Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2020

12

12月14日-20日
西大立目祥子(ライター)

12月14日(月)

天気|曇り

場所|仙台

夜半から突然、雨音が強くなり、たたきつけるような音に眠れなくなった。やがて雨音は弱く静かになり、寝床の中でもしや雪に変わったのでは、と思った。予報ではこの冬一番の寒波がくるといっていたから。明け方近くになっても眠れなくて、これは寒いからだと思い立ち、押入れから厚めの毛布を出してかけた。そのうちいつのまにか寝落ちした。

朝、カーテンを開けると雪は積もっていなかった。10時、取材の仕事で初対面のSさんのマンションを訪ねる。2年前に亡くなられた奥さんK子さんの話を聞くためだ。K子さんは生涯を通して小説を書き続けた人で、昭和の終わりには芥川賞候補作家にもなった。Sさんによると、東日本大震災の被災者の聞き書きをまとめていて、「やっと終わった。今日の夕飯は私がつくるから」と話した直後、目の前で倒れたのだそうだ。意識が戻ることはなかった。
話を聞きながら、やっぱり震災の話というのは、聞く側にも相当なストレスを強いるものだのだと思い至る。黒い水が壁のように……腰までぐんぐん水がきて……逃げる途中離れ離れになって……話を聞く中、そういう恐ろしい細部が胸に入り込んできてこちらまで溺れそうになる。私も震災直後からずいぶんと話に向き合った。使命感のようなものにつき動かされていたのだと思う。そして震災から6年がたったころ体調を崩してしまった。K子さんも無理に無理を重ねて、多くの被災者のことばを受け止めたのではないのだろうか。そしてそのことばを一人でも多くの人に届けようと、パソコンに向かっていたのだろう。根を詰めて、浅い呼吸で。同じ仙台にいながら会えないで終わったけれど、残された小説を読もうかなと思う。

その足で、せんだいメディアテークで開催中の「新現美術協会70年展」を見に行く。この会は宮城県下では美術関係者なら誰もが知る抽象画の美術家グループだ。この一年、宮城県美術館の現地存続活動をいっしょに行ってきた早坂貞彦先生は、この会の重鎮である。たまたま先生も会場にいらして、その案内で作品をみるという幸運にめぐりあわせた。先生の作品は2点。どちらも200号に及ぶような大作だ。「先生はどっちが好きなんですか?」と聞くと、「それはこっちが聞きたいよ」といわれ、「右側」と答えると、「うん、なるほどな」とうなづいている。
それにしても、会場をめぐると好きな作品とそうでもない作品がある。どうしてなんだろう。

12月15日(火)

天気|雪

場所|仙台

毎週月曜の夕方、母が3泊のお泊り付きデイサービスから帰ってくる。月曜は、母のもとに泊まり、翌火曜は一日いっしょにいる。
街中に借りていた仕事場を引き払って、実家の一部屋に仕事場を移したのは母に認知症の症状が現れたからなのだが、症状が進むにつれて介護の比重が増し、仕事場でありながら集中して仕事をするような環境ではなくなってきた。私の毎日は、母のスケジュールに合わせて回っている。
前日は午前1時半過ぎに寝た。ソファに布団を敷いて横になったもののまたしてもなかなか寝つけない。3時、3時半……4時近くになると、ポストがガタガタ鳴って朝刊が配達される。あぁ、朝になってしまったと思うころ、ようやく意識がとぎれる。

それでも朝7時半には起きた。というのも、前日から植木屋さんが庭木の剪定に入っているから。カーテンを開けたら、庭木は白く雪をかぶり、1〜2センチメートルの積雪。これで仕事になるんだろうか。大丈夫、とやってきたKさんは息子さんと二人、黙々と枝を切り落とし、まとめてトラックに積み込み、落ち葉をかき集めている。

10時半に母のお弁当が届く。配達は、いつものとても感じのいい若い人。明るくてにこやかな笑顔にどれだけ救われることか。30秒にも満たないような二言三言の会話だけれど、くぐもっていた気持ちに日差しがさしこむようだ。
11時半にはヘルパーのAさんがやってくる。細くて小柄なのに元気で、小雪の中、「今日も自転車なの」といいながら手指の消毒をすませて入ってくる。Aさんは介護者の私の体調まで気づかってくれる人で、やっぱり5分、10分の会話に助けられている。夕方4時には、また別のヘルパーのOさん。てきぱきと用事を片付け、具体的な介護のアドバイス。これまた私にとっては大いなる手助け。いつもありがとうね。

