Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2020

12

12月28日〜1月3日
森 司(アーツカウンシル東京 事業推進室 事業調整課長)

12月28日(月)

天気|晴れ

場所|東京・中野

体温:36.5度。一日の活動を始める前、起きがけの水を飲みながら体温を計る。現場に入る2週間前からと、その後の経過観察のための2週間の計測。11月の現場のために始めた検温が新しい日課となった。お店や文化施設、日頃通うジムにも非接触の検温装置があり、日に幾度も体温測定される。マスクと検温のニューノーマル元年の店じまい。
コロナ禍にあって12月26日から1月4日までの10日間の休暇に突入して3日目。コロナ感染者数が上積みされて発表される日が続く。飲食店の営業時間が22時までと制限される中、2021年1月11日までの事業は調整済みだ。
年末年始のステイホームは例年のことで、自分には特段の違和感はない。電車に乗るような遠距離移動もしない。帰省の往復を唯一の移動とする過ごし方でこの年まで来た。今年は事情が異なる。スタッフの何人かは今年は帰れない/帰らないと口にする。自分の意志ではなく、外からの要請や制限で、行動変容を余儀なくされた。とにもかくにも2020年はコロナ対応の一年だった。
12月14日の5人以上での政治家のステーキ会食騒動以来、数人での食事会も憚られる。忘年会もクリスマス会の予定もない。ラストオーダーの時間を過ぎた残業後の一杯もできない12月だった。しかし、昨日はZoom飲み会を企画してもらい、都内のレンタルキッチンにいた。そこをスタジオに遠隔地の友とつながる楽しい時間を過ごさせてもらった。
そんなこともあり今日は、9時頃に目を覚まし、その後も予定がないことを良いことにグタグタし続ける。スローモーションのような「休みの日10分の1モード」の動きで遅い昼飯の準備をして食べる。気になっていた水回りの掃除に着手した時点で、すっかり夕暮れ。明日からジムも年末年始休暇なので泳ぎ納めに行く。ファーストフードを抱えて持ち帰り、冷蔵庫の缶ビールを片手にNetflixの続きを観る。

こんな感じの「完全OFF日記」になるのは目に見えている自分に、日記を担当する編集者から、企画意図も含めて「しっかりー!」とリマインドメールが届いていた。わかっているけど、期待に添えないと思う。何もしない、何も考えないのが「休み」として過ごすことなのだから。

12月29日(火)

天気|晴れ

場所|東京・中野→茨城・土浦

体温:35.8度。今日は昼過ぎには土浦に戻っていないといけない用事があり、朝から時間に追われながら大掃除の続きをし、新年を迎える準備をする。移動日によくあるバタバタした準備。最寄り駅に向かう途中にあるクリーニング店が明日閉まる。ハンガーバーが露出していた。土浦に着いて夕方の用事を済ませる。この先はこれといった予定はない。しばらくは、手帳を開くことも時間を気にすることもない。
夕食後、ザッピングしながらテレビを見ていたら、標高4,000mを超える集落に住む「ヒマラヤ部族」の生活に密着する番組に遭遇した。ネパール・ドルポ地方のアジア最後の秘境と呼ばれる「天空に佇む12の村」を巡る150日間の密着取材のドキュメント番組。高度5,000mの地を10時間ほど歩き移動する。12の集落にはそれぞれ特徴があり、厳しい自然の中で生活をする様子が紹介される。電気のない天空の世界は、別世界だった。
我々は「電気」がなければ回らない社会に生きている。原子力発電は、工場への電供給を含めた、経済を回すために必要なモノと説明されてきた。しかし、福島の地では、原発事故から10年を経た今でも立ち入り禁止区域のまま手つかずの状態だ。地球温暖化という環境問題は、大雨、大雪、といった異常気象といわれる天候不順をもたらしている。考えるべきことは多い。心を痛めることも多い。
「天空の風景」が広がる酸素の薄い高地でゆっくりと歩を運ぶかれらは、遠くの目的地に辿り着いていた。地上の我々は、歩いて行く方向を定められないでいるのかもしれない。目的地が定まらない状況が一番やっかいなことだ。

12月30日(水)

