2021
2
2月22日-28日
宮前良平(災害心理学者)
2月22日(月)
天気|晴れ
場所|大阪
10時からのオンライン会議のために9時半に起きるも、急遽会議が水曜日に変更になり、そのままベッドの中でTwitterを見たりする。10時にようやく起き抜ける。
昨晩は夜2時近くまで論文を書いていた。めずらしく土日の予定を空けていたので、これを機に書き進めねばと思い、ゼロから書き上げた。来月の研究会で提出し、コメントをもらう予定だ。
今朝見た夢も月曜日だった。夢の中の私は月曜から地元長野にある母校に教育実習に行くことになっていて、しかしその事に気づいたのが月曜の朝だった。間に合わないことに絶望し、実習の担当である教頭先生に謝罪の連絡を入れたら案外何事もなく許してもらえて、安心したところで目が覚めた。
土日に来ていることを把握しながら無視し続けていたメールに返信する。このリレー日記のリマインドメールが来ていて、天気を確認せねばと慌ててカーテンを開ける。目が痛くなるような青空だ。スマホを見て今日の大阪の天気を確認するついでに東北の天気も確認する。岩手県野田村はくもり、宮城県仙台市は晴れのちくもりだ。全国的にほとんど春のような陽気になりそうだ。
本来であれば、今日は仙台にいるはずだった。私は『チーム北リアス』という野田村を拠点にしたボランティアネットワークに所属している。この度、『チーム北リアス』が、「新しい東北」という復興庁のプロジェクトに表彰され、その式典が仙台で開催されることになった。そこに出席予定だったのだが、コロナの折、叶わなくなってしまった。
宮城県名取市に大学時代の寮の先輩の墓がある。寮の先輩と言っても、40を超えて入学してきたので、最初に出会ったときはすでに中年だった。せっかく仙台まで行くのだから墓参りでもしなくちゃなと週末の予定を空けていたのだった。墓参りも緊急事態宣言で実現できなかった。なので、大阪で空いた土日を過ごしていたというわけだ。
本を読み、お昼を食べ、14時からのZoomでの打ち合わせを終え、夏頃に出版予定の翻訳書の訳者解題の執筆に入る。編集者からは、「宮前さんがこの本を翻訳しようと思ったきっかけをしっかり書いてください」と言われている。それは、僕の中では東北の震災と深く関わっているのだが、まだうまく言葉にできない。書き出しがいつまで経っても決まらない。本文を読み直し、東北で聞いたいろんな語りを思い出しているうちに夜が更けてしまった。ハイボールにレモン汁をたくさん入れたやつを飲んで、YouTubeを見て、寝ることにする。
2月23日(火・祝)
天気|晴れ
場所|大阪→神戸
8時前に目が覚める。昨晩は結局目が冴えてしまって4時くらいまで起きていた。寝足りない気がするがなかなか二度寝ができそうな感じではない。喉がしたたかに渇いているが、水を飲みに起きるような気分でもない。結局スマホをいじりながら9時頃にベッドから抜け出した。夢は見なかったか、見ても覚えてなかった。
今日が祝日となっていたことに昨日気づいた。普段、「休み」という概念の乏しい裁量労働制で、しかもリモートワークの盛りであるので、祝日だろうがお構いなしにやるべきことはあるのだが、今日は少し休もうという思いが芽生えた。きっぱりと休みをとったほうが昨日から書きあぐねている本の書き出しが思いつくかもしれない。中々寝付けなかったのも、それが気になってのことだった。
シャワーを浴びて部屋に掃除機をかける。お昼過ぎに家を出て神戸へ行く。緊急事態宣言発令中ではあるが、たまには遠出もいいだろう。少しくらい人間的生活を送ってもいいはずだ。JRで大阪駅から元町駅まで行く。府外への移動は自粛すべきという社会的風潮を乗り越えて、電車は神崎川を渡っていく。同乗者は共犯者だ。
中華街やメリケンパークは家族連れで賑わっていた。どこまでが不要不急なのかもはやよくわからない。祝日を楽しむということはきっと不要でも不急でもない。20時までの限定で飲みに出かけることもきっと不要でも不急でもないのだろう。政府からの「お願い」や「要請」を国民は上手に読み替えながら生き抜いている。
早めに家に帰り、「江井ヶ嶋」というウイスキーをストレートで飲みながら、眠気が来るのを待つ。
2月24日(水)
天気|晴れ
場所|大阪
昨日の疲れが出たのか10時ごろに起床。起きた瞬間に見た夢を忘れてしまった。
近くにできたジムの会員申し込みをする。ついでに機械に少し触らせてもらう。体を動かすというよりも、体を鍛えることに特化した機械に身を委ねるのは気持ちいい。
お昼ごはんを食べ、大阪大学に行く。親子連れが多い。明日は前期試験だからその下見だろう。12年前に同じように下見をしていた自分を思い出す。実家が長野なので、前々日くらいからひとりで大阪に来て、下見をしたりしていた。西中島南方のビジネスホテルに泊まったのを覚えている。あのころは大層な都会だと思っていたが、今となっては下町に見える。