夕方4時過ぎ、植木屋さん親子が引き上げていった。モミジの木の上の方にあったという鳥の巣をとっておいてくれた。枝と枝の間に、落ちないように実に注意深く架けられた小さな鳥の巣に見入る。この庭から飛び立った小鳥がいたかと思うとなんだかうれしい。自然の美しい造形物を、そっと玄関の下駄箱の上に飾る。

12月16日(水)

天気|曇り時々晴れ

場所|仙台

火曜の夜も、心配で母のもとに泊まり。さすがに2晩続けて寝不足なので、ソファに敷いた布団にもぐりこんだとたん、寝入ってしまった。
7時半に起きると、また少し雪が積もったようだ。母の寝室をのぞくとまだ眠っている。8時に起こして着替えと洗面につきあい、お茶を入れ簡単なごはんを食べさせる。そうこうするうち、植木屋さん親子が到着。9時前にデイサービスの車がきて、母を送り出す。ゴミ出し。

剪定作業はお昼までに終わるというので、お礼に手渡すコーヒーを買いに出る。近くのショッピングモールに行くと、かなりの人が店が開くのを待っていた。コーヒーを飲みながら、ぼんやりと朝から買い物に出る人の姿を眺める。年寄りが多い。きっと朝5時、6時には起きて、早々と出てくるんだろうな。90歳になる叔母が、一人暮らしをしていると無性に人の姿を見たくなることがあるの、といっていたことを思い起こす。誰かと話したり、街の空気を吸ったりすることが人には必要なんだろう。

近くの焙煎屋で少しいいコーヒーを買って戻ると、もう植木屋さん親子は引き上げたあとだった。もちろんあとから請求書がきてお金は振り込むのだけれど、気持ちをたくして何か渡すのは楽しい。形骸化していない贈りもの、というのか。毎年、剪定の初日に母に花束を持ってきてくれるし、お歳暮においしいラ・フランスを届けてくれる。一年に一度しか会わないけれど、元気でいてほしいと思う親子だ。

いったん自宅へ戻り、植木屋さんあての荷物と東京の知人へのクリスマスカードを出すために郵便局に行く。その合間に、メールの返信を書き日記を記す。
夜7時半、再び仕事場へ。猫が2匹、晩ごはんを待っているのだ。夕食をつくり食べ、合間に仕事をする。

12月17日(木)

天気|雪

場所|仙台

朝、カーテンを開けてびっくり。かなりの積雪で、雪はこんこんと降り続けている。12月にこれだけの積雪は、仙台ではめずらしい。
10時半に宮城県美術館で取材に応じる約束があった。この一年、宮城県美術館の現地存続活動を仕事も生活もそっちのけでやってきていて、長く自分が取材する側だったのに、にわかにされる側になった。11月16日に、県民の反対の声に押されてか、知事は移転案を撤回。このことはお隣の県でも話題になったらしく、岩手から新聞社の人がわざわざ話を聞きにくるという。よりによって、こんな大雪の日に。

記者さんは40歳くらいの静かな感じの男性だった。美術館のカフェで、2時間半もしゃべる。いま、全国の自治体は、人口減少と財源不足の中、だぶつく施設の整理統合を推し進めている。それを後押ししているのが総務省で、自治体が事業を進めやすくするために、地方債を用意している。宮城県が、にわかに県立の美術館の移転集約の方針を出したのも、この地方債をあてにしてのことだ。岩手にも、いつ同じことが起きるかわからない。そんな危機感をもっての取材だった。
今回の宮城県美術館の活動では、地元紙の河北新報社にずいぶんと助けられた。昨年、秋田の秋田魁新報社の記者が、イージス・アショアの設置計画をめぐって防衛省のデータに問題があることを、現場に立ち小さな分度器で計画施設の角度を測るという取材ですっぱ抜いた。そのことを話すと、「その記者さん、我社にもきてもらって話を聞いたんです」という。地方紙こそ、生活の現場から地域の問題を考えていくための砦であると思う。そうエールを送って別れた。

2時に車の定期点検でディーラーに行く。1時間半、待っている間にメールをチェックし、月曜の取材ノートを整理する。貴重な仕事の時間だ。
夕方5時半、母がデイサービスから帰ってきた。お茶とおやつを出し、洗濯機を回し、夕飯の支度をして食べさせて寝かせ、明日からまた出かけるデイの荷物を用意すると、もう9時半。へたってもう休みたいと思いながら、引き受けた街歩きのための資料をつくる。飼い猫のチビが、ときどきにゃ~んと甘えにくる。1時ごろまでかかって終了。ソファに敷いた布団に潜り込むが、またしても眠れず。目を閉じていると、無意識の世界というのか、30年も前にあってそのあと一度も会ったことのない人の姿が浮かんできたりした。

