Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

連載東北からの便り

2020年リレー日記

2021

2

2月1日-7日
谷津智里(編集者/ライター)

2月1日(月)

天気|晴れ→曇り

場所|宮城県白石市 

とても寒い朝。山の方の小学校に通う娘をバス停へ送っていく時、車の温度計は−5℃だった。バスを待つ間、足元の氷を2人でパキパキと割る。
家に戻ってから一人で食事をする。夜が遅いので朝はあまり早く起きれない。一昨日アカウントを作ったClubhouseで適当なトークルームを聴きながら食べ、洗い物をする。途中で息子が中学校へ出かける。こども食堂関連のトークと、政治経済を身近にしようというトーク。すごく愛のある話をしていた。
Bottoms House(別棟の仕事場)に移動し、部屋を温めながらFacebookに通知が来ていたメリーランド大学のCOVID-19アンケートに答える。やはり今の関心事はワクチンのようだ。

今日は11時45分に歯医者に行く以外は一日在宅で仕事ができた。一部執筆を担当させてもらっているアート関連本の校正のやり取りと、丸森町筆甫(ひっぽ)地区の移住パンフレットのレイアウトについてのやり取りと、「仙台舞台芸術フォーラム2011→2021東北」のWEB掲載用原稿の作成。合間で「みやぎ東日本大震災津波伝承館」映像コンテンツの、納品までのスケジュール調整。どれも震災10年を契機とした企画だ。
日中は気温が10℃近くまで上がって暖かかった。何度か、屋根から雪がドサッと落ちる音を聞いた。
昼にミャンマーのクーデターのニュースが入ってきたが、夕方にはClubhouseで在ミャンマーの日本人が現地の様子を話していた。すごい時代になった。

夕食後、20時からClubhouseで宮城県南メンバーでのトークを初開催。首謀者の3人だけで話すことになるかと思ったら、けっこう人が来た。ほんの1日か2日追っただけでも、熱狂が広がっている実感がある。
Clubhouseを始めたのと同じ土曜日に、新聞配達をしていた親戚の車が丸森町の山中で雪のために横転。今日になってやっと車を引き上げることができたのが、夫が経営する新聞店にとってのトップニュースだった(親戚は無事)。

2月2日(火)

天気|晴れ一時雪

場所|宮城県白石市

今朝は夫が娘をバス停に送っていってくれた。肩と腰の張りが強くなってきているので、朝食後にヨガをした。
今日もBottoms Houseに移動して、一日パソコン作業。

昼頃、明後日からの気仙沼視察の行程表が届く。2泊3日で16人に会う日程が組まれていてちょっとビビる。コンディションを整えて行かねば。
気仙沼行きに備えて車にガソリンを入れつつ、節分なので恵方巻きを買ってくる。

ちょうど1年ほど前の仙台舞台芸術フォーラムのトークをWEB掲載原稿にしながら、満席だった去年の劇場を思う。ちょうどこの1週間は、今年度の演目のうち2本の上演とトークイベントがあるが、公演はやるものの「来てください」と言えない、と関係者が口を揃えていた。一昨日見た公演はそれでも、半分に減らした客席が直前で完売したそうだが、「来てください」と言えない、というのはどこに向かって作品を作ったらいいのかわからない、ということにもなるのではないだろうか。それでも、震災からの10年を思い、今、何をどう作るのか、みんな、戸惑いながら手を動かしている。

夕方、暗くならないうちに、子ども会の役員会のお便りを、2軒の家に歩いて届けに行く。まったくもって非効率だけれど、年に数回なら、近所を歩くのも悪くない(完全な車社会で、いつもすぐに車に乗って目的地へ向かってしまう)。
抜ける人も出始めている子ども会だけれど、災害時を考えれば、近所の人の顔が見えるようにしておくのは大事だ。でも今年度はお祭りもレクリエーションも無く、私も、ポストに入っていたお便りを見てやっと班長だったことを思い出した。コロナ休校中に娘と散歩したコースを久しぶりに歩いて、少し懐かしかった。

夜、Clubhouseを聞いていると、急にどの部屋でも不具合が多発し始め、聞けなくなった。人が増えすぎてサーバーが耐えきれなくなったのだろうと、スピーカーが口々に言っていた。指数関数的な増加、まさにパンデミック? みんな、人と話したかったんだなあ、と思う。