明日の試験は警備業務にあたっているので、メールやら打ち合わせやらの合間に試験要項に目を通す。今年は新型コロナウイルス関係で、イレギュラーなことが多いので、間違えないように一文一文しっかりと目を通していく。マニュアルには、どうしてこの文章が書かれたのかという行間がかならずある。それを把握していないととっさの対応ができない。
17時半から『サバルタンは語ることができるか』の読書会に参加する。一文一文丁寧に読み合っていくので、1時間で2ページくらいしか進まない。筆者がどういう人物であるかはひとまず置いておき、そこに書かれた文章をそのまま受け取っていく。豊かな時間だと思う。一見逆説的だが、マニュアルは自由な精神で読み、哲学書は厳格に読むのである。
研究室のプリンタを設定したり、Office製品の再インストールをしたり、事務仕事をこなして21時ごろ帰宅。
昨日買っておいた弁当を食べ、翻訳書の原稿を書き始める。まだ書き始めの言葉が決まらないが、意を決して書き始める。違和感は消えない。24時になるところで筆を置く。明日は朝早いので早めに寝ることにする。昨日買ったウイスキーをハイボールにして飲む。パンツマンというお料理系YouTuberの最新動画を見る。
2月25日(木)
天気|晴れ
場所|大阪
7時起床。汗ばんで起きる。日記に書かねばと思う夢を見たのだが、これを書いている夜20時には忘れてしまっている。残念。エアコンを付けても部屋が寒い。入試の日は寒かったり雪が降ったりすることが多いように思う。高校の時の英語の先生が「沖縄は冬でもあたたかくて、いいコンディションでセンターに臨めるから有利だ」と言っていたことを思い出す。たぶんそんなことはないのだろうと今となれば思う。
モノレールに乗って大学へ。今日は前期試験なので、受験生が多い。全員が自分の力を存分に出してほしい。僕が受験生で阪大を受けたときは、遅刻しかけて会場まで全速力で走った。あのときの全力疾走で脳が活性化された。あれから11年経っていまはその大学で試験の警備業務をしている。
入試はトラブル無く終わった。病人やコロナによる欠席者もいなかったので、たぶん追試は行われなくて済みそうだ。
1年生向けに開講している授業も持っているので、今日会った受験生の誰かを教えることになるのかもしれない。来年度は、1年生と2年生は原則対面で授業を行うことになっている。1年生はもとより、2年生もよほどのことが無い限り対面にしてくれと言われている。今の2年生が一番コロナの割を食った。このままコロナが収束していけばいいのだが。
試験終了後打ち合わせ1件とメール返信や事務仕事を終え、20時ごろ大学を出る。家に帰ると疲れを感じた。脳みそがもう動きたくないと言っているのを感じる。最近よく作っている豆腐そぼろ(ダイエット食のつもりだ)を作り、マンナンライスと一緒に食べ、ゆっくりと過ごす。
2月26日(金)
天気|雨ときどきくもり
場所|大阪
9時起床。アレクサにエアコンをつけてもらい、部屋があたたまるのを待つ。今日は見た夢を断片的だがまだ覚えている。事務的な資料を作成していて、同僚に書類の書き方を聞くがうまく書けず、修正に修正を繰り返すという夢だ。
午前中はメールの返信に時間を使う。12時から、学生寮と教職員宿舎が一緒になった「大阪大学 グローバルビレッジ津雲台」のコンセプトブック撮影を行う。大阪市立デザイン教育研究所の学生さんに撮影をお願いしている。留学生やサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)の入居者の方にご協力いただいていい写真が撮れた。大学がつくるようなかっちりとしたものじゃなく、学生ならではの手作り感のあるものになればと思う。
15時半からグローバルビレッジ内にある「ハレとケ」というレストランで、お世話になっている先生とお茶を飲む。僕がイギリス留学に行くときに、「これで旅をして見識を深めなさい」と旅費をくださった先生だ。僕の近著『復興のための記憶論』を読んでくださり、いろいろと質問をいただく。近況報告などもしていたら2時間近く経っていた。
夕飯を食べているとアメリカにいる同僚からメールで今度投稿する英語論文のチェックをしてほしいとのこと。ぱっと読むつもりが英語に苦戦し、メールを返すときには23時になっていた。
今日は、アメリカのウェスト・ヴァージニア州で起きたバッファロー・クリーク洪水から49年目だ。たぶん世界的にはそれほど知られていないが、ダムの決壊によって、鉱山地域に暮らす5,000人のうち125人が亡くなった大災害だ。なぜ僕がこの災害について知っているのかというと、この災害について書かれた『Everything in Its Path』という学術書があり、それをいま僕とあと2名の研究者で翻訳しているからだ。個人的なトラウマだけでなく、ふるさとがなくなってしまったという集合的トラウマについて書かれている。