12月18日(金)

天気|曇りときどき晴れ

場所|仙台

母を3日間のデイサービスに送り出す。ここから月曜夕方までが、私の自由になる貴重な時間だ。窓辺にパソコンを広げ、日記を記す。庭に鳥がくる。野良猫が足早にすぎる。雪は気温が低いせいか、溶けない。彼らもかわいそうだなあ。ごはんが見つからないだろう。

2時に、仙台市南部にある市民センターに打ち合わせに行く。江戸時代、仙台藩に初めてサツマイモを導入したという川村幸八なる人物の絵本をつくる企画。乏しい予算でなんとかやりくりしようと担当者が奔走している。打ち合わせは3時間近くにもなった。

夜7時から、「宮城県美術館の現地存続を求める県民ネットワーク」のミーティング。この1年は、仕事も生活も後回し状態で活動に集中してきた。7月21日に、それまで県に対し集約移転案の撤回を求めていた団体が連携しこの会をつくった。毎週金曜の夜にミーティングを重ねてきて今日は19回目。よく休むことなくやってきたものだ。11月中旬までは、集まるメンバーの顔には、もうだめかもしれない、あとはどんな手があるのかという切迫感が浮かんでいたけれど、11月16日に、移転案が撤回されてからミーティングは少し和んで、みんなの表情もやわらかい。「会う人会う人、ありがとうっていわれるよ」「あなたたちいてくれてよかった、と今日も事務局に電話がきた」。披露される話に、世の中捨てたもんじゃないね、という思いが深まる。
この会のメンバーは私の生涯の財産になるだろう。30年ぶりに再会したかつての同僚、高校生のころに名前を知った絵描きさん、たまに街で出会って立ち話をするくらいの関係だった知人、そしてこれまで知ることのなかった哲学の先生……30代から80代まで、10数人がお互いを尊重しながら、同じ思いでつながり、できるだけのことをやり、突っ走ってきた。
帰り道、同じ方向に歩き出した6人が、コロナの怖さを感じつつふらっと店に入りお疲れさん! と乾杯。カクテルを一杯ずつ飲んで別れた。

12月19日(土)

天気|くもり

場所|仙台

睡眠不足と前日の久しぶりのお酒のせいか、疲れておきられない。エンジンがかかり始めたのは11時ごろ。お昼過ぎてから、友人たちに、前日東京から届いたパテ屋のパテを届けにいく。

パテ屋のオーナー、林のり子さんとつきあいが始まったのはかれこれ30年近く前。宮城県気仙沼市唐桑町というところで、世界の家庭料理をつくる講座の講師をお願いしたのがきっかけだった。東北を極相林である「ブナ帯」ということばで捉え直して、世界中をこの言葉で串刺しにしてみると、あら不思議、植生が同じところは食文化にも共通のものがあるというのが、林理論。そんな視点を据えて、世界中の料理をつくる講座はおもしろかったし、何より基層文化に想像をめぐらす勉強にもなった。
私にとって林さんは、先生であり、人生の先輩であり、友人であり、そしておいしいパテの製造者でもあるのだ。毎年毎年、年末に送ってもらう、レバーパテ、スモークしたカキとほうれん草のパテ、ひよこ豆のペースト、鱈とジャガイモのパテは、私にとって年末年始の特別の味である。親しい友人たちにも声がけして、私宛に届いたダンボールを開け、おまけにつけてくれるパンを分け、配達にまわるのは年末の恒例行事。

同じマンションに住む友人OとSに届けたら、上がってお茶を飲んでいってといわれ遠慮なく上がると、お茶というのはお抹茶のことだった。織部色の豆のお菓子は、これまで味わったことのないようなコクのある豆の味。おいしい。3人で、介護の話から歳をとって忘れっぽくなってきたことまで、たわいのない話で盛り上がる。

2時からスタートする宮城県美術館主催の講座に申し込んでいたのに、1時間も遅刻して到着。「scape “景”をめぐって」という講座の最終回に潜り込む。まち歩きをし、歴史的建造物の保存活動をする中で、「風景」のとらえ方に興味を抱いてきた。4回目の今日は、写真論。いまいち入り込めないままに終了。
会場には美術館の活動をいっしょにやった友人が3人もきていた。昨晩、別れたばかりというのに。なんだか笑ってしまう。家が同じ方向のSに、送るよと声をかけいっしょに帰る。じゃあね、また明日ね。

12月20日(日)