天気|曇り

場所|茨城・土浦

体温:35.0度。60歳になった。「還暦」の2文字が重い。先輩諸氏の還暦のお祝いパーティーに出ては、次は自分だと思ってきた。しかしいざその日になると抗う気持ちが芽生え、不思議なくらい落ちつかない。まだまだこれからと自認していても「還暦」というレッテルが貼られ、いろいろと社会的に念押しされてしまうような感覚だ。ジムの年会費が誕生日を過ぎると2万円ほど安くなるから年明けの更新で、と説明を受けた。高齢者特典が財布に優しいのは嬉しい。
幸いなことに大病することなく過ごしてこられたが、ところどころに現れる体の変調がいちいち気になるようになってきた。若い頃に根拠のない自信だけで走っていた自分が懐かしくも恥ずかしい。誕生日のメッセージに混じって、「還暦」に対するお祝いの言葉も受け取る。内容はその恥ずかしい時代の回顧を含むモノだが、エールとして読ませていただいた。感謝の一言に尽きる。「夜は起きているもの」と思っていた自分も、「夜は寝るもの」とばかりにそそくさと床に入る。ずーっと寝ているのにも体力が必要で、明け方の暗い時間に目を覚ます。そんな平和な悩みしかないことにして今日も一日を終える。

12月31日(木)

天気|晴れ

場所|茨城・土浦

体温:36.2度。都内のコロナ感染者数は1,337人と発表された。ついに1,000人を超えた。初詣どころじゃないな。ステイホーム続行だ。遅めのブランチのような朝ご飯を食べ、ふわっとしていたら夕刻。寒さで空が澄み渡り、富士山がきれいに見えた。ほどなくしてNHK紅白歌合戦の時間。無観客の紅白は恒例の応援合戦もない。久しぶりに楽しんで最後まで見続けた。
「コロナ紅白、白組最後、福山の『家族になろうよ』はないわー。家族像狭すぎやろ!」と速攻のツッコミは、アール・ブリュット展「まなざすかぞく」のディレクターをしているアサダワタル氏の書き込み。異性愛を前提としたステレオタイプな家族像の再生産に対する警鐘に脱帽しつつ、そのことについて思いを巡らせていたら「ゆく年くる年」が始まっていた。

2020年はコロナに翻弄された。3月に開催を予定していた2019年度末の総括的な事業も軒並み中止、2020年度前半の事業も延期を余儀なくされた。4月はリモート対応を急ぎ、常時使える配信スタジオの準備を行った。秋には、延期した事業が最終的に中止となったりと、できたこともできなかったことも多々ある。
しかし、そのような具体的な対応より自分にとって大変だったのは、2020年の予定が2021年に先送りになっただけではなく、2020年の事業が終わった前提で準備を始める2021年以降の取り組みも同時に取りかかる状況だった。時間が交錯する状況は新しい年も大きくは変わらないだろう。2021年に開催予定の「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会」が終わるまでは続く。オリンピックというアクセルとコロナというブレーキ。経済を回すために推進されたGo Toトラベルが一時中止となり、医療崩壊を防ぐために、拡散防止処置としてお店の営業時間に制限が掛けられた状態で新年を迎える。香港では周庭が、重罪人が送られる大欖女子懲教所に移送されたと伝えられ、アメリカでは大統領の選挙結果と政権移行に絡むゴタゴタが日本のニュースとなっている。幸せ感とはほど遠い2020年が終わる。

1月1日(金)

天気|晴れ

場所|茨城・土浦

体温:36.0度。遅めの起床。遅めの朝ご飯を済ませ、静かに過ごす。初詣の予定もない。何時までに何かをするという予定がない。今日に限らず、一週間が真っ白な手帳の頁を開くことなく過ごしてきた。それも今日を入れてあと3日。休みの時間も残り少ない。
昨日に続き、夕焼けが美しく、澄んだ空の遠くに富士山が見えた。あえてこの日の出来事として特記するとしたら、Disney+で『アラジンと魔法のランプ』を見たこと。ファンタジーの世界ながら、そこにある世界観は古くない。ありがたいことに、何ごともなく2021年の初日を過ごす。

1月2日(土)

天気|晴れ

場所|茨城・土浦

体温:35.2度。一年の計どころか、一日の計を立てることもなくゆっくり起き出し、今日も普通の休みの日のごとく漫然と過ごす。夜になり『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類! 新春スペシャル‼』をガン見する。あまりにも社会課題に対する啓蒙感の強い構成に驚く。2021年を生き延びるには、これくらいのルール、新しいマナーを知ってないといけない的なセリフ(ぼやき)満載。「塩対応」は初耳ワード。なにかと「神対応」をもとめられる昨今だが、その逆に位置する言葉なのかなと、テレビをみながら検索。確かに「塩対応」はしょっぱい、つまりそっけない態度をとることとある。ひとり突っ込みをしながら、社会のルール改定啓発キャンペーンドラマを見終える。
コロナによる行動変容だけではなく、社会そのものの価値観の更新が同時になされつつある。「神対応」と「塩対応」の境目はどこにあるのだろうか。技術云々ではなく、事象に対する向き合い方がさまざまな局面で問われる時代になるなと思いつつ就寝。

