Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2020

12

12月21日-27日
手塚夏子(ダンサー/振付家)

12月21日(月)

天気|快晴

場所|ベルリン

ここベルリンでは現在、ロックダウンが施行され、レストランや食品店以外の大体の店が閉店し、人と会う機会も大幅に規制されている。マスクがきらいなヨーロッパの人々も、徐々にマスクをしなければならないシチュエーションが多くなってきている。この街に最初に来た2年半前には、ベルリンの人々のゆるい雰囲気に随分助けられた。気軽に声をかけたり微笑みあったり、ドアを誰かのために開けたり、ドアが閉まりそうなときに電車に乗ると協力しあってドアを開けておいてくれたり……。そういった空気感が否応なく減っていき、今では他人に対して無関心な雰囲気の方が多くなってしまった。その原因となっているのはやっぱりマスクも大きいかもしれない。なぜなら、マスクをしていると相手の表情が読み取れない。微笑んだとしてもそれが伝わらない。だから諦めて、無関心になってしまう。とはいえ、最初にロックダウンが始まったときのショックから比べれば、だいぶ状況に慣れてしまった。
この日記を書く話をいただいたとき、2011年3月11日の震災が私に与えた影響の大きさと、そこにどう向き合って良いかわからず、真正面から向き合ってこなかった自分の不甲斐なさや罪悪感が身に迫ってきた。だから、もう一度、自分の深部に潜ってささやかな向き合う時間を持ちたいと思った。

12月22日(火)

天気|曇り

場所|ベルリン

ここ数日快晴の日が続いていたけれど、今日はどんよりした天気。昨日はトラムを使ってアレキサンダープラッツのアジアマーケットに行った。夕暮れの空に半月が綺麗に見えた。帰ってきてダイニングでご飯を食べながら見る朧月夜もなかなか良かった。
あの日、震災が起きた夜はものすごい星がきれいに見えたことを思い出す。それから数日後に起きた原発事故のあと、長い間、私は原発事故に対する恐怖に震えていた。と同時に、そういった時期に現地に足を運び、現地の人々に寄り添う支援や活動をしているたくさんの方々に対していつも罪悪感を持ち続けていた。自分や家族のことしか考えていない卑怯者にも思えた。一度そういう気持ちになると、だんだん向き合うことから遠ざかってしまう。遠ざかりつつも、原発の問題についてはいつも考え続けた。そして、玄海原発に近い糸島に住みながら、再稼働を止められない無力感にも苛まれた。それぞれに地域に住む人々の営み、人との関係、企業との関係、慣習、そういたものが絡み合っている。そして私はよそ者であり、私自身の感覚をそのままダイレクトに伝える関係を持つことは困難だと感じていた。ある地域の中での人との関わりを円滑にするには、「何か」に反対することがどれほど困難かを思い知った。
また、考えの違いや感じ方の違いを、お互いに受け入れあうことが難しいのは、今も変わらない。ベルリンの中でさえ、コロナ禍に対する人々の感じ方の違い、意見の違いはそう簡単に乗り越えることができない。

12月23日(水)

天気|曇り

場所|ベルリン

昨日は友人宅にお呼ばれして、久しぶりに人と一緒に飲み、食べ、語り合った。生の人との関わりは人にとって大きな恵みだと実感する。人としゃべることで自分の内側のぐちゃぐちゃしたことが一度引き出されて、それをもう一回たたみ直すみたいな作業ができる。どうでもよいおしゃべりのなかから自分の記憶が引き出されて、人との記憶と擦り合わせて、そこからまた現在を眺めてみるような作業が生まれる。
明日はクリスマスイブで、明日の午後からスーパーが閉まってしまう。27日までずっとお休みしてしまうので、今日はたくさん買いだめしなければならない。誰とも会わないクリスマスだけれど、息子と料理作ったりケーキ作ったり、ダラダラしたりするかな……。

12月24日(木)

天気|曇り 

場所|ベルリン

クリスマスイブの朝、知人とのメールのやり取りから、私が抱えてきた思いのいろいろなことが明確になってくる。私が2011年の震災以来、ずっと持ち続けてきたひとつの感覚であり、今の状況の中でそれがよりくっきりと浮かび上がる。
たとえそれが不快でなくても、たとえそれが理にかなっているように見えても、社会からの振り付けに従う振る舞いを続けることはとても苦痛だ。たとえば、「そのような話題は避けるべきだ」とか「その考え方は極端だ」とか「あなたの振る舞いが他のひとを犠牲にする」などなど、どこかから聞こえて来る声を知らない間に受信している。それを直接誰かに言われずとも、恥ずかしい、あるいは後ろ指を指される、そういう恐怖感があって、自分の振る舞いをある制限下に置いてしまう。そして、それが「正しいこと」であるという認識からそれを続ける人々の中に潜在的な怒りが溜まっていく。それらの溜め込んだ怒りが、互いを、振り付けに縛りつけ合うという悪循環が生まれる。それが日本の中で私が感じてきたひとつの違和感。でも、ベルリンにきて、ヨーロッパの人々も同じような悪循環を持っているように感じる。ただ、その方向性が違うだけで。そういったことの中でも、私が自由を感じるのは、自分の身体をその振り付けから少しだけズラすことができている瞬間だ。もちろん、それは長続きしない。ほんの一瞬のことだ。でもその瞬間を持つこと、その方法を知っていることはとても大切なことだ。