昨年の今ごろはコロナが流行る直前で、僕は共訳者とともに現地調査に行っていた。その時の話をいま訳者解題として書いている……のだが、ひとりひとりの被災経験についてうまく表せる言葉が見つからない。この感覚は東北にいるときにもよく感じた。人間が持ち合わせている言葉では足りないといつも思う。でも、書くことを仕事にしている以上は、なんとか書かないといけないと思う。そういった言葉を探すために、50年近く前のアメリカの災害について書かれた本の中にある、被災されたみなさんの言葉を翻訳していたのかもしれない。
英語で書かれた言葉を日本語にしていく作業は、東北のみなさんの言葉をそのままICレコーダーのように伝えるだけじゃなく、自分の身体性をともなった言葉にしていく作業とどこか似ているように思った。社会学者・生活史家の岸政彦先生の「鉤括弧を外す」という議論が頭をよぎった。
2月27日(土)
天気|晴れ
場所|大阪
10時半起床。よくわからない本の出版企画があり、それに振り回されるという夢を見た。明け方玄関のほうでガタン! ガタガタガタ! というとんでもない物音がしたので嫌な予感がしたのだが、確認することでそれが現実になってしまいそうで、無視して二度寝を決める。二度寝の夢はやけにリアルなFPSゲーム(一人称視点のシューティングゲーム)で、負け続けるというものだった。
13時まで原稿を書き進め、その後はこれからはじまるクラウドファンディングのための営業回りに出かける。2018年の西日本豪雨で被災した愛媛県西予市野村町の復興まちづくりを応援するためのクラウドファンディングなのだが、野村町には緒方酒造という酒蔵があり、先祖は阪大とも深い関わりがある、江戸時代の蘭学者・緒方洪庵(こうあん)である。その酒蔵はいまはもう日本酒は造っていないのだが、「緒方洪庵」という日本酒を復活させられないかという話になった。この新生「緒方洪庵」を返礼品の目玉にして、3月1日からクラウドファンディングを始める。
今日は中崎町にお店を構えている関係者のところに挨拶とチラシ配りをした。みなさん好意的に受け入れてくれて、「目標額の100万円はすぐに集まっちゃうかもしれませんよ」と言ってくださる方もいた。果たしてどうか……。実際に始まるまで不安は消えないだろう。
20時ごろに帰宅し、とり野菜みそでお鍋を作る。その後、メールを返したり、バッファロー・クリークについての執筆をしたりしていると24時くらいになる。ふとネットサーフィンをすると震災関連の記事が増えていることに気づく。2月は28日までしかないから、3.11までもう2週間も無いのかといまさら思い至る。
先週の今ごろ行っているはずだった東北に思いを馳せる。復興もコロナもどちらも大きな問題だ。でも、一緒くたにはしたくないし、してほしくない。復興五輪がいつの間にか「コロナに打ち克った証」にすり替えられるようなことは二度と起きてほしくない。
2月28日(日)
天気|晴れ
場所|大阪
10時起床。家族向けのレストランで食事をしていると銃の乱射事件が起きて逃げ惑うという夢を見た。結末に至る前に起きてしまったときは、夢の続きが見たくて二度寝してしまう。でも、続きを見れたためしはほとんどない。
だいぶ前から今日のお昼はお寿司を食べに行く計画をしており、予約しておいたお寿司屋さんに行く。めちゃくちゃ高級店というわけではないが、Go Toイートのポイントが無ければ絶対に行かないようなところだ。コロナのどさくさで得たポイントを使っていることの負い目すら最近は感じるようになった。「飲食店の応援のため」というのが美味しいものを食べる免罪符に成り下がっている。それでも、お寿司は美味しかった。
その後、天六から中崎町を通って梅田まで散歩する。人手は多かった。昼から飲んでいる人も多かった。時短営業によって、昼から飲み始める人が増えたのではないかと思う。昼からお酒を飲むことに眉をしかめる人もいるだろうが、僕は留学に行っていたイギリスの雰囲気を感じられてとてもうれしい。もっとパブみたいに気軽にお酒を飲んで友人とお喋りをする空間があってもいいと思う。
最近首が痛いので、ニトリで枕を買う。大学院生のころは夜行バスで東北に通っていたのだが、一度首を痛めるとなかなかしんどいということに不調を感じてはじめて気づく。
前から目をつけていたお茶屋さんでクリームティーセットを食べる。クリームティーセットとは、スコーンと紅茶のセットで、アフタヌーンティーのお手軽版のようなものだ。個人的にはスコーンが食べたいというよりもクロテッドクリームが食べたくて、クリームティーを頼んでいる。本場イギリスのスコーンはもそもそしていて、「lovely」(素敵の意)なのだが、日本のスコーンはしっとりもちもちではるかに美味しい。でも、イギリスのもそもそスコーンが無性に恋しくなるときがある。敢えてもそっとしたスコーンを食べてみたくなるときがある。
20時くらいに帰宅し、この日記を書いている。この後は、きっとダラダラしながら眠くなるのを待つのだろう。
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