2月3日(水)

天気|雪→晴れ

場所|宮城県白石市→仙台市

朝、Clubhouseは復活しただろうかと思ってつけてみると、『東北食べる通信』の高橋博之さんが「集落の看取り方を考える」という重いテーマのルームを開いていた。
「その地域で暮らせなくなることはもちろん寂しいことだけれど、一番問題なのは、そこで何百年と営まれてきた歴史が誰にも引き継がれずに消えることだ。このままでは日本中で集落が孤独死する」という高橋さんの言葉に、朝から涙してしまう。人も町も、どう生きて、どう死ぬのか、ということ。

10時からはZoomで、明日からの気仙沼視察のレクチャーを受ける。急遽14時からも、筆甫地区とのZoomになった。
夜は仙台にトークを聞きに行き、そのまま仙台泊なので、急いで泊まりの支度をしてから昼食をとって、PCの前にスタンバイ。移住パンフレットのレイアウトを再考したいとのことだったので、新案を作って送る。その後、気仙沼で会う人について、午前中に送ってもらったリンクに目を通してから、仙台へ向けて出発。

今日の仙台舞台芸術フォーラムのプログラムは、劇団ままごとの柴幸男さんが来冬に仙台で作る予定の新作についてのトーク。東京が緊急事態宣言下のため、柴さんの自宅とオンラインでつないでのトークイベントだった。途中、現時点でのイメージを戯曲にしたというリーディング作品の上演(これもオンライン)があったのだけれど、これが素晴らしかった。本番はオンラインにならずに、目の前で上演されますように。

劇場を出て、仙台港に近いホテルに移動。今日はモードの切替えを多くしなければならなかったので、脳が興奮気味だ。
明日からの気仙沼もかなり濃い時間になりそうだ。楽しみに眠ろう。

2月4日(木)

天気|雪時々曇

場所|宮城県仙台市→気仙沼市

ホテルで目覚めたら窓の外が雪景色で驚く。
車を入り口から遠いところに停めていたので、ロビーにスーツケースを置かせてもらって車を玄関前に回した。雪下ろしの道具を積んでいなかったので、ワイパーで払えない部分の雪を手で払ったり、濡れても大丈夫なファイルケースで払ったりして、少し出発に手間取ってしまった。

仙台から気仙沼まで1時間30分ほど。三陸道が開通して、すごく近くなった。高速道でいきなり街中に入ってしまうと、ほとんど海が見られず寂しくもあるけれど。
集合時間に少し遅れてしまったが、3日間アテンドしてもらう加藤航也さんと合流してすぐに市役所に移動し、担当職員の方にご挨拶。今回の旅は気仙沼の移住パンフレットを作るための視察で、航也さんは30代初頭の移住支援センター長だ。数年前にもお会いしていたのだが、それからずっと会っておらず、11月に津波伝承館のためのインタビュー取材で気仙沼を訪れた際に再会。ちょうど移住パンフレットのディレクターを探していたということで、今回の仕事につながった。震災の後、私はこうしたご縁にずっと支えられて、なんとか仕事をしている。

市役所への挨拶を終えてから、ランチを挟んで3人のUIターン者に会った。全員、20〜30代の女性。今回会う16人の半数以上が女性で、昨日レクを受けながら「これだけ若い女性移住者の名前が上がるのはすごい」と思ったが、今日のヒアリングで「気仙沼は女性の方が元気」という言葉を聞いた。一体なぜそうなのか、さらに知りたい気持ちになる。

夜は「つなかん」という民宿で航也さんと一緒に晩ごはんを食べる。東北大で漁村文化の研究をしているというデンマークの女性と同宿で、通訳で協力している気仙沼の女性も含め、4人で話をした。

予想通り、初日から濃い。明日に備えて、早めに布団に入る。

2月5日(金)

天気|雪→晴れ

場所|宮城県気仙沼市

またもや、起きたら雪景色。海沿いはあまり雪が降らないので、気仙沼ではだいぶ珍しい風景らしい。
7時に航也さんが迎えに来てくれて、市場近くの「鶴亀食堂」へ。朝ごはんを食べながら、早速1件目の取材。この店は、海から帰った漁師さんが朝食を食べられるようにと、地元の女性経営者が開き、移住者の女性が切り盛りしている。首都圏育ちの20代、根岸えまさんと加藤広菜さんが、元から海辺で育ったかのように自然な振る舞いで漁師さんに食事を出していた。もう少し話を聞きたい気持ちに後ろ髪を引かれつつ、次の取材へ。今日は午前中だけであと3件のアポがある。