12月25日(金)

天気|曇り

場所|ベルリン

今年は年明けからずっとコロナの騒ぎでベルリンもロックダウンになったり、解除されていた時期でも劇場での上演の数はずいぶん少なくなったりしていたけれど、私はとても幸運なことにベルリンでのダンスの活動を活発に行うことができた。
もっともロックダウンがきびしかった時期の終わり頃から、念願であった引っ越しのために奮闘していて、その間の心細さと無力感は半端なかった。というのも、ベルリンの人口が多く、探せる物件の数は限られているので競争率がとても高いのだ。当然ドイツ語が流暢な人で、収入が安定している人から決まっていく。だから「自分の番はなかなか回ってこない」というのが感じられて、無力感が増してしまうのだ。けれども、心強い友人のおかげでなんとか部屋を決めることができ、しかも、仕事にも恵まれた。それはとてもありがたいことだ。けれども、決して得意とは言えない英語を使ってのコミュニケーションで仕事をこなすのはそれなりに大変で、また作品創作のプレッシャーやコミュニケーションの難しさにも向き合わなければならない日々が多かったので、現在は腹の底から休みを欲する感じがしている。でも「休む」ということがどうやったら真に達成されるのかは、案外難しい問題だ。私の場合、かなり単純に眠る時間が必要だけれど、それと合わせてぼーっとする時間、根詰めて考えない時間が必要だと感じている。だらだらとした時間を過ごしたあとに、急になんらかのモチベーションが湧き上がるという経験は過去にもたくさんしてきた。だから、ここは本気でだらだらしようと思う。

12月26日(土)

天気|曇り時々雪 

場所|ベルリン

パソコンというのは、SNSなどを眺めていてもそこから複雑な何かが浮かび上がらない。何かを探して見続けていても、結局自分がどうしたかったのかどんどん分からなくなって、ただの依存症のような状態になってしまう。ここのところ、家でゴロゴロしていたけれど、結局パソコンに縛り付けられていたような気もして、思い切って散歩に出かける。とても寒い。寒くて手がかじかんだりすると、小さいときに寒かった日本での思い出の切れ端のようなものが蘇ってくる。横浜生まれ、横浜育ちだけれど、昔はもっと寒い思いをした瞬間がいっぱいあったような気がする。小さかったからそれがすごく大きく感じただけだろうか? 一度外に出ると、小さなことひとつひとつが複雑な記憶を呼び起こしたりもする。
小さな湖の湖畔に行って座りながらぼんやり湖面を見つめていると、心の中を少しだけ深く探索できるような気がする。道行く人は、この寒い中、ベンチに座っている私を奇妙に思うのか、時々ちらっとみてはすぐに前を向いて歩いていく。ベルリンの人たちはもっとフレンドリーだったような気がするんだけど、ここでは何かしら目的のことをしたり目的の人と出会ったりするのみで、無目的な雰囲気がまるでない。これは場所が原因なのかそれとも状況のせいなのか。しかし、ひとりだけ、自転車をゆっくりこぎながらすごい大きな声で鼻歌を歌って通り過ぎたおじさんがいて、その瞬間とても癒された。
また、道を歩いていると黒い帽子に黒い服、靴下も靴も黒くて、アクティビストの人を連想した。よくよくみると、服に刺繍してある模様やなんかが、たしかにアクティビストを連想させるようなものだったので、そうなのかもしれない。そういえば、ベルリンで遭遇した、フォルクスビューネ劇場でアクションをしていた人々は今どうしているのだろう?
今、この状況下で大切なことは、「自分には感じる自由がある」と信じられるということだと思う。ある状況の中で、自分が感じている(と思っている)ことは、その場で「感じるべきこと」とされることが多い。そこから自由でいてもいいと、最後に許可するのは自分でしかない。

12月27日(日)

