう。

バックナンバー

2020

6

  • 是恒さくら(美術家)
  • 萩原雄太(演出家)
  • 岩根 愛(写真家)
  • 中﨑 透(美術家)
  • 高橋瑞木(キュレーター)

2020

7

  • 大吹哲也(NPO法人いわて連携復興センター 常務理事/事務局長)
  • 村上 慧(アーティスト)
  • 村上しほり(都市史・建築史研究者)
  • きむらとしろうじんじん(美術家)

2020

8

  • 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館 学芸員)
  • 山本唯人(社会学者/キュレイター)
  • 谷山恭子(アーティスト)
  • 鈴木 拓(boxes Inc. 代表)
  • 清水裕貴(写真家/小説家)

2020

9

  • 西村佳哲(リビングワールド 代表)
  • 遠藤一郎(カッパ師匠)
  • 榎本千賀子(写真家/フォトアーキビスト)
  • 山内宏泰(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)

2020

10

  • 木村敦子(クリエイティブディレクター/アートディレクター/編集者)
  • 矢部佳宏(西会津国際芸術村 ディレクター)
  • 木田修作(テレビユー福島 報道部 記者)
  • 北澤 潤(美術家)

2020

11

  • 清水チナツ(インディペンデント・キュレーター/PUMPQUAKES)
  • 三澤真也(ソコカシコ 店主)
  • 相澤久美(建築家/編集者/プロデューサー)
  • 竹久 侑(水戸芸術館 現代美術センター 主任学芸員)
  • 中村 茜(precog 代表取締役)

2020

12

  • 安川雄基(合同会社アトリエカフエ 代表社員)
  • 西大立目祥子(ライター)
  • 手塚夏子(ダンサー/振付家)
  • 森 司(アーツカウンシル東京 事業推進室 事業調整課長)

2021

1

  • モリテツヤ(汽水空港 店主)
  • 照屋勇賢(アーティスト)
  • 柳谷理紗(仙台市役所 防災環境都市・震災復興室)
  • 岩名泰岳(画家/<蜜ノ木>)

2021

2

  • 谷津智里(編集者/ライター)
  • 大小島真木(画家/アーティスト)
  • 田代光恵(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 国内事業部 プログラムマネージャー)
  • 宮前良平(災害心理学者)

2021

3

  • 坂本顕子(熊本市現代美術館 学芸員)
  • 佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

特集10年目の
わたしたち