そのうち2人は、認定NPO法人底上げのメンバーで気仙沼まち大学コーディネーターの成宮崇史さん、一般社団法人まるオフィスの代表で気仙沼の教育事業に取り組む加藤拓馬さん。加藤さんは2011年の4月5日から気仙沼に入り、就職が決まっていた会社を辞して気仙沼に移住した。成宮さんは2011年の8月から被災地に入り、10月には底上げを立ち上げている(その時点では任意団体)。鶴亀食堂の根岸さんや航也さんも含め、震災後初期に気仙沼に入り、大きく人生を変えた若者たちだ。そしてその若者たちが、これから先を担う人材を増やし育てる任にあり、真剣に気仙沼の未来を創り出そうとしている。

朝から濃い時間を過ごしたからか、少し疲れを感じ、午後に南部の本吉地区を案内してもらう行き帰りにはしばらく車内で目を閉じていた。気仙沼のエネルギーに圧倒されてしまったのかもしれない。

中心部に戻ってからあと2人に会い、本日の予定を終了。「沖見屋」という民宿で豪華すぎる海鮮膳をゆっくりと食べ、ふかふかの布団で眠った。

2月6日(土)

天気|晴れ時々曇

場所|宮城県気仙沼市→白石市

やっと晴れて気温が上がる。宿泊した沖見屋さんは岩井崎の岬に建っている。キラキラと眩しい海を見ながら出発。今日も朝ごはんから早速取材だ。

航也さんと合流して、今日は西の方の山間部へ。三陸地方は沿岸地域のイメージが強いけれど、平地は少なく、少し登れば山が広がる。
八瀬地区という典型的な中山間地域に「YASSE COFEE」というカフェがぽつんとあった。そこでモーニングを食べながら、この地域を案内いただく吉田勝彦さんに出会う。トーストと、キウイのフレッシュジュースがあまりに美味しくて驚いた。新しくて綺麗ながらシックで落ち着くインテリア。山の中でこんなカフェに出会うとは、お伽話のようだ。

吉田さんは八瀬地区といえば名前が上がる方らしく、航也さんたち、移住してきた若者にも慕われている。朝食後、ご自宅に案内いただくと、妻の博子さん手作りのとても美味しいプリンと焼き菓子を出してくださった。ご夫婦は長年、そうやって地域への訪問者を受け入れ続けて来たようで、「この1年はコロナ禍のおかげで誰も来なくなったから久しぶりのお客さんだ」と嬉しそうにしてくれた。

八瀬地区をぐるりと案内いただいてから移住支援センターへ戻り、昼食後、最後の面会者である志田淳さんに会う。座って話した後、中心部を少し歩いて案内してもらった。お米屋さんの蔵をリノベーションした展示館と趣向を凝らした座敷を見せてもらったり、志田さんがマネージャーを務めるライブハウスのようなシェアオフィスを見せてもらったり。街の中に複層的な文化が存在していて、気仙沼はちっとも田舎じゃないな、と思う。

3日間のお礼を言って、15時半頃気仙沼を出発。帰りも、2時間半の運転はあっという間。私の帰宅後にプールにから帰って来た娘が、腰に抱きついて離れなかった。夜は家族で、娘の大好きな焼き鳥屋へ行った。
頭の中に気仙沼のイメージが巡るが、明日も別件で埋まっている。荷物を片付けて、娘の隣で眠った。

2月7日(日)

天気|曇時々晴れ

場所|宮城県白石市、仙台市

4日ぶりに自分のベッドで目覚め、遅い朝食。9時30分からは、明日の打ち合わせでZoomミーティング。隣の角田市の中学校で閉校記念誌を子どもたちと作るプロジェクトをやることになっていて、明日が最初の授業日なのだ。声をかけてくれた合同会社nekiwaには筆甫地区の移住パンフレットではデザインをお願いしているので、その打ち合わせもする。こうして、仙台や東京の会社を挟まずに仙南地区で仕事を進められるのは、嬉しいことだ。