天気|曇り

場所|ベルリン

今日はリレー日記の最終日。またしても散歩に出る。散歩に出ると、少しだけ意識的にゆっくり呼吸をしたり、寒さを味わったりできる。道はガランとしていてほとんど店はしまっているが、トルコ系の小さなお店はけっこう開けている。ケバブの店やトルコ料理(テイクアウトのみ)やパン屋さんなどなど。そのパン屋さんでカプチーノを買い、今日も湖に行った。
水際まで降りて、木の根っこに座ってカプチーノを飲む。思いつきでメガネを外してみる。遠くないところで男の人が素っ裸になって湖にずんずん入っていったのには驚いた。1〜2分くらい水に浸かっているのをなるたけ見ないように気配で感じていた。ベルリンでは裸で泳ぐ人が多いのは知っていたけど、こんなに寒い中に入るとは……まるで寒中水泳みたいだ。気を取り直して湖面を眺める。湖面の波紋がうすぼんやり、でもはっきりとその模様が入れ替わり立ち替わり波立っているのがくっきり感じられる。とても静かでなんとなく神聖な気持ちになる。遠くの木々が風で揺れている。自分の背後で枯葉がかさかさと揺れながら地面を這う音がする。自分の感覚を研ぎ澄ませれば、そこにはたくさんの情報があって、そこからいろいろなことが思い出されたり考えさせられたり豊かな時間になる。それがわかっていても、SNSで何かを情報らしきものを探し続けてしまう自分のおろかさを思う。
私はこの日記の冒頭で書いたように自分を深くまで掘り下げることができたのだろうか? 震災が起きたあの日、停電の中、ものすごく悪い予感で震えた。数日後にテレビで見た津波の大災害の映像は、深い痛みとして私の胸に刻まれている。またその後の日々、私は「放射能」に対して怯えていたと思う。そしてそれを人と共有することはとても難しかった。今は、多くの人が「コロナウイルス」に怯えている。しかし、私はその恐怖をあまり理解できずにいる。恐怖の感覚は本当に個々で違う。横浜生まれ横浜育ちの私が、終の住処と思っていた藤野から断腸の思いで去ったあと、いろいろな地域に住んで自分の知らなかった様々な地域の慣習や、それぞれの地域にとってのトラウマとなった災害、公害や、議論を引き起こす様々な課題を見た。それらは自分の中に大小様々な問いを与え、創作活動をしながら、ずっと考え続けている。これからも何度も、立ち戻って自分の深部に潜ってみようと思う。

バックナンバー

2020

6

  • 是恒さくら(美術家)
  • 萩原雄太(演出家)
  • 岩根 愛(写真家)
  • 中﨑 透(美術家)
  • 高橋瑞木(キュレーター)

2020

7

  • 大吹哲也(NPO法人いわて連携復興センター 常務理事/事務局長)
  • 村上 慧(アーティスト)
  • 村上しほり(都市史・建築史研究者)
  • きむらとしろうじんじん(美術家)

2020

8

  • 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館 学芸員)
  • 山本唯人(社会学者/キュレイター)
  • 谷山恭子(アーティスト)
  • 鈴木 拓(boxes Inc. 代表)
  • 清水裕貴(写真家/小説家)

2020

9

  • 西村佳哲(リビングワールド 代表)
  • 遠藤一郎(カッパ師匠)
  • 榎本千賀子(写真家/フォトアーキビスト)
  • 山内宏泰(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)

2020

10

  • 木村敦子(クリエイティブディレクター/アートディレクター/編集者)
  • 矢部佳宏(西会津国際芸術村 ディレクター)
  • 木田修作(テレビユー福島 報道部 記者)
  • 北澤 潤(美術家)

2020

11

  • 清水チナツ(インディペンデント・キュレーター/PUMPQUAKES)
  • 三澤真也(ソコカシコ 店主)
  • 相澤久美(建築家/編集者/プロデューサー)
  • 竹久 侑(水戸芸術館 現代美術センター 主任学芸員)
  • 中村 茜(precog 代表取締役)

2020

12

  • 安川雄基(合同会社アトリエカフエ 代表社員)
  • 西大立目祥子(ライター)
  • 手塚夏子(ダンサー/振付家)
  • 森 司(アーツカウンシル東京 事業推進室 事業調整課長)

2021

1

  • モリテツヤ(汽水空港 店主)
  • 照屋勇賢(アーティスト)
  • 柳谷理紗(仙台市役所 防災環境都市・震災復興室)
  • 岩名泰岳(画家/<蜜ノ木>)

2021

2

  • 谷津智里(編集者/ライター)
  • 大小島真木(画家/アーティスト)
  • 田代光恵(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 国内事業部 プログラムマネージャー)
  • 宮前良平(災害心理学者)

2021

3

  • 坂本顕子(熊本市現代美術館 学芸員)
  • 佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

特集10年目の
わたしたち