1月3日(日)

天気|晴れ

場所|茨城・土浦→東京・中野

体温:35.1度。午前中は、休暇中らしいのんびりした行動。お昼を済ませ、父や叔母が眠る浅草のお寺に行く準備をし始める段になって、時計の時間が戻ってくる。「あの時間の電車に乗る」という、ちょっと先を意識した行動。「スケジュール」が戻る。午後遅めの新年のお墓参りを終え、軽く食事をした後、自分は東京の部屋に戻る。
荷を置き、コーヒーを煎れつつ、手帳を捲る。数頁捲ると2月、さすがにまだ予定が書き込まれていない。書き込まれた予定を見ながら1月中の流れをイメージする。ついさきほどまで身を置いていた年末年始の時間は霧散し、2021年を働く時間の人となった。年末年始からニュースが伝えていた、コロナ感染拡大による、緊急事態宣言の発出要請にまつわる社会の動きが、急に自分事として意識される。とはいえ、できることと言えば、意識しつつ待つことしかない。2020年はコロナ元年だった。2021年は、コロナとの「出会い直し」から始まることを強く意識した。
2013年の1月26日、せんだいメディアテークで「なんのためのアート」を開催した。そもそも芸術文化にはどのような必要性や意義があるのか、集まった者同士で考え合う4時間半。雪が降る日だった。クロストークに登壇した写真家/著述家の港千尋さんが、「震災前」という言葉を発したことを鮮明に記憶している。東日本大震災から2年しか経っていない、復旧・復興期の感覚の方が強かったからだ。しかし、その言葉はトークセッションのための言葉ではなく、事象に対する認識を表現したものであると考えるのが正しいようだ。
2011年からの10年間に、数多くの自然災害を経験し、常に「震災前」「災害前」という意識が生まれた。現在もパンデミックの真っ只中にあり、コロナ感染者数増加の流れは収まっていない。仕事にかかわる具体的な対応は、またしばらくは走りながら考えることになる。先行き不透明ななか、文化事業における「新しい様式」を本気で開発できるかが勝負になることは確かだ。

バックナンバー

2020

6

  • 是恒さくら(美術家)
  • 萩原雄太(演出家)
  • 岩根 愛(写真家)
  • 中﨑 透(美術家)
  • 高橋瑞木(キュレーター)

2020

7

  • 大吹哲也(NPO法人いわて連携復興センター 常務理事/事務局長)
  • 村上 慧(アーティスト)
  • 村上しほり(都市史・建築史研究者)
  • きむらとしろうじんじん(美術家)

2020

8

  • 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館 学芸員)
  • 山本唯人(社会学者/キュレイター)
  • 谷山恭子(アーティスト)
  • 鈴木 拓(boxes Inc. 代表)
  • 清水裕貴(写真家/小説家)

2020

9

  • 西村佳哲(リビングワールド 代表)
  • 遠藤一郎(カッパ師匠)
  • 榎本千賀子(写真家/フォトアーキビスト)
  • 山内宏泰(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)

2020

10

  • 木村敦子(クリエイティブディレクター/アートディレクター/編集者)
  • 矢部佳宏(西会津国際芸術村 ディレクター)
  • 木田修作(テレビユー福島 報道部 記者)
  • 北澤 潤(美術家)

2020

11

  • 清水チナツ(インディペンデント・キュレーター/PUMPQUAKES)
  • 三澤真也(ソコカシコ 店主)
  • 相澤久美(建築家/編集者/プロデューサー)
  • 竹久 侑(水戸芸術館 現代美術センター 主任学芸員)
  • 中村 茜(precog 代表取締役)

2020

12

  • 安川雄基(合同会社アトリエカフエ 代表社員)
  • 西大立目祥子(ライター)
  • 手塚夏子(ダンサー/振付家)
  • 森 司(アーツカウンシル東京 事業推進室 事業調整課長)

2021

1

  • モリテツヤ(汽水空港 店主)
  • 照屋勇賢(アーティスト)
  • 柳谷理紗(仙台市役所 防災環境都市・震災復興室)
  • 岩名泰岳(画家/<蜜ノ木>)

2021

2

  • 谷津智里(編集者/ライター)
  • 大小島真木(画家/アーティスト)
  • 田代光恵(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 国内事業部 プログラムマネージャー)
  • 宮前良平(災害心理学者)

2021

3

  • 坂本顕子(熊本市現代美術館 学芸員)
  • 佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

特集10年目の
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