昼食後、「せんだい演劇工房10-BOX」へ向かう。今日も、仙台舞台芸術フォーラムの公演があるのだ。石巻の劇団うたたね.<ドット>による『咆哮 <私たちはもう泣かない>』と、アフタートークを見た。『咆哮(ほうこう)』は、津波で肉親を亡くした人を描いたとてもストレートな演劇で、4日前に同じ場所で見た(聞いた)柴幸男さんのリーディング作品と対照的だった。柴さんの方は、震災を直接描くのではなく、震災から流れた時間そのものを舞台上に提示しようとする、災害の表現としては抽象度の高いものだった。
東京で演劇をやってきた30代の柴さんと、石巻で演劇をやってきた70になる三國裕子さん。2人の視線は、同じ出来事を巡って違うものに向けられている。気仙沼で出会った人たちの視線もまた、2人とは違うものに向けられていた。それぞれが発する言葉の届く先もまた、違っているだろう。世界は一様ではなく、人間は、自分の視線が連れてくる物語の中に生きている。

帰宅後の夜は、大河ドラマ『麒麟がくる』の最終回を見た。これまで見たことのない本能寺の変であり、明智光秀であり、織田信長だった。1年かけて明智光秀のイメージをがらりと変えてしまったのはお見事だった。

過去の出来事の「真実」は、未来の人間にはわからない。その場に立ち会った人でさえ、それぞれに見ているものは違う。その時何かが起こった、そのことを引き継いで自分がどう生きるのか決める時、それぞれに物語が必要になるのだろう。それを描くお手伝いをちょっとだけさせてもらっていることを、私は小さな誇りにして生きている。

友達と毎夜受験勉強をしている息子を迎えに行った後、彼のためにリンゴを剥きながらClubhouseでもう1件、仕事の打ち合わせをした。来週も忙しいけれど、休日は少しゆっくり、娘とも過ごしたい。

バックナンバー

2020

6

  • 是恒さくら(美術家)
  • 萩原雄太(演出家)
  • 岩根 愛(写真家)
  • 中﨑 透(美術家)
  • 高橋瑞木(キュレーター)

2020

7

  • 大吹哲也(NPO法人いわて連携復興センター 常務理事/事務局長)
  • 村上 慧(アーティスト)
  • 村上しほり(都市史・建築史研究者)
  • きむらとしろうじんじん(美術家)

2020

8

  • 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館 学芸員)
  • 山本唯人(社会学者/キュレイター)
  • 谷山恭子(アーティスト)
  • 鈴木 拓(boxes Inc. 代表)
  • 清水裕貴(写真家/小説家)

2020

9

  • 西村佳哲(リビングワールド 代表)
  • 遠藤一郎(カッパ師匠)
  • 榎本千賀子(写真家/フォトアーキビスト)
  • 山内宏泰(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)

2020

10

  • 木村敦子(クリエイティブディレクター/アートディレクター/編集者)
  • 矢部佳宏(西会津国際芸術村 ディレクター)
  • 木田修作(テレビユー福島 報道部 記者)
  • 北澤 潤(美術家)

2020

11

  • 清水チナツ(インディペンデント・キュレーター/PUMPQUAKES)
  • 三澤真也(ソコカシコ 店主)
  • 相澤久美(建築家/編集者/プロデューサー)
  • 竹久 侑(水戸芸術館 現代美術センター 主任学芸員)
  • 中村 茜(precog 代表取締役)

2020

12

  • 安川雄基(合同会社アトリエカフエ 代表社員)
  • 西大立目祥子(ライター)
  • 手塚夏子(ダンサー/振付家)
  • 森 司(アーツカウンシル東京 事業推進室 事業調整課長)

2021

1

  • モリテツヤ(汽水空港 店主)
  • 照屋勇賢(アーティスト)
  • 柳谷理紗(仙台市役所 防災環境都市・震災復興室)
  • 岩名泰岳(画家/<蜜ノ木>)

2021

2

  • 谷津智里(編集者/ライター)
  • 大小島真木(画家/アーティスト)
  • 田代光恵(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン 国内事業部 プログラムマネージャー)
  • 宮前良平(災害心理学者)

2021

3

  • 坂本顕子(熊本市現代美術館 学芸員)
  • 佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

特集10年目の
わたしたち