天気|晴れ

場所|仙台

10時に「県美応援団」の集まり。7月に、「宮城県美術館の現地存続を求める現地存続を求める県民ネットワーク」をつくって会員を募集すると、8月のお盆を過ぎるあたりから500人、800人と会員が増え始めた。ただ申し込みをするだけでなく、申し込みのハガキやウェブサイトのメッセージ欄に「何でもお手伝いします」とか「人手がないときは連絡ください」などと書き込んでくる人がずいぶんいる。「みんな手伝いたいんだよ、何かやってもらおうよ」と事務局を預かるTが提案し、「県美応援団」を組織することにした。
10月に第1回の集まりを開いたら40人以上が集まってびっくり。自己紹介をしてもらうと、誰もが県美への思いを熱く語る。そこで、発送業務など事務局がこなしきれない作業を手伝ってもらうことにした。
今日は、移転案撤回後初めての集まりで、みんな安堵の表情。和やかに作業は進んだ。12時で終了予定だったのだけれど、なかなか終わらない。「時間延長して、作業終わるまでやろう」と誰かが言い出して1時まで頑張った。こんなふうに、県美の活動では誰もが積極的に事を進めようとする。誰の胸にも、美術館のためならがんばるぞ、という気持ちがみなぎっている。
つくづく愛されている美術館なのだと思う。こういう気持ちをまったく推し量れず、経済性だけで事を進めようとした県当局の何というズレ。
アクシデントがあった。前日いっしょに帰ったSが椅子の上から転倒して、手首を打撲。あとで連絡がきて、右手首骨折と知らされる。

夜、翌日の講話のための準備。3年ほど前から視覚障害者の人たちのまち歩きのガイドをしている。白杖を持ち、ヘルパーさんに助けられての散歩なのだけれど、みんなすごく熱心で前むきで明るくて、私は勝手に描いていた障害者像を打ち砕かれる経験をした。冬は寒いので、座学で仙台を案内している。
今回のテーマは「仙台のおんちゃん、天江富弥」。天江は大正10年に日本で最初の童謡専門誌『おてんとさん』を創刊し、昭和3年に日本で最初のこけしの本『こけし這子(ほうこ)の話』を発刊した人物。居酒屋「炉ばた」の主人として炉の前に座って客との会話を楽しみ、終生仙台弁で押し通した。夜中まで準備しながら、こんな人が仙台にいたんだなぁ、と感慨に打たれる。そうこうするうちまた午前3時近く。眠い。もう限界。

バックナンバー

2020

6

  • 是恒さくら(美術家)
  • 萩原雄太(演出家)
  • 岩根 愛(写真家)
  • 中﨑 透(美術家)
  • 高橋瑞木(キュレーター)

2020

7

  • 大吹哲也(NPO法人いわて連携復興センター 常務理事/事務局長)
  • 村上 慧(アーティスト)
  • 村上しほり(都市史・建築史研究者)
  • きむらとしろうじんじん(美術家)

2020

8

  • 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館 学芸員)
  • 山本唯人(社会学者/キュレイター)
  • 谷山恭子(アーティスト)
  • 鈴木 拓(boxes Inc. 代表)
  • 清水裕貴(写真家/小説家)

2020

9

  • 西村佳哲(リビングワールド 代表)
  • 遠藤一郎(カッパ師匠)
  • 榎本千賀子(写真家/フォトアーキビスト)
  • 山内宏泰(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)

2020

10

  • 木村敦子(クリエイティブディレクター/アートディレクター/編集者)
  • 矢部佳宏(西会津国際芸術村 ディレクター)
  • 木田修作(テレビユー福島 報道部 記者)
  • 北澤 潤(美術家)

2020

11

  • 清水チナツ(インディペンデント・キュレーター/PUMPQUAKES)
  • 三澤真也(ソコカシコ 店主)
  • 相澤久美(建築家/編集者/プロデューサー)
  • 竹久 侑(水戸芸術館 現代美術センター 主任学芸員)
  • 中村 茜(precog 代表取締役)

2020

12

  • 安川雄基(合同会社アトリエカフエ 代表社員)
  • 西大立目祥子(ライター)
  • 手塚夏子(ダンサー/振付家)
  • 森 司(アーツカウンシル東京 事業推進室 事業調整課長)

2021

1

  • モリテツヤ(汽水空港 店主)
  • 照屋勇賢(アーティスト)
  • 柳谷理紗(仙台市役所 防災環境都市・震災復興室)
  • 岩名泰岳(画家/<蜜ノ木>)

2021

2

  • 谷津智里(編集者/ライター)
  • 大小島真木(画家/アーティスト)
  • 田代光恵(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 国内事業部 プログラムマネージャー)
  • 宮前良平(災害心理学者)

2021

3

  • 坂本顕子(熊本市現代美術館 学芸員)
  • 佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

特集10年目の
わたしたち